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【富岡幸一郎】無神論とロシア正教会~第2回~

啓文社(編集用)

啓文社(編集用)

皆さん、こんにちは。
表現者クライテリオン編集部です。

今回は、先日発売された表現者クライテリオン2022年7月号(103号)より、
富岡幸一郎先生による特集論考「無神論とロシア正教会」の内容を2回にわたって特別公開いたします。

本論考では、ロシア・ウクライナ戦争、そして世界の危機の裏にある宗教的背景を論じています。ぜひ、ご一読ください。

第1回リンク

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無神論とロシア正教会

    プーチン・ロシアの霊性の飢饉と日本

富岡幸一郎

 

無神論という「宗教」の恐怖

  そもそもロシア・マルクス主義を生む土壌にあったのは、十九世紀末のロシアに出現した宗教思想家たちのメシアイズム、すなわち救世主の地上への到来を待ち望む思想である。ヨハネの黙示録で描かれる終末論の信仰のなかで象徴的なのは、アンチ・キリストがこの地上を席巻するというヴィジョンであるが(聖書の「黙示録」が記された時代はローマ帝国による苛烈なキリスト教弾圧期であった)、ツァーリー(皇帝)時代末期のロシア帝国では、そのアンチ・キリスト(人神)とメシア(神人)の戦いが、西洋化(近代文明)との衝突のなかで異様な軋みをあげて地上のカオスとなって出現した。「黙示録」を地で行ったといってもよい。それがプロレタリア・メシアイズムであり、本誌連載の「虚構と言語」第十八回(二〇二一年九月号)で詳述したように、マルクス主義の国家の廃棄、貨幣も労働もいらない自由な共産主義社会というユートピア思想(ディストピア)は、ユダヤ・キリスト教の終末論に似てくるのであり(本質的には似て非なるものだが)、そこに共産主義の「党」と「地上の赤い神」が、抑圧され虐げられた農民や労働者たちの“救世主”となって現われて来るのである。

  これはヨーロッパから後れて近代化=西洋化を強いられたロシアだけでなく、近代日本でも全く同じであった。前にも引用したが、昭和二年の芥川龍之介の自殺の後に文芸批評家として彗星のように現われ、その後筆を折り、カール・バルトの神学の日本語訳(『教会教義学』)に生涯を賭した神学者井上良雄はこういっている。

 

 《当時において、マルクス主義は、私たちにとって単に社会変革の理論ではなかった。それは、「われらいかに生くべきか」を私たちに教えてくれる倫理的な規範であり、さらには宗教的な何ものかでさえあった。ソヴィエト連邦は神の国のごときものであったし(プロレタリア・メシアイズムという言葉を聞いたこともある)、共産党の活動家たちは神の国の福音の使徒たち、少くともその宣教者たちであった。しかも、その神の国は近いというのが、彼らの確信であった》(『戦後教会史と共に』一九九五年)

 

  ソビエト・ロシアで実現しそしてその国土を巨大な収容所群島と化し、その果てに崩壊したのは、この地上化した「神の国」である。その「国」ではロシア正教会もまた苛烈な弾圧を受けた。スターリン批判をなしたフルシチョフも、第二次大戦中に息を吹き返した教会を、権力の座について数年の間に「一万以上の教会の破壊を見事にやってのけた」という(谷寿美『ソロヴィヨフ』)。この無神論の「神の国」は、ソ連邦の地政学的悲劇によって潰え去ったわけではない。ダウトオウル的にいうならば、プーチンはソ連時代の領域国家にこだわりつつも、より深層においては熱心な正教徒であることを演じながら(コメディアン俳優としてのゼレンスキーと競いつつ)、「地上の赤い神」として君臨しようとしている。十九世紀末に、ドストエフスキーを、トルストイを、また神のソフィア(知恵)によって他者への共苦の精神を説いたソロヴィヨフを生んだロシアは、前世紀(二十世紀)の百年近くにも及んだ無神論的帝国がもたらした精神の瓦解、霊性の飢饉のなかに置かれ続けている。

 十六世紀においてローマ・カトリック教会が地上の権力と化していたとき、宗教改革者たちは一神教としての三位一体的な霊性の再発見をなした。その代表者であるジャン・カルヴァンは次のようにいう。

 

 《私たちの魂を養う「霊的な食物」が不足している場合はどうでしょうか。これを必死で捜し求めて、これによって満たされたいとは思わないのです。その結果、自分が滅び行く哀れな状態にあることを感じることなく、そのまま終わりを迎えてしまいます》(『霊性の飢饉』野村信訳)

 

 プーチンは、そしてウクライナという信仰の兄弟を殺戮するロシアは、この霊性の飢饉のなかにある。ウクライナ(キエフ)という正教会の原点が失われることへのロシア正教会の「恐怖」こそは、「無神論」の裏返しである。

 二十世紀のユダヤ教の神学者A・J・ヘッシェルは、その著『イスラエル預言者』で、旧約聖書のイザヤ書についてこう記している。

 

 《イザヤは政治を解決策として信用することができなかった。政治それ自体が、その思い上がりと正義の無視を含めて、問題だからだ。人類が霊的に病んでいるときには、政治的知恵よりももっと根本的な何かが、安全保障の問題を解決するのに必要なのだ》(森泉弘次訳)

 

 イザヤがこのように語りはじめたのは、アッシリア帝国の興隆によってイスラエルが没落していく(北イスラエル王国は紀元前七二二年に滅亡、南のユダ王国は紀元前七〇一年にアッシリアの属国となった)時期であった。イスラエルの安全保障は神との契約のうちにこそあり、エジプトやその他の国との政治的盟約にあるのではないことを説き、警鐘を鳴らしたのである。政治のかけひきと剣の力が、真の和平実現の道ではないと主張した。

 ロシアだけが「霊的に病んでいる」わけではない。イザヤの預言は、「人類が霊的に病んでいるとき」という。ソ連時代に国を追われ西側に亡命したノーベル賞作家ソルジェニーツィンは、『収容所群島』によってソ連共産主義国家の恐怖政治と抑圧体制の残虐な現実を全世界に知らしめた。しかし、アメリカをはじめとした「自由と民主主義」の西側諸国の近代文明のなかに立って、人々が如何に霊性の飢饉のなかにあるかを絶望的に思い知ることになった。

 ロシア・ウクライナ戦争が物語るのは、かくして新冷戦と呼ばれる現在が、その内に残酷きわまりない熱戦と化しつつある現実であり、「平和国家」という自己欺瞞を七十有余年にわたって続けてきた日本(人)もまた、民族的な霊性の困窮の極みにあるのではないか。それこそは、安全保障の最大の危機である。日米同盟や新たな西側・インド・東南アジア諸国との対中国の封じ込め外交を展開することには現実的意味があるように見えるが、実は民族の自立と誇りを失い、政治的な知恵だけに頼ろうとするところにわが国の根源的な危機があると思われる。

 

2回にわたってお送りした特集論考「無神論とロシア正教会」
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