中央線太郎さん(26歳、男性、会社員)から、
とてもおもしろい(!)ご質問を頂きましたので、
今日はそのご質問について、お答えしようと思います。
『もともとロックが大好きで、
特に、ロックの核にある「自由」に激しく惹かれていたけれど、
大学生の時に福田恆存が保守思想的な観点から
「ロック的な自由」(と覚しきモノ)を
徹底的に批判していたのに触れて以来、
ロックが全く楽しめなくなってしまった。
―――にも関わらず、
藤井や柴山さん達が最近、「週刊ラジオ表現者」で、
ジミヘンだのツェッペリンだのブルーハーツだのが
すごく良いとか言いながら、毎週、紹介している―――
「なんじゃこりゃ? なんでやねん!?」
と思うのだが――保守思想とロックって、
一体どういう関係があるのか教えて下さい』
(※ ご質問本文は文末に掲載します)
このご質問にお答えするにあたって、
まず当方から最初に言うべきことは―――
やはり、当方は兎に角、ロックが大好きだった、
という事実かと思います(!)。
(※ なお、ロックに関心無き方は、
ロックについての記述は全て読み飛ばして頂いても、
十分お読み頂けると思いますので、是非、
最後までお読み下さい 笑)
当方がまだ幼稚園児くらいの頃、
兄や姉が聞いているツェッペリンの「移民の歌」を聞きながら、
ボンゾのドラムとジミーペイジのギターに乗っかった
ロバートプラントのボーカルは、
自分たちが住んでいるこの世界とは全く違う世界からやって来た
なんだかよく分からないスゴイものだと思っていました。
中一の時、自分の小遣いで最初に手に入れた
AC/DCのBack In Blackに針を落とした時、
奈良の生駒の片田舎の家の小さな応接間に、
とてつもない悪魔が舞い降りた感じがしました。
でも、僕は別にロックだけが好きなわけではありませんでした。
久保田早紀の異邦人も好きだったし、
ハイファイセットの卒業写真も、
原田真二のタイムトラベラーも大好きでした。
音楽以外でも、
少年向けの太平洋戦争ものの単行本を読みあさりながら、
なぜ、ミッドウェー海戦で日本海軍が負けたのか、
悔しくて悔しくて仕方ない思いをしていましたし、
太平記でどう考えても正義のある楠木正成が敗北し、
悪役としての足利尊氏が権力を握っていく様を、
苦々しく想い続けていました。
でもそんなこんなもありながら、
流れにのって受験勉強を始めたものの、
やっぱこんなのクダラナイんじゃないか――とも思ったのですが
それを投げ出してしまうのも何か違うような気がして、
結局、受験勉強も続けました。
高校に入って太宰治の人間失格を読んで、
余りの衝撃に
今すぐこんなクダラナイ世の中のクダラナイ人生なんて
終える「べき」だと考えたものの、
それも何か違うような気がして
普通に学校に行くことにしました。
その間、やれチェスタトンだ、ニーチェだ、三島だ、オルテガだ、
福田だ、小林だ、カミュだ、トルストイだ、プラトンだと感化されたり、
やれ心理学だ社会学だ民俗学だと学問に興味は向かうものの、
それでもやっぱりロックは好きだし、
友達と遊ぶのも好きだし、
釣りも好きだし、
クラシックやジャズも好きだし、
大人になればお酒も好きだし
葉巻も美味しく思ったりするようになりました。
なんだかとてもいい加減な人生に思えてきますが(笑)、
はっきり言って、そんな僕の好きなモノ達が、
(そしてその反対の嫌いなモノ達が)
どう関係してるのかについて深刻に考えることは、
さして無かったように思います。
なぜならそれらは一見ばらばらに見えても、
(それらをホントに好きであり、嫌いである限りにおいて)
濃密に関係しあっているに決まっているからです。
なんといっても、それぞれに意味づけ、
それに触れ続けているのは、
他でも無いこの「僕」だからです。
だからそうやって「好き」になったり
「嫌い」になったりしていることを長らく続けていると、
そのうち、それがどんな体系になっているのかが、
無理をしなくても自ずと見えてくるようになるような気がします。
例えば、ご質問のロックと保守思想、について言えば、
保守思想というのは良きものを「自由」に追い求める
一定のストイックさに裏打ちされた人間の自然な思考形態や態度、
だと思いますが、
良質なロックが歌い上げる(中央線太郎さんが言う)「自由」もまた、
そんなストイックなものに他なりません。
だから僕は、そんなストイックさの無い、
ジョンレノンの「イマジン」には虫ずが走ります。
一方で例えばStairway to heavenで歌われる
カネで天国に行こうとするLadyに対する批判の目は、
保守思想の目線そのものと言えるのではないかと思います。
あるいはもっとあっさり言えば、
あのツェッペリンの「移民の歌」の高揚感は、
太古から伝わる「戦」に向かう男達の、
勇気を鼓舞する「高揚感」そのものであり、
そうした伝統的な感覚を「保守」していくのは、
保守思想そのものだとも言えるでしょう。
以上の3つの説明は、今タマタマ思いついただけですが(笑)、
そうやって、あえて問うてみれば、
好きなもの、嫌いなもの同士の関係は、
あらかた全て、説明できるように思います。
ただし、いい加減な気持ちで好き嫌いになったり、
エエカッコするためや、
何か別の利益のためにあえて好き嫌いになるフリをしたり
僕はこれが好きなんだ/嫌いなんだと
自分に思い込ませたりしていた場合には、もちろん、
整合性などとれる筈もありません。
なぜならそれでは好き嫌いの起点が「自分」でないからです。
だとすると、若い頃はまだ、変な自意識やら何やらが邪魔をして、
好きなもの同士が「ぎくしゃく」することが往々にして
生じがちな様な気もします。
だから、普通にちゃんと大人になっていくことが出来れば、
変な自意識が無くなっていって、
好きなもの、嫌いなもの同士の
不整合がなくなっていくのではないかと――思います。
だとすると、今回の中央線太郎さんの疑問は、
「好きなもの、嫌いなもの同士の不整合」を解消する契機としての疑問
なのではないかと思います。
ですから、こういう時ほど、しっかりと、
好き嫌いを吟味しておくのは、
これからの「自分自身の好き嫌い体系」をより整合的なものに
していく上でとても大切なのではないかと思います。
そしてそれが整合的になればなるほど、
心地よく、より幸せに生きていけるようになる
のではないかと思います。
なぜなら、好き嫌いが整合的になり、
精緻なものになればなるほど、
嫌なものと一緒にいる機会は減り、
好きなものと一緒にいる機会が増えていくからです。
・・・
ですから、今回の中央線太郎さんのこういう疑問は、
「自分自身の好き嫌い体系」をより整合化・精緻化していく上で、
極めて重要な意味をもつのだろうと――改めて感じました。
だから、老いて死ぬまで、
「なぜ、僕はコレが好きで、コレが嫌いなのか――?」
について自然と「あれっ、不思議かも?」と
思えてしまうようなことがあれば、
それは常に、今までの「自己認識」や「好き嫌い認識」が
揺さぶられているサインなのだろうと思います。
そもそも、そんな自分それ自身が
「特定の認識」から見れば矛盾だらけなのですから、
そんなサインは永遠に止むことはないのでしょう。
例えば、
「僕はなぜ、こんなにも好きになってしまったのだろう――?」
などが気になってしまったことがあれば、
(あるいは、なぜ、「こんなに嫌いなのか!」等も含めて)
そんな疑問をこそ、フタをせずに、
素直な好奇心で、考え込んでしまうことは、
とても大切なことだと思います。
・・・ということで、中央線太郎さん、
当方としてもワクワクしてしまうような
(ロックに絡めた!)好き嫌いについてのご質問をいただき、
ありがとうございました。
これからも是非、なぜコレが好きでアレが嫌いなのか、
不思議に思ったときには普通に素直に、
あれこれ考えてまいりましょう!
追伸1:
今週の「週刊ラジオ表現者」で紹介したのは、
エルトンジョンのGoodbye Yellow Brick Road。
近代的都会を捨てて伝統的な田舎に帰るこの一曲は、
モロ、「保守思想」的な曲ですね。
追伸2:
ちなみに来週は、AC/DCのHighway to Hell。
「非保守的な奴ら」がどれだけどうしようも無い末路を辿るのかが、
くっきりと浮かび上がる、これまた逆説的(!)に「保守思想」的な一曲。
(こちらで、月曜日に配信します!https://the-criterion.jp/category/radio/)
雑誌、ラジオなどでいつも愉しませていただいてます。ぜひ質問させていただきたく、投稿いたしました。
少し前ですが、週刊表現者ラジオを聴いていて驚いたことがあります。
柴山先生がゲストで来られた回だったと思いますが、曲紹介でジミヘンの「All Along the Watchtower」が流れたことです。
質問に際し、私自身の思想の遍歴などを簡単に紹介させていただきたく思います。
私は大学入学と同時に上京し、バンドサークルに入りました。ジミヘンは勿論のことながら、アメリカのブルースやロックに心酔しました。その思想の核となっている「自由」にもです。当時は「自由」という言葉がタイトルに入っている書籍を見かければ手当たり次第に買っていたほどでした。自分はこれからもずっと、こういう音楽を好きでい続けるんだろうなと思っていました。
ターニングポイントは大学4年生のときです。友人から福田恆存の「人間・この劇的なるもの」を教えられ、私は衝撃を受けました。そこでは自分が信じていた「自由」が真っ向から否定されている。今までの自分は一体何だったのかと思いましたが、そこから保守思想の本を読み始めました。今までアメリカ文化に親しんできた私にとって、それは自己否定のような作業でした。戦後日本がアメリカの属国であることを嫌というほど思い知らされました。と同時に、あれほど高かった音楽熱も冷めてしまいました。
だからこそ、藤井先生からジミヘン、またはツェッペリンやブルーハーツの名前が出てきたことに衝撃を受けました。これらの音楽は、リベラルなど左翼的な人たちに支持されることが大変多いものだと思います。勿論、一概には言えないのですが。
前置きが長くなりましたが、私の悩みは、音楽を純粋に楽しめなくなったことです。ロックと保守思想のどこに接点があるのかが分かりません。これは私個人の器量の問題ですが、左翼の人たちが好きだからといってその価値が貶められることもないのではないかと思います。ぜひこの辺りについて、ご教授願えませんでしょうか。何卒、よろしくお願い致します。
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