「表現者クライテリオン」の最新刊が発刊されました。
https://the-criterion.jp/backnumber/79_201807/
「ナショナリズム」についての特集に加えて、
さまざまな「連載」記事を掲載しています。
それぞれの原稿は「なるほど、そうだよなぁ」と
感心するものばかりですが、
今日はその中の一つ、柴山さんの連載『「常識」を考える』の、
『保守主義のユートピア』を紹介したいと思います。
この連載は、柴山さんが、
「危機と対峙する保守思想誌」である本誌の中心となる
「保守主義」とは何かを包括的に探るもの。
詳しくは是非、本誌をお読みいただきたいと思いますが、
柴山さんはこの記事でまず、
「保守主義」はしばしば、
「理想がない後ろ向きの主義に過ぎない」
と「批判」される、と指摘します。
確かに、
自由主義には「自由な社会」、
社会主義には「平等や連帯ある社会」という
「理想」があります。
一方で「保守主義」は、単に、
「古いものを保守する」と言っているだけで、せいぜい
変化はできるだけ緩やかにという「漸進主義」や、
現実を踏まえて振る舞おうとする「現実主義」がある程度で
「積極的な理想=ユートピア」はない、という批判です。
しかし―――と、柴山さんは主張します。
『保守主義には、国内的にも国際的にも、理想がある。
ただ、その理想は、自由主義や社会主義のように
「原理」的に体系化されていない――
あるいは体系化が遅れている――だけではないのか。』
当方もこの見解に完全に同意します。
例えば、当方がちょうど10年前に出版した
大学の学部教科書、
『土木計画学~公共選択の社会科学~』
に、次のような記述があります。
そもそも「土木」という営為は、
『自然の中で我々が暮らしていくために
必要な環境を整えていくことを通じて,
我々の社会をより良い社会へと
少しずつ改善していこうとする営み』。
そうである以上、
その「土木」の計画を考えるためには当然、
「良い社会」とは何かを明確にイメージする必要
があります。
ただし、「良い社会」とは何かを、
高らかに謳いあげることなど容易くできません。
ついては教科書の本文では、
良い社会とは何かを探し求める「真摯な態度」とは何か、
についての哲学論を、論ずるに止めています。
ただしこれだけでは分かりにくかろう――ということで、
私たちが目指すべき理想の社会(ユートピア)を、
少々長めの「脚注」の中で記述しました。
(下記「脚注」は、この教科書の中で最も大切なものとして、講義しているものです。ついては是非、じっくり鑑賞頂きたいと思います)
『なお,ここでは「完璧なる善き社会」がいかなるものであるのかについて,甚だ不完全な表現ではあるが,読者の理解を助けるという趣旨のために,脚注[11]にて散文的に記する.
[11]
完璧なる善き社会においては,言うまでもなく,戦争の可能性も犯罪の発生頻度も最小化されている.
ただし,戦争や犯罪などの万一の事態に対して適切に備えようとする努力を惜しむことはない.
同様に自然災害は存在するものの,そのための備えは人智の及ぶ範囲最善の対策がなされている.
それにも関わらず自然災害による被害が生じたとしても,人々はそれを運命として受け入れる.
しかし,そうした被害が生ずる度に,人々はその被害から新たな知見を得ると共に,それを軽減するための最善のさらなる努力を重ねようとする.
都市部においても田園地域においても,長い歴史と伝統の中ではぐくまれた良質な風景が保持されている.
そして,人々はそうした良質の風景を保持するための公共的努力を惜しまない.
必要とされる土木施設は長い年月をかけて徐々に整備されており,人々は現存する土木施設が長い年月をかけて先人から引き継いだものであることを十分に理解し,その整備と維持のために必要な労力と財源を喜んで提供し,後生に残そうとする.
同様に無形の文化たる言語や風習,芸術についても,有形の文化たる土木施設に対する態度と同様,その発展のために必要な労力と財源を提供し,後生に残そうと努力する.
万人が自らの役割,ないしは身の丈を理解し,その役割の責任を精一杯果たしつつ,他者が各自の役割についての仕事を成していることについて最大の敬意と感謝の念を惜しまない.
そして,特に「真善美」への接近に対する努力を惜しまない人々(すなわち,哲学者,宗教者,芸術家,ひいては,その具現を目指す政治家)に対しては,人々は大いなる敬意を抱く.
一方で,その社会の人々の諸活動は,自然の生態系の中で十全なる調和を保っており,それ故に,社会全体の持続可能性は保障されている.
そのため必然的に,その社会は,第一次産業を重視し,それを中心とした経済構造,社会構造を有している―――.』
この理想は、難しくはあったとしても、
確実に実現可能なものです。
なぜなら、戦争や犯罪や災害は不可避なものと想定され、
それに対抗する人間の能力も限定的であることが
想定されているからです。
そしてあくまでもその「現実の制約」の中で、
人類が思い至ったあらゆる「美点」の全てを
実現しようと努力するものだからです。
だとすると、保守主義とは、
次のように定義できるのではないかと思います。
『すべての現実とあらゆる理想を
最大限の知と情と意の力で「認識」しつつ、
同じく最大限の知と情と意の力で
この現実の中でその理想を「実現」しようとする主義』
こう考えれば、保守主義とそれ以外のあらゆる主義とは、
次のような関係があることが見えてきます。
つまり、保守主義は、
「まっとうな大人達が納得できる当たり前の政治的議論」
である一方、自由主義や社会主義などのあらゆる主義は、
「真実の一面だけを切り取った、
小泉・小池らが好むワンフレーズ・ポリティクス」
の様なものなのです。
ここに、「保守主義」がどうしても、
「インテリ達」の間で多数派を占めるに至らない根拠があります。
つまり、「主義」をアタマで理解しようとする人に限って、
保守主義が分からないのです。
(※ ただしそれは「中途半端」な場合。追伸2もご参照下さい)。
マジメに生きている普通の庶民の方々なら、
「これこそが理想のユートピアじゃないか」
と簡単に分かるにも関わらず―――。
ついては少なくとも本メルマガをご覧頂いている皆様だけでも、
この「理想」をごく当たり前のものと
認識いただければ、とても嬉しく思います。
そしてその上で、そのユートピア実現の為に、
今、何が必要なのかの一つ一つを、
本誌「表現者クライテリオン」もご参照いただきながら、
一緒に考えることができれば、大変有り難く思います。
追伸1:
柴山さんの議論にご関心の方は、こちらから。
https://the-criterion.jp/backnumber/79_201807/
本稿で紹介した「土木計画学」にご関心の方は是非、こちらから。
https://www.amazon.co.jp/%E5%9C%9F%E6%9C%A8%E8%A8%88%E7%94%BB%E5%AD%A6%E2%80%95%E5%85%AC%E5%85%B1%E9%81%B8%E6%8A%9E%E3%81%AE%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E7%A7%91%E5%AD%A6-%E8%97%A4%E4%BA%95-%E8%81%A1/dp/4761531665/
追伸2:
「良き社会」についての脚注は、以上に続いて次のように続きます。
『以上が,甚だ不完全なる表現ではあるが,筆者が想像するところの「理想の社会」を言語表現したものであるが,これは,例えば,ソクラテス・プラトンが「国家」の中で論じたものや,ゲーテがファウストの最終章で提示した理想社会,あるいは,我が国の議論においては例えば福沢諭吉が「文明論之概略」にて想定した真の文明社会や,(戦前戦後の我が国を代表する文芸評論家である)保田輿重郎が「絶対平和論」の中で論じた理想的社会等において見られるような,内外の哲学・文学の中で表現されてきた理想的社会と大きく乖離するものではない.』
だから「インテリ層」においても、良質な議論に触れた人々なら必ずや、保守主義の理想を認識することができる筈、なのです。
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