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【富岡幸一郎】無神論とロシア正教会~第1回~

啓文社(編集用)

皆さん、こんにちは。
表現者クライテリオン編集部です。

今回は、先日発売された表現者クライテリオン2022年7月号(103号)より、
富岡幸一郎先生による特集論考「無神論とロシア正教会」の内容を2回にわたって特別公開いたします。

本論考では、ロシア・ウクライナ戦争、そして世界の危機の裏にある宗教的背景を論じています。ぜひ、ご一読ください。

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無神論とロシア正教会

    プーチン・ロシアの霊性の飢饉と日本

富岡幸一郎

 

 ロシアのウクライナ侵攻から三カ月、ウクライナの軍事抵抗と外交努力によって、ロシア軍の首都キーウ(キエフ)の占領は失敗し、集中する東部戦線での戦いは長期化している。 この間、日本国内のこの戦争をめぐる報道は、ワシントン=大本営発表を受けてのものばかりであるが、西側諸国の一員(自由と民主主義の価値共有)という名目の下で、政治・外交的な価値を至上とする限りにおいてはやむをえぬとしても、「戦争」すなわち絶対「悪」の情緒的なマスコミ報道には正直うんざりする。 ウクライナのゼレンスキー大統領の愛国的な戦いぶりには敬意を表したいが、その演説を日本の国会議員が皆々そろって拍手喝采というのはこの国の政治家の幼稚さを見る思いがする。 ゼレンスキーはその直前のアメリカ議会への演説ではこともあろうにロシア軍の侵略を日本の真珠湾攻撃になぞらえていたのであれば、話半分にでも聞いておけばよかろうものに。 私の知るかぎりでは参議院議員の西田昌司氏だけが、今回の戦争を(ロシアの軍事侵攻の批難を前提として)ソ連邦の崩壊以降の歴史的状況を説明して(NATOの東方拡大など)客観的に(中立的ではなく!)見ることの喫緊の重要性を語っていた。 コロナ騒動でもそうであるが、日本のこのところのマスコミ・ジャーナリズムの大政翼賛ぶりには呆れはてる。専門家がそれに追随する。文化人も然りである。

 地政学という用語が日本でも時々用いられる。スウェーデンの政治学者ヨハン・ルドルフ・チェーレンによって創設された地政学は、欧州で資本主義発展の後れたドイツで「生存圏」の理論となり、ナチス・ドイツの戦略理論となったことで有名だが、今回のプーチン・ロシアの戦争は、ソ連邦の崩壊というプーチンのいう二十世紀最大の地政学的な悲劇を要因としていると同時に、もうひとつの地政学的な根本原因を見ておく必要がある。

 

東方正教会の分裂

 それは近代の国民国家成立以降の「領域国家システム」を所与とみなすアメリカ流の戦略地政学ではなく、トルコ人として国の指導的役割を務めたアフメト・ダウトオウルが『文明の交差点の地政学』(訳書二〇二〇年)でいうところの、宗教的な長い歴史のスパンに根ざした「深み」の地政学である。二〇一四年のシリア内戦からそれまでの領域国民国家システム自体を否定するIS(イスラーム国)が誕生したことなどは具体的な事例であるが、トルコでいえば当然のことながらオスマン帝国の記憶(トルコ民族の誇り)がある。 中東問題にしても、イランはイスラーム化する前の千年にわたってぺルシャ文化を保持してきた独自の言語や歴史があり、それはアラブのスンニ派とは違うアイデンティティの形成にある。

 この「深み」の地政学理論からすれば、今回のロシア・ウクライナ戦争は、その宗教的背景を把握しなければならない。 今回のウクライナ侵攻にたいしてロシア正教会のキリル総主教はただちにプーチン支持の立場を表明した。 ウクライナによる親ロシア派住民への迫害が続いてきたと力説し侵攻を正当化したのである。 ロシア正教会は東方正教会のなかで最大勢力を誇り、十世紀にキエフ公国がキリスト教を受け入れたのが起源になっている。 一方で正教会のトップであるコンスタンティノープル総主教はロシア侵攻を批難している。ここには正教会の内なる分裂が関与している。

 ウクライナ国内の宗教は多様であり、カトリック教会やプロテスタント教会もあり、ゼレンスキーのようなユダヤ教徒もいる。しかし二〇一八年にモスクワ総主教庁から一部ウクライナ正教会(キエフ総主教庁)が分離独立して「ウクライナ正教会」が誕生する。これが今回の戦争の背景にあることを、日本大学教授の松本佐保氏は強調する。

 

 「このように《新生「ウクライナ正教会」+コンスタンティノープル総主教》VS《モスクワ総主教庁系ウクライナ正教会+モスクワ総主教、キリル》と正教会が真っ二つに分裂したことも今回の背景にある。これをキリスト教会関係者は大分裂(シスマ)と呼んでいる」(産経新聞二〇二二年四月八日)

 

 大分裂(シスマ)とは、一〇五四年にカトリック教会(西方教会)と東方の正教会(コンスタンティノープル総主教)の二分された歴史的な出来事であるが、今回は東方正教会のなかで(モスクワVSウクライナ)宗教的分裂としてあり、これがウクライナが西側(NATO・EU・アメリカ)へと接近するという領域国家システムの地政学と結びついているところにプーチン・ロシアの危機と焦燥があるのはあきらかであろう。

 しかし、この正教会の内部的な分裂・対立よりもさらに深いところに、今回のプーチン・ロシアの暴挙といえる軍事的決断をうながしたものがあると私は考えている。 それは一九一七年のロシア革命とソビエト・ロシアの無神論的思想の恐るべき反動ともいうべきものである。 無神論という「宗教」の恐怖といってもよい。スターリン体制はその社会主義政策によって徹底した宗教弾圧を行ない、四万近いロシア正教会を破壊したが、第二次大戦の独ソ戦では国民の団結と大祖国戦争という歴史的な大義のために、正教会の力を用いた。 多民族国家であるソ連邦にとって社会主義と宗教を結びつけることは、国家理性(国益)を覚醒させるには不可欠なものであった。 そして、この結合は実は決して相矛盾するものではなく、両者の間には、つまりソビエト社会主義の革命思想とキリスト教=ロシア正教の終末論的思想には根源的な結びつきがあった。

 

今回はここまで。次回更新は7月5日の予定です。

 

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