今回は、『表現者クライテリオン』バックナンバーを特別に公開します。
公開するのは、「菅義偉論 改革者か、破壊者か」特集に掲載の、本誌編集部の浜崎洋介の記事・第三編です。
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以下内容です。
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一九九八年の自民党総裁選で、自派の小渕派に反旗を翻し梶山静六を担いだ時のことを振り返りながら菅義偉は、「このときが自分の政治家としての原点ですよね。最後は自分で決める。党に守ってもらうことは考えなくなった」(松田賢弥、前掲書)と語っていたが、
なるほど、「党に守ってもらうこと」を拒絶して、自己決定=自己責任の原則を貫いた菅義偉は、このとき、「よそ者」としてのやり方を完全に自覚したのかもしれない。
その意味で言えば、派閥はもとより、たとえ自民党でさえ、そこは菅義偉にとって「ふるさと」と呼べる場所ではないのである。敢えて「ふるさと」という言葉を使うのなら、それは、そこから逃げ出し、新たに選択すべき場所としての意味しか持ってはいない。
たとえば、それを如実に示しているのが、「ふるさと納税」をめぐる、菅総務大臣と総務官僚とのやり取りである。
「受益者負担の原則」(住民税を居住場所での行政サービスに対する対価とする考え)を盾に、「ふるさと納税」に反論する総務官僚に対して、菅は次のように言い返したという。
「たとえば都会の住民が地方に釣りに行ってごみを捨てたとする。その処理費用はだれが払うんだ。地方だろう」(菅総務大臣)
「でも、ふるさとの定義ができない、法制上も難しい」(総務官僚)
官僚は「できない」理由ばかりを並べます。
「ふるさとを限定、固定化する必要はない。自分が生まれたところや、初めての赴任先、よく遊びに行くところや、思い出の場所など、その人にとってここがふるさと、と思う地域ならどこだっていい。納税する年度によって違っても構わない」(菅総務大臣)──菅義偉『政治家の覚悟』文春新書、括弧内引用者
まず、「都会の住民が地方に釣りに行ってごみを捨てたとする」云々の話が、本筋とは無縁の些末な議論で話を混ぜっ返す典型的な揚げ足取りでしかないことは言うまでもないが(しかも、それさえ、そこに「釣り場」を設けることで観光利益を得ているのが住民なら、
ごみ処理費用の住民負担=受益者負担はあり得るという議論も可能になるはずだ)、しかし、それ以上に問題なのは、「ふるさとを限定、固定化する必要はない」という総務大臣菅義偉の言葉だろう。
なるほど、自らの故郷から脱け出し、自分の力だけで成り上がってきた「よそ者」にとって、限定され、固定化された「ふるさと」(共同体)などは、解体されてしかるべき対象でしかないのかもしれない。
そう考えると、己を育てた「共同体」(大学アカデミズム、法曹界、官僚機構、あるいは経済界)から脱け出してきた孤独な「よそ者」たち──竹中平蔵、橋下徹、デービッド・アトキンソン、三木谷浩史、新浪剛史、三浦瑠璃、高橋洋一などの改革者たち──に対して、菅が親近の情を寄せ続けてきたということにも納得がいく。
菅にとって「ふるさと」とは、それを引き受け、そこを起点に足を踏み出していくべき掛け替えのない場所なのではなく、むしろ、〈運命へのルサンチマン〉によって突き放し、流動化させ、選択し、恣意的に組み合わせ、失敗すれば捨て去るべき「モノ」でしかないのである。
そして、そのことは、菅義偉を含めた改革者=反逆者の悉くが、「根無し草」(アーレント)であり、自己限定を知らぬ「新しい人間」(オルテガ)であることと矛盾しない。
『大衆の反逆』(一九三〇年)の刊行から七年後、オルテガは、クーデターを起こしたフランコ将軍から落ち延びたフランスで、改めて「フランス人のためのプロローグ」を書くことになるが、そこには、七年前より更に絶望的に、次のような「大衆」の定義が書き記されていた。
この大衆化した人間は、前もっておのれ自身の歴史を空にした人間、過去という内臓(ふるさと─引用者)を持たず、「国際的」と呼ばれるあらゆる規律に従う者たちである。それらの人びとはいわゆる市場の偶像によって組成された人間の殻にすぎない。
彼らには「内部」が、頑として譲渡できないおのれだけの内面性が、取り消すことのできない自己が欠けている。必要とあらばいつでも、どのようなものの振りでもできるのはそのためである。
彼らにあるのは欲求だけであり、自分には権利はあるが義務があるとは思ってもいない。彼らは貴族の義務を持たないのであり、スノッブ(俗物)なのだ。(佐々木孝訳)
個々のミクロな政策について不必要なまでに詳細に書かれた『政治家の覚悟』という本において、しかし、マクロ経済政策(公助)や大きな国家観(歴史観)に対する言及が一切ないことの理由も、おそらく、菅義偉という人間の「大衆性」と大きく関係している。
つまり、菅義偉という政治家は、「『国際的』と呼ばれるあらゆる規律に従う者」であり、「市場の偶像によって組成された人間の殻にすぎない」のだ。人間の「殻」についてなら、いくらでも詳細に語ることのできるスノッブは、しかし、その中身について本質的に考える能力を持たないのである。
だが、それなら、私たちは次のことも認めなければなるまい。すなわち、今、日本人は、「取り消すことのできない自己」の感覚(内面性)を持たない人間を、その自己を生かしてきた「ふるさと」(日本)の感覚を理解できない人間を、この国の首長たる総理大臣の座に据えているのだということをである。(終)
(『表現者クライテリオン』2021年1月号より)
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コメント
菅総理の様々な判断における共通点が書かれている記事を読んで、怒りを覚える人は、なにか自分の根に不安がある人なのか…?
判断の根拠に、共通点が見られるのは事実。
良い結果があったか、悪い結果だったかは関係ない。
考えの根が、自分の恨みや悲しみからくる人が日本の政治のトップなのは、日本にとって悲しいこと。もっと真善美が重視されていて欲しい。
言語を多用する、あは~ん、昇天気絶または疲労
とは、
ホーナイ全集から、
言語とは一般欧米人、哲学
気絶とは貴族御婦人
疲労とは、ハイハイわかったくどいな、疲れた麻呂
麻呂が感じ言いたいのは、
欧米では東洋について遠うの昔に研究されつくしている。
かなわない。
正義があまりにも強調される場合には、
復讐心をカモフラージュしていることがよくある。
カレン・ホーナイ
ホーナイ全集、のつもりだったのだが、見つけた。
言語を多用する、あは~ん、昇天気絶または疲労
日本人とは、そも、御輿のように軽い反省猿
だがしかし
浮世絵はカラーできれいだな、サブカルアニメのさきがけか?、だ。
その自己を生かしてきた「ふるさと」(日本)
よく見たら、最後にカッコ
抜け目ないですね、笑
ならば、図は、美しき青き日本地図
にすべきである。
受賞は
ノマドランド
でやんす。
反ジプシー
反移動生活者
反ヒッピー
職失いヒッピーを決意した開拓者
最近受賞された。
図は人のいない里山
己を育てた共同体(アカデミズム、など
いわゆる何々村のことですか?
生まれ育った所ではなさそうだ。
菅チンは、住めば都、をいいたかったのでは?
群れることを知らない、経験してない、信頼してない、一匹狼
といいたいのか?
宮本武蔵は、仏は尊ぶが頼らず、だったようだが。
自力本願かな。
ふるさと、は、故郷とも書くんだね。
こきょう、と読んでしまうが。
場所、仲間、仲良しグループ
いろいろ
退職したら、年賀が、ぱったり、こなくなったとか。
範囲を広げて、狭める。
中国式民主主義と同じです。
日本国民としての、浜崎先生の考えておられる思想とかアイデンティティからくる大局的な国家観の認識に、私は賛同しております。
そして、私の想うところでは日本史での賊軍側となっている足利尊氏であれ千利休であれ大塩平八郎であれ正統な水戸学継承者であれ西郷南州であれ二・二六事件に賛同した純心な青年将校であれ三島由紀夫などの至高の方々の思考に近いからです。
そして何よりも国防意識の基本に沿って、先ずは個々の国防意識から高める感覚で浜崎先生は行動を起こされていで、しかも先代の西部邁先生を模範としているところは共鳴共感いたします。
ちなみに【現在の状況は正に歴史的な転換期ですから】。
浜崎洋介さんの言論はとても面白い。露出が少なく発信力が弱いので、素晴らしい考え方・視点が共有されないのがとても残念。
ぜひ、youtudeを初めてほしいと思う。
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