みなさん、こんにちは。文芸批評家の浜崎洋介です。
この度は、4月29日(土)に開催予定の「第4回表現者塾信州支部学習会~軍事について考える前に知っておきたいこと~」の告知のために、久しぶりにメルマガを書いています。
今回の信州支部学習会は、昨年10月に『「愛国」としての「反日」~奇形の軍民関係を正す』(啓文社)で、「アパ日本再興大賞・優秀賞」を受賞された小幡敏氏(令和元年に、表現者賞も受賞)による講義となります——その後に、不肖・浜崎とのディスカッションも予定されていますが——。学習会のお題は「軍事について考える前に知っておきたいこと」となっていますが、いかにも小幡さんらしい主題だと思うのと同時に、私自身、その講義を聞けることを心から楽しみにしています。
とはいえ、「軍事」と言うと、国民生活とは遠い世界の出来事だというのが一般的な理解ではないでしょうか。ただ、そのこと自体が、私たちが、「軍事」という営みを私たちの生き方(生活)から切り離しててきたことの結果なのです。
もちろん、その裏には「戦後」の偽善が潜んでいます。
思い出してみてください、小中学校時代に、初めて日本国憲法を学んだ時のあの違和感を。表では平和憲法(戦力の不保持)を言いながら、その裏で、自衛隊の存在を容認している現実に対する不快感を。あるいは、その矛盾を放置してきた大人たちへの疑心暗鬼を。
そして、この偽善こそが、私たちの軍民関係を「奇形」にしてきたものの正体だと言っていいでしょう。小幡さんの言葉を借りれば、国家の「正妻」ならざる「妾」の位置を強いられて来た自衛隊について、私たちはある種の後ろめたさを引きずりながら、それゆえに、常に心理的に歪んだ言葉しか——つまり、シニカルな開き直り(親米保守の現実主義)か、「政治的な正しさ」を笠に着たヒステリックな批判(反米左派の空想的平和主義)しか——、自衛隊に対して用意することはできなかのです。そして、まさにその歪んだ言葉が、「国民」と「軍」との関係を適切に位置づける営みから、ますます私たちを遠ざけてきたのでした。
この歪みの起源について、ここで詳しく述べる余裕はありませんが、しかし、この違和感を放置してきたことのツケは、今、かつてなく大きくなっています。
米中覇権戦争が喧伝され、中国による尖閣・台湾侵攻のリアリティが増し、ロシア—ウクライナ戦争が現実に起こっている現在、果たして、いつまでたっても「軍」と適切な関係を結べない国民というものが、現実に対して適当な対処ができるものなのでしょうか?
しかも、それは、そのまま私たちの文化や歴史の問題に直結しています。
国家からも、国民からも、そして戦前の歴史(旧軍)から切り離されてしまった自衛隊は、では、いざというとき、一体何と繋がりながら自らの「戦い」を納得すればいいのでしょうか? 「靖国で会おう」という言葉がフィクションだろうが何だろうが——ちなみに、社会秩序の全てはフィクションです——、その「再会できる場所と歴史」を用意せずに戦えと言われて、誰が本気で、自らの身を「戦い」に晒すことができるのでしょうか? 誰が、自らの孤独を乗り越えて、戦場という場所を引き受けることができるのでしょうか?
つまり、「軍事」の問題とは、いかにして私たちは私たちの孤独(死)を乗り越えて、私たち自身を守ることができるのかという、共同体における最も基礎的な問題であり、また、その共同体への意志を培う最も基本的な文化(歴史)の問題でもあるのです。
いや、私の眼には、この問題から逃げてきたことのツケは、もはや「軍事」方面だけではなく、日本人のあらゆる生活世界を犯しはじめているようにさえ見えます。
たとえば、「誰もがバカバカしいと思いながら、従っている平和憲法」という構図は、そのまま、「誰もがバカバカしいと思いながら、従っている自粛要請(あるいはマスク)」や、「誰もがバカバカしいと思いながら、従っている財政規律」や、「誰もがバカバカしいと思いながら、従っているSDGs」etc……と何と似ている事でしょうか。
なるほど、きな臭くなってきた世界情勢を前に、各所で「軍事」についての議論は、一見盛んになっているように見えます。が、その議論のほとんどは、それこそ「防衛費」がどうだとか、「戦車よりジャベリン砲の方が有効だ」とか……専門家や、あるいは軍事オタクに任せておけばいい話ばかりで、全く私たちの生き方(本質論)に触れるものではありません。
いや、だからこそ、元自衛官でもありながら、しかし、決して軍事の詳細に拘泥しない小幡さんの議論が貴重なのです。戦後日本で「自衛官」を務めることの苦しさを知りながら、さらに、その歪みを真正面から問い質せる人は、それほど多くありません——だいたい「軍事評論家」を名乗る人のほとんどは、単なる自衛隊の太鼓持ちか、技術論に拘泥する軍事オタクか、精神論に拘泥する心情右翼かのどれかです——。
是非、この機会に、小幡さんの話に耳を傾けてみてください。そこには、普通に暮らして来た一人の日本人が(実際、小幡さんは防衛大卒ではありません)、しかし、戦後日本の偽善の真ん中で戦ったことの手応えがあるはずです。その手応えを一人でも多くの人と共有していくこと、その一つ一つの積み重ねしか、この国が「まとも」になる道はありません。
皆さんと、4月29日にお会いできることを楽しみにしています。
以下は、会に参加するための詳細です。是非、ご参照ください。
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第4回表現者塾信州支部学習会~軍事について考える前に知っておきたいこと~
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