先週の浜崎さんのメルマガで、「論理や知識」は学校でも教えることができるが、論理や知識の適切な「使い方」というものは、生活習慣の中で生き方や常識として身につけるほかない「文化」であって、それ自体を取り出して学校教育の中で明示的に教えることは難しいのだというお話がありました。そして「文化」が衰退した現代社会にあっては、エリートが論理や知識を好き勝手に振り回す場面も多く、その意味で福田恆存は「高い教育を受けた人ほど教養がなく、現代文明の先端をいく都会人ほど教養がない」と言ったのであると。
その話を読んで、少し別の観点から「エリート」と呼ばれる人たちの問題点(とも解釈できる傾向)を論じた議論を思い出したのですが、心理学の分野で「頭がいい人ほど視野が狭い」ことを示唆する研究や、「頭がいい人ほど偏見を持ちやすい」ことを示唆する研究があるようです。以下の紹介は、単純化と私のやや過剰な解釈が入っていますので、正確に理解したい方は最後に示す論文を読んでみて下さい。
一つは、目の前の画像の微妙な動きに気づく速さがIQの高さとどう関係しているかを調べた実験で、「小さい画像」の動きに気づくのはIQが高い人ほど速いのですが、「大きい画像」の動きになると、むしろIQが高い人ほど気づきにくくなってしまうというものです。著者たちの説明では、IQが高い人は情報処理が速いのだが、その一つの要因は無駄な情報を捨てて「最も重要な問題」に集中しているからで、大きな画像が対象になるとそれは「無視して良い背景情報」として扱われてしまい、うまく処理できないのだと解釈されています。
画像を見るという実験なので、文字通り目に見ている範囲としての「視野の広さ」と、比喩的な意味での「視野の広さ」の話がごっちゃになりそうですが、ここで大事なのは後者の方です。確かに学校でも会社でも、頭が良い優秀な人というのは、無駄なことはせずに一番大事なことに集中しているような気はしますよね。それは確かに重要なスキルだと思うのですが、その一方で人間社会の中では、一見どうでもよさそうな習慣や、無駄話としか思えない会話が、意外と重要だったということもよくありますから、集中し過ぎるのはよくないはずです。
また、政治や経済をめぐる議論のように「社会がどうあるべきか」を論じる際は、社会というものは一つの大きな「全体」ですから、なるべく総合的・多面的に分析したり解釈したりしないといけません。しかし鋭い分析をしようと思ったら、どうしても全体をみるよりは一部分に関心を集中せざるを得ません。頭がいい人はそれが得意で、関心を集中することによって色々な問題を解決していくのですが、その集中の過程で「社会の全体像」が見えなくなることもあるかも知れませんね。
もう一つの研究は、ある視覚的な特徴(例:青い肌、丸い顔など)をもった宇宙人のイラストを友好的な態度(例:他の宇宙人にチョコをあげている様子)と結びつけて描き、別の特徴(例:黄色い肌、四角い顔など)をもった宇宙人を敵対的な態度(例:他の宇宙人からキャンディを奪い取る様子)と結びつけて描いたものを見せられると、人間はそれ以降、「丸い顔の宇宙人はいい奴」「黄色い肌の宇宙人は悪い奴」と思い込みやすくなるという実験です。それとあわせて、人間の写真を用いた似たような実験も行われています。
事前情報によって思い込みが発生する現象自体は「プライミング効果」等としてよく知られたものですが、この研究では「頭がいい人」ほど思い込みが発生する度合いが高いことが示されているのが特徴的です。被験者の頭の良さは、数列の穴埋め問題みたいなものを解かせることによって測っていて、それは要するに「パターン認識能力」を示しています。パターン認識能力が高ければ「丸い顔=良い奴」「黄色い肌=悪い奴」という法則を抽出するのも速いでしょうから、この実験が示しているのはある意味で当然の結果であるとは言えますね。
それでも、「頭がいい人」についての面白い示唆を与えてくれる研究ではあります。頭がいい人は、普通の人が気づかないような法則(パターン)を発見するのが得意なわけですが、その能力の裏返しで、いわゆる「ステレオタイプ」「偏見」みたいなものにもハマりやすいということです。ただその研究では、「人は肌の色で判断してはいけない」といった別の情報を与えると、偏見を修正するのも「頭がいい人」のほうがスムーズでした。頭がいい人は、偏見を持つのが早く、逆に適切な知識が与えられれば偏見を捨てるのも速いということですね。
もちろんこういう実験というのは、1度得られただけの結果を法則として強く主張して良いものではありません。少しずつ議論の観点や実験方法を変えながら、何度も何度も研究を繰り返して、一貫して同じような結果が出るということがわかって初めて、「なるほど、賢さには危険な面もあるんだなぁ」ということが言えるわけです。そのことを弁えた上でですが、上述のような研究は、我々が普段生きていて直観的に感じていることに、有意義な説明を与えてくれているような気はしますよね。
会社や役所のようなフォーマルな組織においては、ある程度「賢い人」が重要な役割を担うことになるのは仕方ありません。彼らの能力が必要で、彼らの判断に組織の未来を託さなければならないという場面は多い。でも同時に、「賢い人」や「優秀な人」が、ひょっとしたらある「偏り」を持っているかもしれないということを意識しておくのは有意義でしょう。人間社会というものは、一見無駄にみえる要素も含めて全体が複雑に絡み合っているものなので、「重要な問題にフォーカスする能力」や「パターン認識の能力」だけでは不十分なのです。
むしろ普通の意味では「鈍い」人のほうが、物事の「全体像」が見えていたり、偏見にとらわれずにものを考えることができたりすることも多いかもしれません。もしそうだとすると、上述の研究で示されているように、賢い人たちは「自分の間違いを修正するのも速い」のですから、みんなで「あなた偏ってるよ」と指摘してあげればいいのです。ただそのためには最低限、賢い人たちに「自分は間違っているかもしれない」と思うだけの謙虚さは持ってもらう必要がありますね。それがひょっとしたら、最も重要な「文化」の一つかもしれません。
〈参考文献〉
Melnick, M. D., Harrison, B. R., Park, S., Bennetto, L., & Tadin, D. (2013). A strong interactive link between sensory discriminations and intelligence. Current Biology, 23(11), 1013-1017.
Lick, D. J., Alter, A. L., and Freeman, J. B. (2017). Superior Pattern Detectors Efficiently Learn, Activate, Apply, and Update Social Stereotypes. Journal of experimental psychology, General(online)
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