『表現者クライテリオン』の新企画として、〈対米従属文学論〉という座談会を連載していきます。
これまで戦後文学史や近代日本文学史がいくつも書かれてきました。伊藤整、平野謙、中村光夫、本多秋五といった批評家をはじめ、近代文学の研究者の手になるものもあります。戦後文学史としては、本多秋五の『物語戦後文学史』が有名ですが、平成に入ってから「文学史」が書かれること自体が、ほとんどなくなりました。文学全集の刊行がかつてほど盛んではなくなったこともあります。『戦後日本文学史・年表』(講談社の『現代の文学』の別巻)は、松原新一・磯田光一・秋山駿の三名の文芸批評家による文学史ですが、戦後文学史としては代表的なものでしょう。これとて昭和53年です。
しかし、実は同じ年に戦後文学をめぐる大きな論争が起きました。江藤淳と本多秋五とのあいだで行われた、いわゆる「無条件降伏論争」です。戦後におけるGHQの言語政策と検閲を「文学」の問題とした江藤淳は、ポツダム宣言の受諾が“通説”のような無条件降伏ではないという視点から、無条件降伏を前提として成立している「戦後」文学および文学史に疑義を突きつけたのです。それは戦後文学の全面的な否定をもふくむものでした。
私事をのべれば、この「論争」を受けて、私は第一次戦後派と呼ばれる作家たちの論を文芸雑誌『海燕』に連載し、最初の評論集『戦後文学のアルケオロジー』(福武書店)を上梓しました。自分としては、江藤淳の見方に関心を寄せつつも、戦後派の作家たちの作品を「無条件降伏」論争と検閲の観点から、一刀両断することはできないと思っていたからです。
しかし、その後、戦後文学論そして文学史そのものが、文芸ジャーナリズムの主要な議論となることはなくなりました。1979年の村上春樹の登場、1980年代のポスト・モダンの思潮(空気)が、バブル経済とともに押し寄せ、〈歴史の終り〉という幻覚にのみこまれていったからです。文学“論争”すらも文壇からは消えてしまいました。
今回、『表現者クライテリオン』で展開される広義の「戦後文学史」は、こうした戦後文学史の歴史をふまえつつ、「文学史」を今日の「問題」としてあらためて議論する試みです。文学作品は、社会を写し出す「鏡」といわれます。しかし、それは現実をただリアルに表わすのではなく、時代に底流するものを、すなわち歴史の本質と正体を明らかにするのです。本誌においてしかできない、〈現象学〉的な文学論といってもよいでしょう。これまでにない「文学史」として御注目いただきたいのです。
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