先週のメルマガで、伊藤仁斎の〈道=交わり〉の思想を紹介しながら、「私たちの『思考』を立ち起こす最初の一歩は、他者との親身な交わりを生きてみせること」、つまり、「コミュニケーション」そのものを実践し続けることではないのかという議論を提示しておきました。
すると、偶然にも、そう書いた直後に、「コミュ力と言うけれど」という論説記事が朝日新聞(5月23日付)に掲載されているのを眼にしました。記事によれば、「コミュニケーション能力」というのは、社会が大学に求めているものでもあるらしく、たとえば経団連による企業アンケートによれば、新卒採用で「選考で重視した点」のトップは15年連続で「コミュニケーション能力」だったとのことです。
なるほど、最近、学生たちと話をしていると「コミュ力」という言葉をよく耳にします。
しかし、それを聞いて違和感があるのは、ほとんどの場合、その「コミュ力」が、場の空気に合わせる「調子の良さ」程度のものを意味しているようにしか思えないからです。
事実、記事では、精神科医の斎藤環氏の意見として、若者の間で「コミュ力」と呼ばれているものは、「表層のキャラをいじり合うだけで深い話はせず、コミュニケーションを続ける」その能力であり、しかも、それによって「表層的な心地よさの一方で、一部の相手を排除する攻撃性」を孕むものだという言葉が紹介されていました。だとすれば、それほどに、〈道=交わり〉による「仁」の思想から遠いものもないというべきです。
ところで、この記事で興味深かったのは、この「コミュ力」と言われるものが、ネット空間と親和性が高いと示唆されている点です。御承知のように、ネット空間は、承認を与えてくれる相手に対する依存と、承認を与えてくれない相手に対する攻撃性を誘発する閉鎖空間としてあります。
では、なぜ、ネットは「依存と攻撃」を誘発してしまうのか。
答えは簡単です。逆説的に聞こえるかもしれませんが、そこには「他者」による暴力性がないからです。もっと言えば、身体性が排除されているからです。
ネット空間は、成績や学年などで切り分けられた学校の抽象空間に似て、徹底的にフレーミングされた空間、ノイズを排除した空間としてあります。たとえば、ネット環境を自分で整えられない人間(子供、老人、IT弱者)は予め排除されていますし、アクセスされる空間も、自分自身の趣味や目的や能力によって予め枠づけられている。だからこそ、「他者」の見えにくいその空間で、人のナルシシズム(万能感・依存性)は加速されてしまうのだし、そのナルシシズムを邪魔する存在への攻撃性も加速されてしまうのです。
しかし、身体(あるいは暴力)が介入すれば、こうはいかない。まず、ネット空間特有のナルシシズムが成り立ちません。目の前に「他者」がいた場合、自分に都合が悪いからと言って、その関係を断ち切るというわけにはいきませんし、切るなら切るで、それなりの覚悟を要します。あるいは、逆に「依存」を高めれば高めたで、それが許される信頼関係を築けていない限り、人は、いつか必ず「他者」の拒絶に直面します。
しかし、だからこそ私たちは、「他者」との親身な交わりによってのみ、ナルシシズムを超えた学び――出るときは出、引くときは引くといった他者に対する適切な距離感(一線=文化)を学ぶことができるのではなかったか。いや、そもそも、自己の殻(ナルシシズム・自意識)を破ることによってのみ、それまで知らなかった自分を知ることができるのだとすれば、自意識に始末をつけることにこそ、「学び」の本質があると言うべきです。
しかし、それなら、空気を読み合う「コミュ力」や、ネット空間独特の閉鎖性ほどに、私たちの「学び」を阻害するものもないということになる。
ただ、もちろん私は、ただ単純にネットを否定しようとは思っていません。事実、こうしてメルマガを書いている時点で、私は「道具としてのネット」を肯定しています。
ただ、それでも、ネットによって人々の「コミュニケーション能力」が向上するなどとは露ほども信じていないことは言っておかなくてはなりません。むしろ事態は逆で、ソーシャルメディアの発達によって、これから先、私たちの「ソーシャル(社交)」はますます奪われていくはずです。だから課題は、この拡大していく一途の「ソーシャルメディア」に対して、その外に、いかにして真の〈交わり=道〉を残しておくのか、「直接的なコミュニケーション」の場を担保しておくのかという一点にこそあると私は考えています。
そういえば、かつて、江藤淳は、米国の傘の下で「他者」に直面できず、それゆえに「成熟」できない戦後社会を批判して、それを「ごっこの世界」と呼んでいました(「『ごっこ』の世界が終わったとき」1970年)。が、今や、「現実をへだてるクッション」は米国だけではないと言うべきなのかもしれません。ブログ(FB)、ツイッター、インスタグラム、それらの「ごっこの世界」によって、私たちはますます「成熟」から遠ざけられているのです。
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