『表現者criterion』メールマガジン

【藤井聡】今の日本の男達は、多分もの凄く、世界から取り残されています。

From 藤井 聡(表現者クライテリオン編集長・京都大学教授) 

こんにちは、『表現者criterion』編集長、京都大学の藤井聡です。

当方は現在、大学の教員をしていますが、毎年学生さん達とあれこれつきあっていると、日本の学生さんと海外からの留学生との間に埋めがたい格差があり、それが年々広がっているように思えてならなくなってきます。

そんな事を口にすると、「ついに藤井も、どっかのジジィみたいに若者をディスリはじめたか!」などと言われてしまいそうですが、実はそうなっているのは学生さんだけでなく、日本の男達がおおよそそうなりつつあるように───感じています。

筆者がなぜそんな風に感じているのか、今日はそのあたりについてお話したいと思います。

例えばつい先日、ロシア方面から来たという女性と話す機会がありました。

年の頃は30前後。話をしながらふと我々の師匠の西部邁先生が好きだった「灯火」は、そういや「ロシア民謡」だったことを思い出したので、知ってるかと聞くと、もちろん知っている、とのこと。

「灯火」は、西部先生が喜怒哀楽の四つの感情の中でも最も強く、深い感情である「哀」(かなしみ)を濃密に漂わせた曲。

※ ご関心の方は一度、じっくり聞いて頂きたい。
  日本的編曲:https://www.youtube.com/watch?v=lwMREIKxccQ
  ロシア民謡的編曲:https://www.youtube.com/watch?v=RVD8PtWw-Nk

日本語の歌詞は次のようなものです。

「夜霧のかなたへ 別れを告げ  雄々しきますらお いでてゆく
窓辺にまたたく ともしびに  つきせぬ乙女の 愛のかげ

戦いに結ぶ 誓いの友  されど忘れ得ぬ 心のまち
思い出の姿 今も胸に  いとしの乙女よ 祖国の灯よ

やさしき乙女の 清き思い  海山はるかに へだつとも
ふたつの心に 赤くもゆる  こがねの灯 とわに消えず

変らぬ誓いを 胸にひめて  祖国の火のため 闘わん
若きますらおの 赤くもゆる  こがねの灯 とわに消えず」

男が戦場に旅立ち、戦場で戦友達と戦いつづける。そんな戦場で男は、故郷を、そしてその故郷に残してきた愛する一人の女性を深く想う、どれだけこの戦場と故郷が離れようとも、そしてこの身がどうなろうともこの想いは永久に燃え続ける──。

つまり、愛する女性を祖国に残して戦う兵士の哀しみを歌い上げた一曲なわけです。
(先週の『週刊ラジオ表現者』でも、柴山さんと一緒に解説差し上げています。
 https://www.youtube.com/watch?time_continue=1046&v=HJfaSKyFfME
 19:13頃から)

で、この歌の歌詞の内容をそのロシアの方にさっと説明すると、ロシア語でも同じだ、とのこと。

そして「灯火」と言えばもちろん「カチューシャ」だということで、その歌詞内容を説明してれました。詳細はこちらの頁を見て頂ければと思いますが・・・
http://www.worldfolksong.com/songbook/russia/katyusha.htm

要するに、「灯火」とは逆に、戦地に行った男性を想い、その無事を祈りながら故郷で待っている一人の少女、カチューシャの思いや願いを歌った曲です。

つまり「カチューシャ」と「灯火」は、ちょうど一つの対を成す曲だとのことなのですが、それらで歌われている思いや願いを理解しようとすれば、戦地が故郷から遠く隔てたところにあることを想像し、戦地で果てれば二度と故郷には帰れないという状況をイメージし、それにも関わらず勇気を奮い起こしながら戦友達と共に戦う気概をイメージする───といった事が出来なければなりません。

つまり、どこかで少なくとも「命がけで生きる」という事が一体どういう事なのかを何となくイメージ出来ていなければ、そこで歌われている「哀しみ」を理解することなど出来ないのです。

ちなみに、「命がけで生きる」というのは何も特殊な話ではなく、親がいなくなって仕事をしながら生きている「大人」は仕事が無くなればご飯が食べられなくなってしまうわけですから、「大人」ならば誰だって多かれ少なかれ「命がけで生きている」はずです。

少なくとも昭和時代の日本人なら、戦争の記憶を皆が共有していましたから、当時の男達は皆「大人」として、こうしたロシア民謡の世界をすぐに理解できていたものと思います(実際、カチューシャも灯火も戦後、大ヒットしています)。

ところが、今や、この「哀しみ」を理解する人たちは限られつつあるように思います。

そもそも「灯火」の歌に触れることはもちろんのこと、「灯火」で歌われている様な、ずしりとした重みのある「哀しみ」の話を耳にすること自身が、あらゆる機会で無くなりつつあるように思います。

むしろそんな話については、「分かんない」だの「興味ない」だの「関係ない」だの「暗い」だの「辛気くさい」だの「役に立たない」だのといった反応をする男達が大半になってるのではないかと感じます。

このことはつまり、日本の男の子達を含めた実に多くの日本の男達が、「命がけで生きる」という事が一体どういう事なのかを全くイメージ出来なくなっていることを意味してるのではないかと思います。

(※ さもなければ、馬鹿馬鹿しい何とか構造改革やらTPPやら緊縮財政やらを嬉々として応援するような事など、できる筈などありませんw)

別の言い方をすれば、学生であろうがなかろうが今の日本の男達はもう既に、「普通の大人」では無くなりつつある、という次第です。

一方でロシアの皆さんは、かの歌の意味を常識の様に知っている、ということだとすると、ロシアでは、若者達も含めたおおよその国民が「命がけで生きる」という事が一体どういう事なのかをイメージしている、ないしは、文字通り毎日「命がけで生きている」という状況に(少なくとも日本よりは)置かれているのではないかと、思います。

ちなみに、以上はロシアの方の話ですが、韓国やインドネシアや欧州の人たちと話をしてもやはり、どこかで「命がけで生きる」という事を皆、何となくイメージできているように思われます。

つまり、今の日本の男達は、多分もの凄く、世界から取り残されているのです(もっと直截に言うなら、今の多くの日本の男達は恐らく、多くの外国人からすれば付き合えば付き合う程に「軽蔑」されてしまうような代物に成り下がっているのではないかと思えてきます)。

もちろん筆者も読者各位もそうならないように全力で気を付けないといけないのですが──いずれにせよ、日本だけ、なぜそんな事になってしまったのかと言えば、それはきっと、アメリカに戦争に負けて、そのまま隷属状態が続いてしまっていることが根源的な原因なのではないかと、思えてなりません。

自分の国の「存続」を全てアメリカに任せてしまって、命がけで国を守るという振る舞いを放棄して70年も経てば、その「無気力感」が日本中のあらゆるところに蔓延し、何でもかでも「もうどうでもいいじゃん」ってことになっているのではないかと──思うわけです。

まさに「一身独立し、一国独立す」とは正反対の「一国隷属し、一身隷属す」のプロセスが激しく展開しているのが、我が国と今日の日本男児の置かれた状況なのではないかと思うのですが───そのあたりについてはまたの機会に、じっくりとお話したいと思います。

ついてはまずは今週は是非、男も女も本気で生きている「灯火」の歌詞の世界に少しだけでも思いを馳せていただければと思います。

では、また来週!

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PS2 今日の夜に放送する『週刊ラジオ表現者』の今週の一曲は、柴山さんご推薦の、ジミヘンがカバーしたボブディランの「見張り塔からずっと」。ジミヘンのギターソロが滅茶苦茶カッコイイですw 是非、御聴取下さい。
https://the-criterion.jp/category/radio/
(↑明日までにはこちらにアップロードします)

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