今回は『表現者クライテリオン』2021年11月号掲載の座談会を特別に一部公開いたします。
公開するのは、前回に引き続き「日本の「強さ」とは何か 亡国を救う「道」の思想」特集掲載、
施光恒先生×本誌編集長 藤井聡×編集委員 柴山桂太×浜崎洋介×川端祐一郎の対談です。
以下内容です。
興味がありましたら、ぜひ『表現者クライテリオン』’21年11月号を手に取ってみてください。
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川端祐一郎(以下川端)▼
日本語や中国語の「道」という言葉は多義的なので、少し整理が必要ですよね。
中国思想における「道」にも複数あって、孔子が「朝に道を聞かば……」というときの「道」は人倫における真理を指すのだと思います。
我々が「人道」というときの「道」はこの意味でしょう。
一方、老子の場合はそういう儒教的な「道」概念に対するアンチテーゼを唱えていて、
「仁だの義だの礼だのという堅苦しい道徳を唱える前に、万物の根源たる“道”の律動を感じよ」
みたいなことを言う。老子の「道」は意識、現象、存在の根っこにある摑みどころのないエナジーフローのようなもので、なるべく自我に邪魔されないようにしてそれと一体化する、つまり無為自然の境地に至ることを目指せと言う。浜崎さんのおっしゃった「天地自然」とも近いと思います。
それから道家が「天道」と言うときには、自然科学に近い、宇宙を支配する物理法則としての「道」の意味も含まれている。
これら中国における「道」の意味合いは全て日本語にも入ってきていると思いますが、思想史の専門家によると、日本の「道」の概念には少し独特なところもあるらしい。
中国の「道」は、どちらかといえば「正解やゴールに至るための筋道」という意味合いが強く、「この道を辿れば究極の真理に達することができる」というイメージになっているのに対し、日本の「道」は、それを「歩むこと」自体に重きが置かれている。
つまり、日本では「道を修める」(この概念も中国由来ではあると思いますが)という、修行や修養の意味が強く、その過程を通して人生や精神が深みを持ったり成長したりすることが大事なわけですね。
それともう一つ、日本の「道」には柴山さんのおっしゃったような「専門」「プロ」の意味もあって、「道を極める」というときの「道」だと思いますが、たとえば世阿弥は『花鏡』の中で、芸道の一事に専念しなければ能の奥義は分からないと言っている。
この「プロ意識」は、間違えると変な専門主義に陥る恐れがあるわけですが、日本人がその弊害をどのようにして回避してきたのかを考えることは重要だと思います。
川端▼先日、「表現者大学」でやっている読書会で岡倉天心の『茶の本』を読んだのですが、天心はたとえば、茶室のようなわずか数平方メートルの簡素な空間にも、その茶人の全人格が表れているというような言い方をしています。
この、小さな空間に人生や人格の全てを詰め込んで表現しようとする、いわば「小宇宙」的なイメージは、日本人における「道」の追究のあり方をよく表しているような気がします。
施さんのやられている園芸でもおそらく、小さな鉢植えの木や花に、自分の人柄や価値観が集約されてくるのだと思います。
箱庭とかプラモデルも日本人は好きですよね。日本人は昔から、西洋人の発明した自動車やテレビなどを小型化するのが得意だと言われていて、それ自体は平凡な話なのですが、よくよく考えてみると、単に器用だから小さく作るのが得意なのではなくて、それは我々の美意識の本質なのではないかという気がするんです。
柴山桂太(以下柴山)▼
昔は「縮み志向」などと言いましたね。
川端▼小さな製品や作品に多くのものを詰め込んで、そこに小宇宙を作り上げる。
それは狭くて小さいけれども、決して「断片」ではなくて、総合的な宇宙なわけです。
そういう仕方で日本人は、一つの物事に専念しながら、同時に深みや多面性を失わないようにしてきたのではないか。
スポーツなんかもそうかもしれません。合宿や寮生活までやって練習に専念するわけですけど、競技のスタイルや心構えの中に人格や人生が総合的に表れてくるから、単なる専門馬鹿ということにはならない。
それが日本人の「道」の極め方なのではないか。
こういう、小宇宙的世界観が日本人の美意識の本質だとすると、それは特技であると同時に、一つの弱みにもなるんでしょうね。
日本人は普遍的なアーキテクチャを構築することが得意でないとよく言われます。
目の前の芸事に集中して、そこに人生の全てを注ぎ込み、見事な箱庭を作り上げるのだけれども、世界を支配する大きな仕組みを打ち立てるような仕事はしない。
それは中国人や西洋人の方が向いているのでしょう。我々は日本人として、小宇宙的文化を生きていくほかなく、そこに独特な強みがあるのだとしても、裏面の弱さも認識しておくことは必要でしょうね。
藤井聡(以下藤井)▼
その議論と最初に施さんがおっしゃったような安定の議論は繋がっていますね。
安定があったからこそ日本人は小宇宙を作っても、その小宇宙が壊されるリスクも少なかった。
小宇宙を一般化することは難しいのだけれども、安定した状況の中で皆がそれぞれの小宇宙をじっくり見ることもできるから、その世界観がなんとなく伝わった。
だから生け花や能や狂言を観に行ったりしてもその小宇宙というものをなんとなく鑑賞することが可能だったわけですね。
これが流動性が高く不安定なユーラシアの国々だったら、外部の人が入ってきて、そんな小宇宙をどんどん壊していくだろうし、壊さなくても意味が分からないからただただ完全に無視してしまう。
大阪市長時代の橋下徹氏が文楽の助成金をカットしたなんて話はその典型例ですよね。
そんな橋下さんに象徴される「近代」なるものによって、日本人が作り上げてきた小宇宙がどんどん潰されていっているところに日本人のひ弱さ、脆弱さがあるのでしょう。
川端▼危機との関連でいうと、先ほど申し上げた日本的な「道」の概念や、武道や芸道の原型ができてくるのは中世の頃らしいですが、これは要するにそれ以前の王朝文化、貴族文化の時代から、戦乱と武力の時代へ移っていく頃ですね。
そういう危機の時代に日本人がやったことの一つは、無常観のようなものを育てたことですよね。
移ろいゆく無常な世の中から一歩引いて、少し静かに物事の本質を眺めようということで、「無の思想」的なものができてくる。
これは日本人の生き方そのものだと思いますが、危機から無常を悟る方向へ行くのは、外敵と戦うのには向いていないかもしれないですね(笑)。(続きは本誌にて)
(『表現者クライテリオン』2021年11月号より)
前回記事も読む
【特集座談会】今の日本が絶望的だからこそ、改めて「日本の強さ」を考えてみる
【特集座談会】日本人は「技」を学び、「道」に入り、全人格的完成を目指してきた
『表現者クライテリオン』2021年11月号
「日本人の「強さ」とは何か」
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