以前の「物と親身に交わるという事」と題したメルマガで、「考える」というのは「かむかふ」こと、つまり、「か身」+「交ふ」ということであるという小林秀雄の解釈を紹介しながら、「今こそ、私たちは江戸の知識人たちが「独学」から身を起こし、それゆえに、まさに国際的にも通用し得たという事実を振り返っておく必要がある」のではないかと書いておきました。
ただ、勘違いされてはまずいと思ったのは、「独学」とは言っても、それは孤独になされた学問とは全く違うということです。いや、「考える」という営みが、「身をもって物と交わること」ならば、その営みは他者と「関係」を紡ぐことと同義だということにさえなります。
実際、私たちは「関係」のないものについては、考える手掛かりを持つことができません。おそらく、学生の多くが(単なる学者や専門人も)、頭だけならともかく、身をもってして「政治経済」や「思想」について考えることができないのも、家族や仕事、自分で自分の生活を立てるということと親身に交わった経験がないからだと思われます。
しかし、その意味で言えば、「考える」ことは、「知識の伝達」を目的にした講義(集団授業)では、身につかないということになります。逆に、それを本当に身につけようと思えば、「塾」や「ゼミナール」のような場所で、「あーでもない、こーでもない」と真剣に議論を繰り返していく「交わり」がどうしても必要になってくるということです。
その交わりのなかで、いかに人間が、自分だけに都合のいい解釈を思い込んでしまう動物であるのか、一つの言葉にはどれだけ広い幅と奥行きがあるのか、それ故に、それを適切に読み解釈するためには「わたしたち」が属しているはずの歴史的文脈がどれほど必要なのか、そして、それを人に伝えるためには、他者に対するどのような配慮や、心遣いや、礼儀が必要なのかなどを学んでいくことになるのです。いや、それら全てのことを学んでいくことこそが「文化」の営みであり、また真の「教育」というべきものなのかもしれません。
その点、やはり江戸の知識人には〈教養=文化〉がありました。
たとえば、硬直していた朱子学を正面切って批判して、その名を同時代の中国や朝鮮にも知らしめた江戸の大思想家=伊藤仁斎が実践していたのも、実は「ゼミナール」です。幼くして「聖賢の道」に志しながら、その熱意の為に三十半ばまで神経症を患ってしまう仁斎が、その病を克服して後に京都の町中に開いたのが「同志会」という塾でした。
「同志会」とは、その名の通り、教師が一方的に教えるかたちを排して、持ち回りのゼミ形式での討論を特徴とした会だったのですが、そのなかで仁斎が見出したものこそ、まさに、朱子学が説く思弁的抽象的な「理」ではなく、日常生活に即した実践の「道」であり、後に「尊王攘夷論の導火線」(中野剛志『日本思想史新論』)とまで評価されるところの、プラグマティックな「仁」の思想、つまり「物に親身に交わる」思想だったのです。
たとえば、「道」について仁斎は次のように語っていました。
「道はなお路のごとし。人の往来するゆえんなり。故に陰陽こもごも運る、これを天道と謂う。剛柔相須(ごうじゅうあいもち)うる、これを地道と謂う。仁義相行なわるる、これを人道と謂う。みな往来の義に取るなり。又曰く、道はなお途のごとし。これに由るときはすなわち行くことを得、これに由らざるときはすなわち行くことを得ず」『語孟字義』
すなわち、仁斎は朱子学の静的な世界観を批判して、世界を「一陰一陽、往来已まざる者」として動的に捉えた上で、人の道もまた、他者が「往来するところ」のものであり、その限りで「仁義相行なわ」れるところなのだと説くのです。そして、そんな貴賤尊卑の他者たちが行き交う「道」を生きればこそ、そこには自然と「四端」の心(惻隠・羞悪・辞譲・是非――思いやり・恥じらい・譲り合い・正邪の弁別)が拡充されていき、まさしく相互コミュニケーション(往来―道)を生きるための規準(仁義)が生まれてくると言うのです。
実際、『論語』を読めば読むほど、孔子という人が時に怒り、時に憂い、時に泣き、時に楽しむ、「生きて、動いていた人」だったことが見えてくるわけで、それが、世界を教理体系に還元しようとする朱子学的な「知識」の手触りとは全く違ったものであることくらいは、すぐに分かるはずなのです。孔子の言葉は、全て対機説法によって説かれており、「死んだ理屈」とは正反対のものとしてあります。そして、仁斎は、そんな孔子の姿を生き生きと描き出す『論語』について、「実に宇宙第一の書なり」(『語孟字義』)と言うのでした。
とすれば、まず私たちの「思考」を立ち起こす最初の一歩は、他者との親身な交わりを生きてみせることだとは言えないでしょうか。そして、そんな他者との交わりを可能とする「仁」の態度、言うなれば、理解し得ない他者と理解し得ないままに付き合っていく「道」こそが必要だとは言えないでしょうか。かくして、熱心な朱子学の徒として「敬斎」を名乗っていた男は、その後に名を変えることになります。「伊藤仁斎」と。
ところで、「宇宙第一の書」である『論語』のなかには、孔子晩年の弟子だと言われる子夏の教えとして次のような言葉が記されていました。「父母に事えては能く其の力を竭【つく】し、君に事えては能く其の身を致し、朋友と交わり、言いて信あらば、未だ学ばずと曰うと雖も、吾は必ず之を学びたりと謂わん」(学而篇)と。
つまり、父母、君子、朋友と交わることを知っている人は、もし学問がないと見做されている人でも、そういう交わりの実践こそが学問なのだから、彼は真に学ぶことをわきまえた人だと言うことができるのだ、ということです。
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