『表現者criterion』メールマガジン

【川端祐一郎】エリートと庶民の対立は、経済的ではなく文化的なものだという説

From 川端 祐一郎(京都大学大学院助教) 

トランプ大統領誕生の背景に、「グローバル化によって雇用を奪われた白人労働者の支持」があることはよく指摘されると思うのですが、この支持が経済的な理由だけで起きているのではないという説も実はあって、これはあまり日本で論じられていない気がします。エリートと庶民の間で対立が起きているのは間違いないのですが、それは「おカネのない人」が「おカネのある人」を恨んでいるというような単純な構図ではなく、両者の間に価値観や世界観の大きな違い、言わば「文化の壁」のようなものができているのではないか、というわけです。

柴山桂太さんや施光恒さんが、前身誌『表現者』の頃から紹介されてきたように、イギリスのデイヴィッド・グッドハートというジャーナリストが『どこかへの道』という本でエリートと庶民の対立を描いているのですが、そのグッドハートは、この両者が所得で言えばもちろん高いグループと低いグループに分かれることを認めつつ、「英国のEU離脱やトランプ現象は、経済的というよりは文化的な喪失感に動機づけられた、不幸な白人労働者階級が声を挙げた結果だ」と述べています。

また、先月のメルマガでも紹介しましたが、エイミー・チュアというアメリカの法学者は、トランプ大統領の支持層は政策がどうこうというよりも「本能的」にトランプ氏を支持しているのだと言います。どういうことかと言うと、トランプ氏がリベラルなエリート知識人や政治家から「彼は本を読まない」「品がない」「フェミニズムに理解がない」「ファストフードをむさぼり食っている」といった罵声を浴びている姿をみると、それが、「教養あるエリート」の連中から見下されてきた自分たちの日々の屈辱感と重なるというわけです。

労働者たちが、単におカネがなくてカネ持ちを恨んでいるだけなら、資本主義の頂点に君臨する大富豪の一人であるトランプ氏を支持するわけはありません。それよりも、あの粗野で単刀直入で、労働者が考える意味でのアメリカ的素朴さを持った人物が、気取ったエリートどもを敵に回して闘っている姿をみて、「トランプは仲間、ヒラリーは敵」と白人労働者たちが直感的に判断したというわけですね。

この説が重要だと思うのは、トランプ現象の解釈の一つになり得るからというだけではなく、現代の世界を特徴づける大きな要因であるかも知れないからです。国家間の競争や自由民主主義と権威主義の対立などと並んで、エリートの「気取った文化」と庶民の「素朴な文化」の対立というものを、我々は無視できないのではないかということです。また、庶民と対立する「エリート」というのが、一握りのトップ層ではなく、日本で言えば東京の大企業に努めて年収800万円程度を稼ぐような、人口の2〜3割の層を指していることも重要です。

ジョーン・ウィリアムズというアメリカの法学者が、トランプ支持の背景を分析した『アメリカを動かす「ホワイト・ワーキング・クラス」という人々』(邦訳)という本を書いていているのですが、エリートが庶民をどう見下していて、庶民がエリートをどう恨んでいるかを具体的に描いていてなかなか面白いです。(彼女は「白人労働者階級」と「専門職階級」と呼んでいますが、以下分かりやすく「庶民」と「エリート」にしておきます。)

庶民はコーヒーを飲むためにダンキンドーナツに行くが、エリートは1杯6ドルぐらいする洒落たカフェに入る…という話だけなら、これは経済的な格差の問題ですが、彼らの間には職業観や家族観、人生観に大きな違いがあるらしい。たとえば庶民は、仕事というものは身体を動かしてモノを作ったり運んだりすることだと考えていて、「座ってペンを動かすだけ」のエリートたちをじつは馬鹿にしている。大学出の管理職に対しては、「交渉の駆け引きや人を動かす方法だけに長けていて、仕事の中身は何も知らないガキ」としか思っていない。

エリートの間では初対面の相手に「お仕事は何ですか」と尋ねるのが一種の作法になっていて、それに「弁護士です」などと答えるのが自尊心の源にもなっている。しかし庶民は仕事を答えても自尊心など感じられないし、そもそも仕事なんかよりも、道徳的な人格を持つことや、安定した家族を形成することを重んじている。庶民がパーティーを開くのは「よく知っている人たち」を招いて落ち着いた団らんを楽しむためだが、エリートがパーティに招くのは、自分の成功に役立てるために「もっと知り合いたい人」である。

庶民の家庭に生まれながら結果的にエリート職に就いたような人は、同僚たちが彼らの故郷の家族に対して非常に冷たい態度を取っていることや、そもそも殆ど家族に会いに帰らないことに衝撃を受けるそうです。庶民の子供は、家族こそが人生の価値を左右するもので、子供は親の面倒をみるのが当たり前という道徳を叩き込まれている。一方、エリートの家庭では子供はそのうち巣立っていくものとして育てられていて、実際ほとんど地元には帰らないわけです。

エリートは仕事がなくて困っている庶民の話を聞くと、「なぜ景気の良い地域に引っ越さないのか」と疑問を持つらしい。エリートの労働市場は全国にあって、心情的に支え合う少数の友人と連絡さえ取れればよく、何より彼らにとっては仕事で成功することこそが自己実現だからです。一方庶民というのは、単なる心情的なつながりだけではなく日々の暮らしを支え合うコミュニティを持っていて、そこには子供の頃からの顔なじみがおり、お互いに仕事で人物を判断したりはしない。このコミュニティを捨てることは、人生の満足に繋がらないのです。

ウィリアムズは、こうした価値観の隔たりを埋めるのは容易なことではなく、エリートと庶民が全く同じ文化を生きるというのは現実には難しいが、所得格差などとは別に「お互いの価値観を理解し合えない」という文化的な壁があるという現実をまず認識することが急務だと言います。そして、エリートが「庶民の生活・思考・行動様式」を理解するよう努めることと、「自分たちエリートにも、庶民にはまったく理解できない自分たちだけの生活・思考・様式があり、それを真理だと思い込んでいること」を理解する必要があると言います。

日本だとどうなんでしょう。今のところ欧米に比べれば、この種の「文化的対立」が激しくないのかも知れません。しかし、例えば東京の大企業に務めている人が、地方で「仕事が無い」と不満を言う若者に対して「文句を言うなら東京に出てきたらいいのに」と感じるぐらいのことはありそうです。その時、本当は存在する人生観や職業観の違いが考慮から抜け落ちていて、単に「能力が足りないか、何かしがらみがあるのだろう」ぐらいに思っているのだとすると、その文化的な無理解の壁が、いずれ大きな社会的対立の契機になるかも知れませんね。

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