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【浜崎洋介】尾上和希さんからのご質問、「整形の是非」についてお答えいたします。

浜崎洋介

浜崎洋介 (文芸批評家)

 こんにちは、浜崎洋介です。
 今回は、尾上和希さん(男性・28歳・無職)から頂いた「整形の是非について」という質問に答えたいと思います。

 私の見たところ、尾上さんの質問は、大きく分けて二つの疑問から成り立っています。整理すると、一つは、「なぜ、整形に対して不快感を持ってしまうのか」というものであり、もう一つは、「しかし、実のところ、整形に対する不快感は、『自分にはこれしかない』と思えない自分自身に対する近親憎悪ではないのか」というものです。

 読んでいて引き込まれる質問というのは、なかなかないのですが、尾上さんの質問には、引き込まれました。それだけ切実な響きがあったということなのかもしれませんが、順を追って答えていきたいと思います(質問の全文は、最後に掲げておきます)。

 まず、「なぜ、整形に対して不快感を持ってしまうのか」という質問ですが、私は、その「不快感」の理由として、三つのことを挙げられると考えています。

 まず一つは、与えられているもの(顔)に対して従うことのできない、その人のエゴイズム(歯止めの利かない欲望)です。人は性別を選べませんし、容姿も選べない。そして、もちろん、生と死という事実そのものも選ぶことができません。しかし、だからこそ、その選ぶことのできないもの(宿命)との関係において、その人の「恣意」を超えた「人格」が、つまり、その人の分際をわきまえた生き方(型)が現れてくるのです。

 とすれば、その与えられたものを引き受けられない――あるいは、それと折り合っていけないという姿勢それ自体のうちに、「整形」に走る彼/彼女たちの「人格」の弱さが、つまり「倫理」なきエゴイズムのありようが印象づけられてしまうのだということです。

 そして第二に、今言ったこととも関係してきますが、だから「顔」は、尾上さんも仰るように、「社会に応接する外面」であるより以上に、「内面が滲み出る場」でもあるのです。つまり、「顔」は、単に交換可能な「仮面」(外面性)ではない。

 というのも、それは単なる断片ではなく、その人の人格や態度、あるいはその人の表情や語り口と一体化した「全体のなかの部分」としてあるからです。だから、逆に言えば、その「部分」を「部分」として切り離してしまえば、彼/彼女の「顔」は断片と化してしまうということにもなります。おそらく、この「全体感(人格)」を失った断片性の感覚が、「整形」に対すいるグロテクスな印象を私たちに与えてしまうのでしょう。

 そして最後に、百歩譲って「顔」がある程度まで「外面性」に還元できるものなのだとしても、それによって作り上げられた具体的な人間関係だけは、交換可能なモノ(外面性)として扱うことはできないということがあります。たとえば、見慣れた街の風景や、手に馴染まれた道具が、その外面性(モノ性)にも関わらず、決して交換可能なモノには還元できないように、「外面」を通じて紡がれた関係それ自体(信頼・絆)は、外面化されずに、私たちの内的リアリティのなかに食込んでくるのです。

 ということは、「外面」を変えてしまうというのは、その「外面」を通じて紡がれてきた関係に対する裏切り行為だとは言えないでしょうか。つまり、「整形」とは、自己と他者との関係の履歴(歴史)、その信頼の基盤(内的リアリティ)を自ら壊してしまう行為であるがゆえに自己破壊的なのであり、まさに「自殺」的な行為なのだということです。

 その意味で言えば、もし、「自分で稼いだお金で、可愛くなるんだから、(整形は)別に悪いことじゃないよね」と言われれば、私なら、おそらくこう答えます。「そうだね。赤の他人にとっては、そうなんだろうけど、僕との関係においては『悪いこと』だよ」と。

 さて、その上で、「整形に対する不快感は、『自分にはこれしかない』と思えない自分自身に対する近親憎悪ではなかったか」という、第二の質問にお答えしたいと思います。

 ただ、正直言うと、私は尾上さんの言葉を疑っています。というのも、完全に「アノミー的状況」に陥っている人間が、尾上さんのような「素直」な質問を発するとは、どうしても思えないからです。言い換えれば、「アノミー」に陥っている人間(ニヒリスト)は、自分の弱さを言葉にできる「素直さ」――他者を信頼しようとする意志や力――さえ持つことはできないのだということです。

 たとえば、尾上さんが自分に引き比べている、相模原事件の植松容疑者は、「『自分にはこれしかない』という実感が、どうしても分からない」ということを素直に認めることができなかったがゆえに、「無用な障害者は国家のために抹殺すべきだ」という浮ついた大義名分に縋らなければならなったのではないでしょうか。それに比べ、尾上さんは、まだ、自分の「実感のなさ」を素直に認め、それを言葉にするだけの力(実感)を持っている。

 そして、さらに言えば、私は、この「素直さ」ほどに、他者関係において「力」を持つものはないと信じています。というのも、「整形」というものが、臆病さゆえに被らなければならなかった他者に対する「仮面」(嘘)なのだとしたら、逆に「素直さ」こそは、その「仮面」(嘘)を超えて、他者との信頼を取り結ぼうとする生命力の発露そのものとしてあるからです。

 だから、まず「素直」で「正直」であればいいのです。その上で、もし「『自分にはこれしかない』という実感が、どうしても分からない」のだとすれば、それはそれでいいのではないでしょうか。断言しますが、もし、それを素直に認めるだけの心の強さを持ち続けることができるのなら、それ自体が「力」となって、「これしかないと思えるもの」(関係性)は、自ずと向こうからやってきます。

 あるいは、こう言い換えてもいい。外在的な意味の全てがはげ落ちて、「虚」となった自分自身の姿を本当に認めることができるのであれば、おそらく、そのときこそ見えてくるはずなのです。それでも立っていられる自分が何によって支えられてきたのかということが。あるいは、そんな「虚」となった自分自身のなかに映り込んでくる他者の裸の姿が。

 あとは自然に任せて「待つ」ことです。焦って無理をしても仕方がない。それさえできれば、ほかのことは徐々に、徐々に継起してきます。

 果たして、尾上さんの質問に正確に答えられたかどうかは心もとないですが、以上を、私からの答えとさせていただければ幸いです。

尾上和希さん(男性・28歳・無職)からご質問・全文

「整形」について、先生方のお考えをお聞きしたく、質問させて頂きます。

私の友人に、風俗嬢として、働いている女性がいます。
彼女は、体を売って月に百万円以上を稼ぎ、その大半を、整形やホスト通い、ブランド品の購入に充てているようです。
来月には、韓国まで行き、鼻と目の整形や脂肪吸引をするのだそうです。
その生活ぶりを、嬉々として語る彼女を見て、暗澹たる思いが去来しました。
私は、彼女の生き方に、強烈な不快感を感じるのです。

しかし、彼女に、整形について「自分で稼いだお金で、可愛くなるんだから、別に悪いことじゃないよね。」と、問いかけられた時、答えに窮しました。
確かに、稼いだお金をどう使おうが自分の勝手、という論理には、一定の説得力があり、また、美しくなることに効用があるのも事実です。
私は、曖昧な言葉しか返せませんでした。
彼女の問いが、いつまでも心に引っかかり、自分の言葉で、答えを出さなければならないと強く思っております。

私は、整形に関して、以下のように考えています。
つまり、顔は、社会に応接する外面であり、人格形成に影響する一方で、内面が滲み出る場でもあります。
この相互応答の中で、人の顔は、風貌を獲得していくのではないでしょうか。
このような顔を、好きな形に整える「整形」という行為は、自分の拠って立つ基盤を破壊し、代替可能な物に挿げ替えるような、ある種の「自殺」であると考えます。

ただ、ここまで考えると、私が感じた不快感は、近親憎悪だったのではないか、という問いが浮かびました。
彼女の虚無的な行為は、私自身の虚無感に通底している、そう思えてならないのです。
私は、精一杯生きてきたつもりです。
世間から見れば、受験や就職に成功し、恵まれた人生です。
しかし、「自分は何物にもなれなかった」という無力感が、血肉にまで充溢している。
彼女もまた、そうなのではないか、という感覚があります。
そんな時、歴史の知恵は、「絶望から始めよ」と教えてくれます。
ですが、「自分にはこれしかない」という実感が、どうしても分からないのです。

一昨年は、相模原19人刺殺事件の植松容疑者が、そして昨年には、座間の殺人鬼と呼ばれた白石容疑者が、世間を騒がせました。
彼らが犯したのは、アノミー的“殺人”であり、整形を重ねる彼女の生き方は、アノミー的“自殺”なのではないか。
そして、系譜を辿れば、彼女・彼らと私は、同じ血族なのではないか。
彼らと、件の女性もまた、私と同い年の28才であります。
中上健司が、永山則夫に対して感じたように、「あいつ」は「俺」で、「俺」は「あいつ」でありえたという実感だけが、手元にあります。
すなわち、「整形」について考えることは、「アノミー的状況」に耐え、実感のある「生」に到達するために、不可避かつ身近な問題として、提出されているように思えるのです。

以上について、自前の言葉で、どう答えを出すかは、私自身の問題であります。
しかし、もし先生方が、私の立場でしたら「整形の是非」について、どうお答えになったでしょうか。
先生方にヒントを頂き、自分の考えを深めていきたく、ご連絡させて頂きました。

稚拙な文章で大変恐縮ですが、以上、何卒宜しくお願い申し上げます。

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