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【小幡敏】戦争の空気を作ったのは軍隊でも政府でもなく、国民だ

小幡敏

小幡敏

今回は『表現者クライテリオン』2021年9月号の掲載の記事を三編に分けて、特別に公開いたします。

公開するのは、「保守からの近代日本批判―大東亜戦争への道」特集掲載、
小幡敏先生の論考(第一編)です。

『表現者クライテリオン』では、毎号の特集のほかに、様々な連載も掲載しています。

興味がありましたら、ぜひ『表現者クライテリオン』2021年9月号を手に取ってみてください。

以下内容です。

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思想の軸を欠いて漂流する日本。
その欠陥を自覚して痛切な反省を加えることこそが、日本の将来を憂う者がとるべき態度ではないか。

日本民族の欠陥

 今年も敗戦の日がやってきました。私は毎年欠かさず靖国を参拝していますが、九段で心穏やかであったことなど一度もありません。

あそこで確認するのは、今の日本に連帯し得る人間が本当に少ないということ、そして、日本人が敗戦後何年経とうが、あの戦争に対して夾雑物なしに向き合うことなどない、その二つの点に他なりません。

 あまり世間の出鱈目に付き合っても詮無いことですが、例えば今般の五輪開催強行に対しては、これでは戦争の時と同じだ、などと言う人が沢山いました。

戦争の方も思わぬところからお呼びがかかって驚いたに違いありませんが、日本人が戦争を言う態度は、決まって

「軍部が」「精神主義が」「戦力逐次投入が」「インパールが」

などといった紋切り型の揶揄的なものであって、それを我が身の問題と考える者にはあまりお目にかかったことがない。

 五輪に関して言えば、或る作家先生などはあたかも中止と言えない空気に抗って発言している体裁をとっていますが、そういうメロドラマ仕立ての夢幻世界は残念ながら今の開明的な現代日本社会には現出しないのであり、五輪中止など、どんなに臆病で痩身小柄な男にもその発言は十分に許されておりましょう。

 ただ、もしこの世情に「戦争の時と一緒」の要素があるとすれば、それはむしろ国民の側に認められます。

戦争は悪魔のような軍部が哀れな国民を死地に追い立てたのではない。戦前・戦中を問わず、戦争を望んでいたのは国民であったこともまた、事実であります。

それは例えば、上海事変前夜、和平の為に奔走した在中公使重光葵が次のように述懐しています。

上海における日本人側の態度もまさに中国の排日空気を挑発するにもっとも適したものだった。
上海の日本人たちは満州で日本の軍隊がとった強硬な態度によって満州における排日運動を解消し、
日本の権益を護ることができたと思っており、同様な強硬手段が上海でも成功すると考えていた。(中略)
こういう考えは単に上海地つきの人々がもっていただけでなく、
平素穏健な考え方をしていた大きな商社、三井、三菱の支店長とか紡績会社の幹部にいたるまで、
その態度は不思議なほど強硬なものになっていた。(『外交回想録』)

 こういうことは外地に限った事でもなく、中国戦線から一時帰国した憲兵の井上源吉という人は、東京で竹槍刺突訓練やミカン箱と古畳で作った防空壕などを見て呆れ、爆弾の威力を説いて聞かせたところ、

憲兵自らが士気を阻喪させるとは何事であるか

と市民から抗議されたと言います(『戦地憲兵』)。

三百万もの命を散らせて「戦争はしちゃいけない」程度の教訓か

 それを思えば、“戦争の空気”というのはむしろ緊急事態宣言や自粛を政府に“要求”した国民側に認められるのであり、そんなことをすっかり忘れて無策な政府を糾弾し、五輪など中止にしてしまえ、上があれで自粛などやってられるかと無責任に戦列を離れる国民こそ、戦争に“疲れ”(=飽き)、あっさりと“鬼畜米英”の女になったかつての日本人たちと重なります。

大将がいかに暗愚だろうが、勝手に戦列を離れたら兵隊は銃殺です。我々が目覚めた市民だというなら、為政者の振る舞いなどにかこつけてはいけない。

都合のいい時だけ公儀まかせの百姓に戻るのはいかがなものでしょう。

 私は別に嫌味を言いたいのではない。

ただ、三百万もの命を散らせたあの大戦争から得た教訓が、

「戦争はしちゃいけない」

といった程度の常識的な事実確認なのであれば、この国は一億人を根絶やしにされてもおよそ教訓らしい教訓は取り出せないのではないかということです。

福田恆存は『日本および日本人』の中で言っております。

 

日本人は封建時代に、現實的な絶對者をもつてゐました。
それが明治になつてから天皇制に切りかへられた。 
そして戦後はさういふ絶對者を一氣に投げすててしまつたのです。
現在の私たちは單純な相對主義の泥沼のなかにゐる。
なほ惡いことに、私たちはそれを泥沼とは感じてゐない。

福田はまた言います、

 

西歐の生活態度を支へる絶對者の思想は、むしろ眞の意味において徹底せる相對主義といふべきものでありませう。
相對的な現實の世界の上に絶對者を設定して、その兩者を操り、生活を推進せしめるといふわけです。(中略)
かれらは單純な理想主義者として現實を遊離することもなく、また單純な現実主義者に堕することもない。

 割り切った言い方をすれば、絶対者を欠いた日本では現実に対する距離の取り方が定まらず、その時々の流行物の真贋を見分ける力がほとんど存在しないということです。

それは日本人が馬鹿で間抜けだ、というわけではなく、それはまた、美点としても評価し得るものですが、近代以降の世界にあってだいぶ不利に働いたことは、どうやら疑い得ないようです…(続く)

(『表現者クライテリオン』2021年9月号より)

 

 

続きは近日公開の第二編で!または『表現者クライテリオン』2021年9月号にて

『表現者クライテリオン』2021年9月号
「日本人の死生観を問う」
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