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【西脇享輔】「木原事件」が炙り出すマスメディアの沈黙ー報道機関を覆う「統制」と「横並び」

啓文社(編集用)

啓文社(編集用)

民主主義の土台のはずの報道が機能しなくなっている。
その一例が大手マスコミによる「木原事件」の黙殺である。

 

「木原事件」の核心

 昨年十一月二十日、私は五十三歳で株式会社テレビ朝日を辞めた。五か月前に法務部長に昇進したばかりであと何年か会社に残れば退職金も満額になるはずだった。

 しかし「木原事件」を取材し続けるためには、会社を辞めるしかなかった。

 平成十八年四月、当時二十八歳の安田種雄さんが自宅で遺体で発見された。死因は刃物による喉の刺し傷。自宅には安田さんの妻もいたが、警察は直後に自殺として捜査を終了した。十二年後の平成三十年、初動捜査がおかしいと気付いた他の捜査官によって再捜査が始まったが、安田さんの妻だった女性の事情聴取を始めて間もなく捜査は終了となった。この時、女性は再婚し、木原誠二衆院議員の妻となっていた。

 これが「木原事件」と週刊文春が呼ぶ事案の概要で、再捜査の打ち切りに木原氏の影響がなかったのか等が取り沙汰された。

 この事案の核心は司法機関に対する政治家の圧力の有無だ。司法機関が政治権力の「道具」になったときに何が起きるかは、ミャンマー軍部による非公開の裁判によって令和四年に合計三十三年の懲役・禁錮刑を言い渡されたアウンサンスーチー氏(当時七十七歳。なお翌年「恩赦」によって刑期が二十七年になったと報じられた)の例を見るまでもなく明らかだ。独裁者はいつの世でも真っ先に司法機関を影響下に置こうとする。

 その意味で「木原事件」は我が国の民主主義の根本に関わり得る事案のはずだった。

 しかし週刊文春の報道後、この事案を取材・報道する大手マスコミはほぼ存在しなかった。

 マスコミ各社がこの事案を知らなかったわけではない。平成三十年の再捜査当時から大手マスコミはこの件の情報を得ており、木原氏の関係先への警察の捜査を取材した報道機関もあった。

 また令和五年の報道の際、週刊文春は異例の情報公開を行った。安田氏の遺族や再捜査の内幕を告発した元刑事の記者会見を主催し、報道各社が遺族らを個別に取材するための受付窓口まで作ったのだ。この事案を多くの報道機関で報じてもらい問題意識を拡げるためだった。

 私がこの件の取材を始めた入り口もこの週刊文春側の受付窓口だった。当時勤務していたテレビ朝日とは関係なく個人で取材していた私が窓口の存在を知ったのは遅く、連絡したのは開設一週間後だった。しかしそこで驚くべき事実を聞かされることになる。

 その時点で、個別取材を申し込んだ大手メディアは一社もなかったのだ。他に取材する人がほぼいないと分かった瞬間、私は会社を辞めてでも取材することを決めた。

記者クラブを通じた「統制」

 しかしなぜ注目を集めていたこの事案を大手マスコミは黙殺したのか。私は理由は二つあると考えている。

 一つは記者クラブ制度を通じた「暗黙の統制」だ。我が国の大手報道機関は各官公庁等に「記者クラブ」を作り取材を行っている。事件報道は警視庁記者クラブなどが拠点となり、捜査幹部からの発表やリーク情報を摑んで記事にする。

 この制度は情報を与える官公庁側からみれば報道をコントロールするのに適している。それもそのはずで、現行の記者クラブ制度は太平洋戦争時に政府が情報統制のために作った枠組みを継承している。

 我が国の記者クラブは明治二十三年、第一回帝国議会の取材禁止に対抗して結成された「議会出入り記者団」が発祥とされている(1)。当初の記者クラブは記者の自治的組織で①記者個人で加入し、②主要官公庁には複数存在していた(2)

 しかし昭和十六年十一月二十八日「新聞ノ戦時体制化ニ関スル件」の閣議決定によって「現在ノ乱立無統制ナル記者クラブ」を「整理ス」とされ(3)、太平洋戦争開戦当日の昭和十六年十二月八日、①報道機関が会社単位で加入し、②一官公庁一記者会とし、メンバーも大手報道機関に限定する閣議決定がなされた。記者クラブの目的は「当局ト協力シテ皇道ヲ自覚シ新聞通信ノ国家的使命ヲ達成スル」こととされ(4)、戦時下の報道が始まった。

 現在の記者クラブはこの開戦当日に再編された枠組みと同じく主に報道機関が会社単位で加入し一官公庁一クラブだ。不特定多数の個人を相手にするより特定少数の大企業に特権を与え懐柔した方が制御しやすいことに目をつけた仕組みは、現在も報道機関を事実上統制する効果を持ち得る。

 その効果は「木原事件」報道にも見て取れた。週刊文春報道直後、警察庁や警視庁の幹部が相次いでこの件を「事件性が認められない」とするコメントを発出すると、大手マスコミは取材を止めたのだ。個別事件について捜査幹部が見解を公にすることは極めて異例だが大手マスコミが問題とすることはなく、その姿には記者クラブを通した「暗黙の統制」が感じ取られた。

ジャニーズ性加害問題にみる報道の「横並び」

 そして私は「木原事件」を巡る報道が広がらない背景にはもう一つ、更に根深い理由があると考えている。それは大手報道機関の「横並び主義」だ。

 マスコミ界はエスタブリッシュメント化が進むにつれ失敗やリスクに極めて敏感になった。ミスのない報道を目指すことは当然だが、一方でリスク回避ばかりを優先すると他社が報じていない事項の報道には及び腰になる。一社単独より、全社「横並び」の報道の方が安全だからだ。

 旧ジャニーズ事務所の性加害問題報道はその例だ。この問題は平成十一年十月から週刊文春が十週以上にわたって報じても、平成十五年七月に東京高裁が週刊文春の記事内容を真実と認定しても、令和五年三月にイギリスBBCテレビが報じても、同年四月に被害者が記者会見を開いても、大手マスコミが大々的に報じることはなかった。

 この件が一斉に報じられるようになったのは令和五年五月の藤島ジュリー景子社長(当時)のコメントや同年九、十月の記者会見によってジャニーズ事務所側が見解を示した後だった。これを合図に大手マスコミ各社は「報じても大丈夫なニュース」と判断し「横並び」で報道を始めたのだった。こうしたマスコミの姿は、林眞琴元検事総長を座長とする「外部専門家による再発防止特別チーム」の調査報告書で「マスメディアの沈黙」と厳しく指摘された(5)

(続きは本誌にて…)

(1) 日本新聞協会二〇〇六(平成十八)年三月九日第六五六回編集委員会一部改定「記者クラブに関する日本新聞協会編集委員会の見解」
(2) 里見脩著『言論統制というビジネス 新聞社史から消された「戦争」』(新潮社)、ローリー・アン・フリーマン著/橋場義之訳『記者クラブ 情報カルテル』(緑風出版)参照
(3)現代史資料『マス・メディア統制 二』(みすず書房)
(4) 有山輝雄・西山武典編『近代日本メディア史資料集成第2期 情報局関係資料第2巻』(柏書房)掲載「新聞記者倶楽部規約案及び新聞記者会構成案に関する件」
(5) 二〇二三年八月二十九日付外部専門家による再発防止特別チーム「調査報告書(公表版)」

〇著者紹介

西脇亨輔(にしわき・きょうすけ)
70年千葉県生まれ。東京大学法学部卒業。大学在学中に司法試験に合格。司法修習修了後の95年、株式会社テレビ朝日にアナウンサーとして入社。「ニュースステーション」リポーター、「やじうまプラス」「ワイド!スクランブル」などを担当後、07年同社法務部に異動。23年7月法務部長就任。同年10月、週刊現代に木原誠二元官房副長官に関する記事を寄稿し、翌月テレビ朝日を退社。同月、弁護士として「西脇亨輔法律事務所」を開設。著書に、自身が提訴した裁判の経験を記録した『孤闘 三浦瑠麗裁判1345日』(幻冬舎)。


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