本日、「表現者クライテリオン」の第二号が発売となりました。
本号は、1月21日の西部邁先生の自殺を受けて、急遽刊行することとなった「西部邁・特別号」。
本記事文末(あるいは、下記HP)に記載した64名もの方々から、「西部邁」にまつわる実に多様なご寄稿を頂戴し、それに、西部先生ご本人の生前の記事やお写真、記録等をとりまとめたものとなっています。
ご案内の通り、西部邁先生の自殺については「幇助」の件も含めて今、様々に報道されているところですが、本特集号は、まさにそうした報道の「直後」の発売となりました。
ただし、そうした報道事実の有無に関わらず、本特集は世に刊行する意義あるものであると、本誌を手に取りながら今、改めて感じています。
この特別号がどういう趣旨で編纂され、刊行が企画されたのか―――それについては以下にそのままの形で転載いたします本特別号の関東の「発刊に寄せて」をご一読頂ければ幸いです。
この「発刊に寄せて」はもちろん、自殺幇助の報道「以前」の時点(3月15日時点)に書かれたものです。
ですが、今、改めて読み返してみましても、執筆者としてその趣旨に修正を加えねばならぬと感ずるところは何一つございません。
つまり、本特集号は、その後の報道がどうであれ、そして西部先生の最期の「死に様」が如何なるものであれ、世に出されねばならぬものであったと―――今、改めて感じているところであります。
ついてはまずは是非とも、下記ご一読の上、ご関心の方は本誌、手にとって頂けますと幸いです。
何卒、よろしく御願い致します。
――『表現者クライテリオン』特別号 「西部邁 永訣の歌」 発刊によせて――
『表現者criterion』編集長 藤井聡
「西部邁」──これほどまでに語り尽くす事が難しい人物は、もう我が国に生まれ得ぬかも知れない。
北の大地、北海道で生まれ、幼少期から重度の吃音に苦しめられた。東京大学に入学後、左翼として安保闘争に参加し、その過激な行動で投獄されるも出所後、卒業前に決別。
大学院に進学し経済学を学び、世界中の数理経済学者が解き得なかった難問をたった一晩で解いて見せる程の学者としての力量が評価され、横浜国立大学、そして東京大学の大学教員となる。
それ以後、経済学の業績を重ねつつ、言論活動を展開。四十九歳の時に人事問題で教授会に徹底抗議し東京大学教授を辞職。
その後、「保守思想」を標榜し、その理論化に大きな功績を残しつつ言論活動を展開、言論誌『発言者』『表現者』を創刊し、発刊し続けた。
その間、凄まじい数の書籍を出版する一方、数多くの学者、言論人の弟子を輩出。
そして最期は「自決」の旨を書籍、メディア等で公言し続けた中、多摩川で入水自決。
享年七十八歳。
自決の折、その体躯にハーネスを付けロープで結び、木にくくりつけたまま入水したというその様子から、第三者の関与可能性が疑われ、平成三十年三月十五日現在、捜査が進められていると言う──。
右翼なのか左翼なのか、学者なのか言論人なのか、はたまた聖人なのか俗人なのか、そしてその最期は一体いかなるものだったのか──そういったあらゆる通常のカテゴリーに基づく論争の全てをはねのける凄みを宿した人物、それが「西部邁」という一人の人物であった。
本特集号は、そんな「西部邁」を直接間接に知る64人に上る様々な方々から、「西部邁」という一人の人物を論じ、その生前の姿を回想頂く様々な文書をお寄せ頂いた。
執筆者の中には「西部邁」の思想と生涯に激しく魅了された者からそうでなかった者、
その思想に焼かれ追従し続けた者から戦い続けた者、
凄まじき真剣なる倫理を生きた人物と評する者から単なる鬱になったのではないかとの素朴な印象を語る者、
その死を悼む者からその生を徹底的に客観的に論じた者、
さらにはその「最期」に大いなる意味を見いだす者からその逆に徹底批判する者
―――「西部邁」の人物それ自身の多様性、多面性を反映するように、その「西部論」や回想文もまた恐るべき多様性、多面性をもつものとなった。
本特集は執筆依頼こそ編集部が行ったものではあるが、あくまでも「西部邁」という人物の多面性をそのままに記録し、半永久的に保存する事を企図したものである。
したがって、寄せられた多様な西部邁論や回想文を特定の意志で取捨選択することなくそのままの形で収録している。その意味に於いて本特集は、特定の解釈を強要したり要請したりするものでない。
つまり本特集は追悼文集、回想文集と読むこともできれば、西部邁論集と見ることもできるものである。そして無論、「西部邁」が如何なる人物であったのかの解釈を全て、読者一人ひとりに委ねるものである。
そんな「西部邁」の解釈が如何なるものであったとしても、「西部邁」が作り守り続けた言論誌『発言者』『表現者』の後継誌として創刊された『表現者criterion』にとっては、「西部邁」の生と死、そしてその思想を生者達の記憶と表現力の限りを尽くして包括的に記録することは、雑誌としての重要な責務に違いないと本誌は考えている。
なぜなら、肯定的であろうが否定的であろうが愛惜的であろうが論述的であろうが、「西部邁」という存在に何らかの形で興味や関心を持つ全ての人々にとって、能う限り集めた「西部邁」についての生者達の記憶や批評は重大な意義を持つものだからだ。
「保守と対峙する保守思想誌」として創刊された『表現者criterion』はこうした認識の下、「西部邁」の平成三十年一月二十一日の死を受け、創刊直後であるものの開始した連載等を一旦中止し、その第二号の全ての誌面を「西部邁」についての生者達の記憶と批評の記録に捧げる事とした。
ついては――冥福などあり得ないと言い続けた西部邁氏に敬意を表しつつ――「西部邁」を語らんとするあらゆる「生者達」の生の営みに本特集が貢献せんことを、心から祈念したい。
目次
巻頭写真集:西部邁アルバム
第I部 西部邁を論ず
西部邁氏追悼 ――ひとつの回想/佐伯啓思
思想家・西部邁の出発点/富岡幸一郎
「非行」としての保守――西部邁氏追悼/小浜逸郎
保守思想のパイオニア、西部邁/橋爪大三郎
保守主義者たらんとする者/松原隆一郎
不良少年の唄を奏で続けた人/三浦小太郎
吃音の果て――西部先生の死を超克するために/佐藤健志
「具体・抽象」「実践・認識」を巡る真剣なる生/藤井聡
真剣な会話、神聖な儀式/柴山桂太
思考の硬直を排した言論の平衡術/村上正泰
反逆する保守―― 西部邁論序説/中島岳志
「他者」への信仰 ――西部邁の〈コンヴァージョン=回心〉/浜崎洋介
「全体性」を武器にニヒリズムと闘った思想家/川端祐一郎
第II部 西部邁を追悼す
西部邁氏を偲ぶ――自由にして独立自尊の人生に敬意を表します/森田実
西部邁氏との二度の遭遇と学問的・思想的親近性/野中郁次郎
西部邁君、安らかにお眠りください/浜田宏一
アジテーター西部/長崎浩
御魂は大雪山に舞っていますか/東原吉伸
輝き続ける星/中山恭子
西部邁さんの追悼文/榊原英資
『Japan Currents』と『北の発言』/原洋之介
西部先生を偲んで/高山平一郎
ノーガードで生きた人生/佐高信
西部邁先生の訃報に想ふこと/脇雅史
西部邁先生を偲んで/大石久和
西部邁先生の教え/竹村公太郎
一回だけのデモの呼び掛け/呉智英
西部邁氏の死を見据えて/宮本光晴
死といふもの/福田逸
西部さんの想い出/三田誠広
「男らしい」死/上野千鶴子
最初と、最後の装幀/芦澤泰偉
書きたくなかった文章/佐藤洋二郎
保守主義者の「戦争」/絓秀実
月の沙漠を歩む人/水島総
深々とした畏怖の感情/中沢新一
「色いろあった」けれど……/杉原志啓
西部邁流「宮澤喜一」論――オーラル・ヒストリーを通して/御厨貴
日本の古き良き歌によって日本人のコモンセンスを伝えたい――西部先生から頂いた宝物/青山恵子
戊戌睦月念一 氷寒沁骨/高澤秀次
「知性」の終焉/西村幸祐
真剣に楽しんだ社交の日々/寺脇研
西部邁氏の思想との出会い/小林よしのり
「執筆業」を始めたころの西部先生/東谷暁
西部邁先生追悼/新保祐司
正しい敗北主義と自決主義/伊藤貫
回想 西部邁先生/前田雅之
三途の川辺に、鬼が集まって酒宴張る! ダンチョネ/木村三浩
淡雪の降る前に/雜賀風紗子
「義」の人/西田昌司
追悼 西部邁先生――その思想と義侠に触れて/上島嘉郎
生死の源/藤沢周
西部邁さんを悼む――思い出すままに/中沢けい
終いは少年志気のごとし/澤村修治
西部邁さんに鍛えられたからこそ、今の私がある/辻元清美
兵頭二十八による追悼文/兵頭二十八
後に続く者の責任/八木秀次
西部邁先生のこと/占部まり
西部邁先生の御霊に誓う/森川亮
西部邁先生と沖縄/藤原昌樹
「自分のことは一番後回しにしなさい」――西部邁先生の思い出/施光恒
一塾生の回想/毛利千香志
西部邁さんの思い出/適菜収
「真正の知識人」たらんとした老師に近づいて/楊井人文
第III部 付録
略年表
書誌
雑誌『発言者』の発刊にあたって/西部邁
未だ消えず、真正保守への途――別れの挨拶に代えて/西部邁(『発言者』廃刊に際して)
『北の発言』創刊趣旨/西部邁
『発言者』塾資料/西部邁
憶い出の人々(一)死ぬのは恐いことじゃない/西部邁
自殺できて安堵しております/西部邁
以上