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【川端祐一郎】我々の仕事を奪うのはAIではない

川端 祐一郎

川端 祐一郎 (京都大学大学院准教授)

最近、「人工知能(AI)」が我々の社会にどのようなインパクトを与えるのかという議論をよくみかけますね。先日、雑誌『表現者クライテリオン』の編集会議(という名の飲み会)でも少し話題に上り、いくつか思い出したことがあったのでこのメルマガにも簡単に書かせて頂こうと思います。

ここ数年で目覚ましい発展を遂げているのは、機械学習という分野において「ディープラーニング」と総称されているアルゴリズム群です。これは「データとデータの間にこういう関係があるはず」という強い仮定は持たずに、極めて柔軟な分析モデルに極めて膨大なデータを与えて自動解釈させる(というと語弊もあるのですが細かいことは措いておきます)というアプローチで、画像認識、言語処理、囲碁などの分野で従来では想像できなかったほど高い精度の判断力を発揮しています。

このディープラーニングが現代の最も興味深い技術の一つであることは間違いないのですが、現状では、学習に必要とされるデータが非常に多いため適用できる事例が限られている(データが少ない場合はむしろ古いアルゴリズムのほうが頑健だと言われることもある)ことや、自動解釈と言ってもエンジニアによるチューニングがまだかなり必要とされていることなど苦労があるのも事実で、夢のような万能人工知能が実現されつつあると言うわけではないようです。

だから、世間で騒がれている「人工知能」の話には誇張や過大評価も混じっていると思ったほうが良いと思いますし、そもそもほとんどの機械学習エンジニアは「人間のように思考する機械」を作ろうとしているのではなく、特定の問題をディープラーニングによって「より上手に解こう」としているというのが現状だと思いますので、「人工知能」という言葉そのものの使用を少し控えたほうがいいと私は感じます。

ただ私は、「機械ごときが人間を超える判断力を持てるわけはない」と切り捨てておしまいというわけにもいかないと思っています。「人間のように」思考できるようになるかは別としても、専門家ですら何年か前には想像していなかったような成果がどんどん出てきているのが現状ですので、社会的に大きなインパクトがある可能性はあるからです。そしてそのインパクトの例としてよく語られるのが、「人工知能が我々の仕事を奪う」という話ですね。人間の知性や感性とは別モノであったとしても、高性能な人工知能が労働を代替し得る場面がいくらでもあるのは間違いありません。

ケインズは1930年に書いた『孫の世代の経済的可能性』の中で、「“技術による失業”(technological unemployment)という新らしい病に我々は苦しめられつつある。労働力を節約する新たな手段が、労働力の新たな使いみちよりも早いペースで発見されることによる失業のことだ」と言っています。しかし続けて、これは一時的な調整過程に過ぎず、人類は長い目でみれば経済問題そのものを解決してしまうのであって、100年後の人類は労働からもかなりの程度解放され、余暇をどうやって幸せに生きるかという別の問題に取り組んでいるだろうとも語っています。

このケインズの楽観は、半分は外れて半分は当たっていると言えるでしょう。我々がちっとも労働から解放されていないことは自明ですが(笑)、ほとんどあらゆる場面で労働力の節約が進んだ一方で、新しい仕事もどんどん生み出され、むしろ資本装備の充実によって生産性が向上し、全体として豊かになってきたことは確かです。だから、「AIに仕事が奪われる」という悲観論に対して、「一時的(摩擦的)な失業はあっても、技術革新は結局、人間を豊かにするのだ」と反論する人は少なくありませんし、それは歴史的事実でもあります。

ただ、我々が記憶している20世紀半ば以降の成長は、経済活動を政府が比較的強く管理する中で実現されてきたものでもある点に注意が必要です。現代はそれとは逆で、転換の兆しも見られるとは言え、基本的には市場の機能が万能視され、金融資本の力が強く、労働者の利益は軽んじられる世界です。こういう状況下で起きる技術革新を、そう単純に「全体を幸せにするはずだ」と言ってよいのだろうか、という疑問があります。簡単に言うと、「新自由主義と急速な技術革新の組み合わせ」は労働者を幸せにはしないかも知れない、ということです。

実際、18世紀後半から19世紀にかけての産業革命は、大幅な生産の拡大をもたらす一方で、伝統的な共同体を破壊するとともに工場労働者を過酷な状況に追いやって、資本家との対立を深刻化させました。それで、多くの先進国では工場法の制定や福祉国家化による労働者の権利保護が充実していき、大恐慌と大戦争の経験を踏まえてマクロ経済管理の努力も重ねる中で、結果として豊かな先進国経済が実現されてきたわけです。この過程は、「技術革新が我々を幸せにするのだ」という技術決定論だけでは解釈し切れないところがあります。

英国や米国の左翼運動家が、「我々の仕事を奪うのはロボットじゃない、資本家だ」「“技術による失業”をもたらすのは技術じゃない、国家と結託した不労所得階級だ」と煽り気味に書いている記事を読んだのですが、それによると左翼運動においても技術決定論には屈服する人が多く、「社会を作っているのは人間だ」ということが忘れられがちなようです。(マルクス的な唯物史観が今だに根強いのでしょうかね。)
Robots Aren’t Coming for Our Jobs, Capitalists Are
It’s Not the Technology That Causes “Technological Unemployment”

党派色の濃いアジテーションですが、資本主義化もグローバル化も労働の自動化も、自然現象ではなく利害関係を持った人間が進めてきたことであって、技術革新の果実が皆に行き渡る社会を作り上げるのも人間だ、というのはその通りでしょう。そして、それを作り上げる努力をせずに技術革新だけを推し進めた場合、我々がたどり着くのがユートピアではなくディストピアである可能性は高いと思います。

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