『表現者criterion』メールマガジン

【藤井聡】世間に見過ごされている悪事 ~緊縮を進めた政治家達の「無作為殺人」~

From 藤井 聡(表現者criterion編集長・京都大学教授) 

この度の西日本を襲った、
大雨は,激甚な被害を、
広い範囲にわたってもたらしました。

本稿執筆時点で死者80名以上、
しかも、その被害の更なる拡大も必至です。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO32748650Y8A700C1CC1000/

昨年同時期の九州北部豪雨でも
40名もの方々亡くなられていますし、
「雨期の大雨」で毎年これだけ多くの方々の命が
奪われるような我が国はもはや、
「先進国」とは言えない国家なのかも知れません。

―――誠に残念と言う他ありません

お亡くなりになった方々の冥福をお祈り申し上げますと共に、
被災された方々に心からもお見舞いを申し上げます。

現時点では未だ、
救護、救援が何よりも求められている段階ですが、
本稿ではあえて、
救護、救援と平行して速やかに行うべきことを
指摘しておきたいと思います。

すなわち、

「もしも、きちんとしたインフラ整備がなされていたら、
失わずに済んだ命がどれだけあったのか―――」

という視点からの「技術的検証」です。

例えば、2015年に決壊した鬼怒川の堤防は、
かねてより「洪水対策」が計画されていたのですが、
長年に及ぶ「緊縮財政」ために
事業推進が遅れに遅れていた場所でした。

そんな中、昨年の大雨のせいで堤防が決壊、
関連死も含めれば十名以上の方々の命が奪われたわけです。

緊縮財政を採用せず、きちんと整備を進めていれば、
全ての命が救われていた可能性も十二分に考えられます。

したがって、「鬼怒川の堤防決壊」による「災害」は、
緊縮財政を進めた政治家達の「人災」の側面が、
明確に存在していたのです。

さらにその前年の2014年に、
広島を襲った豪雨による土砂災害では、
70名以上もの犠牲者が出ましたが、
その多くの地域で「砂防ダム」が出来ていれば、
その被害も未然に防げたであろうことが指摘されています。
(※ この時は、事前の土地利用規制も不可欠でしたが)

ところが、砂防ダムの整備も、
おりからの「緊縮財政」のため進んでおらず、
したがって、その災害にも、
緊縮財政を進めた政治家達の人災の側面が色濃くあった訳です。

さらに記憶に新しい例では、
先月の北大阪直下地震で小学生が、
「ブロック塀」の下敷きになって、
命を落としています。

このブロック塀は、政府が所管する「公物」だったわけで、
しかもその構造は「違法」だったわけで、
最低限の予算さえあれば、
「普通に撤去・改善されていたに違いないもの」でした。

この様に、過去の事例を振り返れば、

緊縮を進めた政治家達による人災

と言い得る、事例が数多く存在しているのです。

だからこそ、今回の大災害についても、
その可能性をしっかりと検証する必要があるのです。

・・・・

ところで、この災害問題について、
長年何度も考えてきた筆者からしてみれば、
「災害対策」よりも「財政規律」を優先し続け
防災をせずに多くの人々が毎年死んでいく――
というような事態をもたらしている政治家達や官僚達の顔は、
  「人殺しの顔」
にしか見えない、というのが率直な印象です。

つまり筆者の目から見れば、
彼らは、災害対策をしないという
「無作為殺人」という巨大な悪事に手を染めている
としか思えない訳です。

とはいえ、「無作為の罪」について、
私達人間は「軽く」見る心理的傾きを
色濃く持っています。

例えば、哲学者サンデルが解説したことで有名になった
「トロッコ問題」は、
人間が如何に「不作為の罪」を許してしまうかを明らかにしています。

この問題は、簡単に言えば、
「一人を犠牲にすれば五人が救える」という状況下で、
その一人を犠牲にするかどうか――を問う問題です。

多くの人は、「積極的に一人を犠牲にすること」を避けて、
「五人を見殺しにする」ことが知られています。

つまり多くの人々は、

「一人を積極的に殺してしまう」という
「作為の罪」に対して激しい抵抗感を抱く

けれど、

「五人を見殺しにする」という
「不作為の罪」に対してさして抵抗感はない

のです。

筆者は、「一生活者」としては、
こういう心的なバイアス(偏り)があることは、
実に正当なことだと思います。

「身の回りの人々(特に、女、子供)を救う事に全力を賭すためにも、
よく知らない数多くの赤の他人を救うことを辞める(=見殺しにする)」

ことが必要だからです。

しかし―――国民の生命と財産を守る責務を持つ
政治家や政府関係者になれば話は別です。

彼らが日本国家の政治家であり、官僚であるなら、
不作為の殺人も、作為の殺人も「全く同じ」だとの想定の下、
自らの道徳感情を押し殺してまで、
「一人でも多くの国民を守らねばならない」からです。

政治においては「結果が全て」なのです。
(しかも、国家の政治の下で、全ての国民は平等なのです)

だとすれば、有権者を含めた一般庶民は、
「政治家の不作為の罪は、作為の罪と同程度に罪深いものなのだ」
と、自らの道徳感情を押し殺しても、断ぜねばならぬ責務を
負っているのです。

つまりまっとうな世論は、
緊縮を進めた政治家達の「無作為殺人」の罪を、
決して見過ごしてはならないのです。

・・・・そんな「罪」を、今の、そしてこれまでの政治家達が
皆背負っているか否かを明らかにするためにも、
今回の災害の技術的検証を図る必要があるのです。

そして、一般の国民、とりわけ、知識人と呼ばれる方々には是非、
「防災と緊縮」の問題を、
こうした倫理の問題としてしっかりと捉えて頂き、
全うな政策世論の形成を促して頂きたいと思います。

「防災対策」を耳にした途端に、
パブロフの犬のように、
「土建国家はイカン!」と言い続ける態度は、
「無作為殺人」というおぞましい犯罪を強力に促進しているのです。

追伸:我が国は、巨大地震で「最貧国」に転落するリスクを抱えています。この「現実」に向きあうためにも、是非、下記お聞きください。
https://the-criterion.jp/radio/20180702-2/

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