アメリカの話から始める。アメリカの人種問題、とくに黒人問題は殆ど解決不可能に思える。植民地時代からアメリカの歴史の底流に常にあった問題で、法的に黒人の平等が保障された現代でも、まだ解決しない。寧ろ、法的に権利が認められるようになるに従って、その対立は一層深刻さを増していくようだ。アメリカの黒人問題だけは、それ以外の人種、例えばヒスパニックやアジア系やアラブ系に対するものより、ずっと深いところに分断があるように思われる。
古代ギリシャやローマの物語には必ず奴隷が登場する。奴隷の存在は当たり前で、市民の政治や文化は奴隷制度によって成立していた。中世のキリスト教世界では、人類は神の下において平等だという考えから、ローマ法王の名の下に奴隷制は廃止された。その後、ルネサンスの古典古代の文芸復興期には、神を中心とする考え方から人間中心に思想や価値観が大きく変容した。1620年にピルグリムファーザーズはプリマスの港から新大陸に渡った。同時期に新大陸のヴァージニアの植民地で古代の奴隷制が「復興」されたのは皮肉である。イギリス領カリブ海諸島のサトウキビのプランテーションでは、熱帯の過酷な気候に慣れているアフリカの黒人奴隷の労働力なしでは経営が成り立たなかったし、アメリカ南部の気候は綿花栽培に適していたが、寒冷な気候に慣れたヨーロッパ人の労働環境には適していなかった。近代産業が機械を稼働させるために石炭や石油というエネルギーを必要としたように、熱帯のプランテーションを運営する労働エネルギーとして、アフリカの黒人が必要になったのだ。イギリスの産業革命は、黒人にとって不運だった。ジェーン紡績機の発明により大量の綿花を捌けるようになったイギリスでは、大西洋に面したランカシャーに綿花の市場ができて商業主義の管理体制が出来上がっていた。黒人奴隷の労働力は、グローバルな市場経済に組み込まれてしまった。
合衆国が独立した当初から、黒人の奴隷問題は常に喉の奥に引っかかった棘のように、憲法上の扱いや良心の問題に影を落としていた。南北戦争(1861-1865)は奴隷解放のための戦いではない。北部では気候的にも産業的にも奴隷を必要としなかったので、北部の街に黒人奴隷は少なかった。北部のアメリカ人は奴隷問題に殆ど無関心だったという。しかし、南部のアメリカ人にとっては、経済問題・国政選挙の有権者数を決める人口問題・良心の問題として、黒人奴隷の扱いについては敏感であった。南北対立が激しくなって、北部では南部への攻撃材料として奴隷解放問題を表面化するようになったが、北部で非難するほど、南部のアメリカ人は奴隷を虐待はしていなかったようだ。寧ろ、大切な労働力として互いに共存関係のようなものがあったと言われる。南北の対立が激しくなると、南部の人々の中には、北部に対する敵意のために、かえって奴隷制を肯定して反論しようとするものも出て来る。内心、良心の呵責を抱えているために余計に強く正当化しようとするのである。
その論争には聖書まで持ち出された。『創世記』の第9章に「ノアは酔いから醒めると、末の息子がしたことを知り、こう言った。『カナンは呪われよ。奴隷の奴隷となり、兄たちに仕えよ。』また言った。『セムの神、主をたたえよ。カナンはセムの奴隷となれ。』」という文章がある。ノアの3人の息子、セム、ヤフェト、ハム(カナン)は、それぞれユダヤ民族、白人、黒人の祖先とされている。これを引用して、黒人(カナン)が、ユダヤ人と白人(兄のセムとヤフェト)の奴隷であるのは神が定めたことなのだと、大真面目に語られた。(この旧約聖書の物語も、カナンはハムの息子であってノアにとっては孫である、とか、何故カナンは呪われたのか、という点で論争がある箇所である。)
ところで、南部の地主たちは北部の奴隷貿易会社から奴隷を購入していた。奴隷貿易の会社はボストンなど北部にあり、アフリカの黒人売買で利益を上げていたのは北部のアメリカ人である。彼らも奴隷制度の恩恵に与っていた。南北戦争の原因は、両者の産業構造の違いから来るもので、奴隷解放はそれに付随して起こった問題である。
南北戦争や奴隷解放問題については、これ以上立ち入らない。ここでは、当時の黒人の置かれた状況について見てみよう。『アメリカのデモクラシー』の著者トクヴィルは26歳のとき、1831年3月から翌年にかけての9カ月間、友人とともにアメリカを精力的に回り、見聞したことを丹念に記録した。南北戦争前夜の南北諸州の対立やアメリカの奴隷制度の状況についても詳細な観察が記録されている(『アメリカのデモクラシー』第2部·第10章 /岩波文庫 第1巻(下)/松本礼二訳)。
奴隷制度の問題は、常に白人側の視点で語られる「白人の問題」である。トクヴィルも、北部と南部のアメリカ人それぞれにとっての奴隷制度の実態を分析して論じている。けれども、彼は、白人にとっての見解だけでなく、同時にそれが黒人奴隷たちにとってどのような問題を内包していたかについても言及した。彼は、黒人サイドからの視点にまで踏み込むことによって、黒人問題が、他の民族とは異なる特殊な人種問題であることを見抜いていたと言える。
ヨーロッパ人は、自ら奴隷狩りをしたのではない。現地の多くの異なった部族同士の争いに乗じて、コンゴ王国などの土地の有力者に武器や贅沢品を与え、彼らに奴隷労働に適した壮健な黒人を集めさせたのだ。現地人は、周辺の部族を襲撃して捕虜を集め、引き換えにヨーロッパ人からマスケット銃を得ていた。マスケット銃の威力は絶大で、部族間抗争を激化させ、アフリカ大陸の発展を阻害する要因のひとつにもなった。
アフリカ西海岸から奴隷船に積み込まれて輸送される黒人たちが、どれほど悲惨で過酷な船旅を強いられたか、想像をするだけで辛くなる。奴隷船の船底に作られた狭い間隔の蚕棚のような段状の板の上に鎖で繋がれ横に並べられたまま、彼らは長い航海に耐えたのである。幾層にも詰め込まれ、身動きも寝返りもできない状態で汚物にまみれて大西洋の荒波に揺られる間に、多くの黒人が命を落とした。既に新大陸との航路は開拓されていたとはいえ、当時の大西洋横断の航海は危険と隣り合わせである。
危険を冒して輸送するからには、それに見合った利益が必要だ。新大陸に無事に届けられた奴隷たちは、高値で売られた。黒人奴隷は、農園主たちにとって高価な買い物で、「財産」でもあったのだ。奴隷の子供たちは領主の所有物となり、奴隷として育てられたり売られたりした。農作業だけでなく力仕事は男たち、女性奴隷は領主の家事や育児などにも従事していた。大土地所有者としての領主たちの貴族的な生活は奴隷なしでは成立しないもので、彼らは労働力であると同時に「財産」でもあったから、北部の奴隷解放の要求には簡単に同調できるものではなかった。
一方で、奴隷たちにとっても、強制的に連れて来られた知らない土地で生きていくには、奴隷身分であっても領主に頼るしかなかった。奴隷たちは自発的に大西洋を渡ったのではない。アフリカ大陸で捕虜として一か所に集められても、それぞれの出身部族が異なれば、互いに言葉も通じない。捕獲者の都合で、選別され、まとめられ、互いに見知らぬ者同士が繋がれ船に乗せられる。アメリカで競りにかけられ、ばらばらに売られていく。奴隷のひとりひとりが、究極の孤独状態だったはずだ。新大陸で生きていくには、農園主に頼る以外に道はない。綿花栽培の労働力として従っていれば、言葉も文化も何もかもが違う世界でもなんとか生きていけるのである。彼らの生き方に選択の余地はなかった。トクヴィルは、彼らのことを次のように記述している。
アフリカ系の人々に対する抑圧は、彼らから人間に本来備わる権利をほとんどすべて一挙に奪ってしまった。合衆国の黒人は自分の国の記憶さえ失った。祖父の話した言葉も分からず、その宗教を放棄し、その習俗を忘れた。—中略— 黒人にとって不十分ながらも祖国の思いをいだけるものは、天が下、主人の館のほかにはない。
このような不幸のどん底に投げ込まれながら、黒人はわが身の不運をほとんど意識していない。暴力が彼を奴隷の身にし、その後の隷従の習慣は彼に奴隷の思想と奴隷の野心を植えつけた。黒人は彼の暴君を憎む以上に崇め、自分を抑制する者を卑屈にも真似して喜び、誇りに思う。
トクヴィルの観察力と分析力の鋭さが光る箇所である。南北諸州の対立が激しくなり、北部で奴隷解放を求める正義感が高まる中で、南部の黒人奴隷たちの現実との違和感に気づいているのだ。北部の人々は南部の現実を知らないで、奴隷解放を攻撃のための手段にしているのではないか。それは、白人のための奴隷解放論であり、自分たちの正義を疑わない理想論ではないのか。黒人奴隷の置かれた状況や彼らの心理を考えると、解放され自由になった奴隷たちが、果たして、生きるための手段と精神的矜持を保つことができるのか、そこにトクヴィルは懸念を持ったのである。
もし自由になっても、黒人には独立はしばしば奴隷状態以上に重い鎖に見える。というのも、それまでの生活の中で、彼は理性を除くあらゆるものに服することを身につけており、いざ理性が唯一の導き手となると、その声を聴き分けられないからである。たくさんの新しい欲求に囚われるが、彼はこれに抗するに必要な知識も活力もない。欲求こそは戦うべき主人であるのに、黒人は服従し、従うことしか学んだことがないのである。こうして彼は悲惨の極に導かれる。すなわち隷属は彼を愚かにし、自由は身を破滅させる。
実際に、北部の黒人たちは自由人としての権利を与えられていたが、教育もなく生活手段も住居も持たず、何の保障もないまま白人社会に放り出されたことで社会の底辺に沈み、奴隷時代より貧しい暮らしに陥っていた。南部から自由を求めて逃亡する奴隷がいた反面、北部からは、奴隷制のある南部へ移動して行く者すらあったのである。
黒人は自分を排除している社会に仲間入りしようと無駄な努力を重ねる。抑圧者の好みに合わせ、彼らの意見をとりいれ、真似することによって彼らと一体化しようと望む。生まれた時から黒人は、人種として生まれつき白人に劣ると聞かされ、自分でもほとんどそう考え、自らを恥じることになる。
黒人の運命は、望んで新大陸に来たのではないという点にある。他の人種、アジア系やアラブ系の移民やアメリカ原住民と異なるのは、彼らの家族・文化・文明・言語・習俗・宗教のすべてを断ち切られたことである。ネイティブ・アメリカンのチェロキー族は、彼らの土地を奪おうとするアメリカ議会に宛てた誓願で「記憶の遠い昔に、天にまします我らが共通の父は、我らの祖先にいまわれわれの住む土地を与えたもうた。われらが祖先は遺産としてこれをわれわれに伝えた。この土地には祖先の遺灰が含まれているからこそ、われわれは敬虔にこれを保持してきたのである。」と誇りを持って述べている。アジアやアラブからやって来た者たちも、自分たちの言葉や文明を忘れない。しかし、領主の館に何人もの黒人奴隷が居たとしても、それぞれが異なる部族であれば互いに言葉も何も通じない。彼らの意思の疎通は、領主の言葉や文化を学び、その常識に従ってしか成立しない。黒人の悲劇は、父祖の記憶を失ったことにある。領主の農園の世界しか知らない黒人が解放されて自由になれば、唯一知っている白人社会に同化しようとするしかない。それ以外の世界の記憶を失ってしまった黒人にとって、彼らが生きている白人の世界が彼らの世界でもあるのだ。しかし、そのルーツが決して「同じ」ではないという記憶を持つ白人にとって、黒人は「他者」であり続ける。そこにアメリカの黒人問題の根深さがある。
トクヴィルの指摘はアメリカの黒人奴隷問題に留まるものではない。同じような話に思い当たるフシはないだろうか。戦後、父祖の記憶を強制的に消された日本人は、ここに描かれた「自己を見失った黒人解放奴隷」に似てはいないだろうか。占領期間に自分たちから父祖の記憶を取り上げた者たちに服従し、彼らを真似ることで仲間入りしようと努めている。これこそが、戦闘の結果以上の真の敗北ではないのだろうか。———確かに、隷属は私たちを愚かにした。
(橋本由美)
《編集部より》
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