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【鳥兜】脅威を「忘れる」ことの価値

啓文社(編集用)

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 五月に感染症法上の扱いが軽くなったことで、新型コロナウイルスの感染者数 やそれによる死亡者数は網羅的に報告されることがなくなり、統計情報が手に入りにくくなった。ただし間接的なデータを用いた推計によると、今年七月から九月にかけて生じたいわゆる「第九波」はかなり大きなもので、一日あたりの新規感染者数は八月下旬頃の段階で過去最大になっていたとの見方もある。そもそも二〇二〇年にパンデミックが始まって以来、感染者数も死亡者数も、新たな波が来るたびに規模が大きくなって記録を更新し続けてきた。ワクチンの普及やウイルスの変異によって致死率は低下したかもしれないが、感染者数が全体として増えたので、結果的に(カウントの仕方に議論の余地があるとはいえ)死亡者数も多くなったわけである。

 それに対して、社会的な規制や行動の自粛は、むしろ時間とともに緩和されてきた。二〇二二年の春以降は飲食店のサービス制限がほぼなくなり、二〇二三年の夏になるとマスクを着用する人もむしろ少数派となった。新型コロナウイルスのもたらす健康被害そのものが全体として縮小したとは言えないので、要するに人間の側がそのリスクに「慣れた」ということである。もちろん、慣れによって対策が不徹底なものになり、その結果として感染が増えている面もあるはずである。そのことの善し悪しについては議論が必要だろうが、いずれにしてもここで確認したいのは、我々はこのウイルスの脅威を鎮圧したのではなく、それを受容する方向に進んできたという事実である。コロナ禍が始まった頃に「徹底自粛」のスローガンを唱えた人たちでさえ、感染の規模に即して言えばその叫び声を二倍、三倍に増していて然るべきなのだが、すっかり鳴りを潜めてしまった。

 これは日本だけの話でもない。先進国のあいだで緩和路線の先頭を走ってきたイギリスは、二〇二二年の二月にコロナ規制をあらかた撤廃し、同年八月には感染者総数の把握をやめてしまった。タイミングの前後はあれ他の欧米諸国も同様で、フランスでは今年の二月にほとんどの規制が廃止され、アメリカでは丸三年続いた国家緊急事態と公衆衛生緊急事態の宣言が五月に解除された。彼らとて、ウイルスの脅威を押さえ込んだわけでは全くない。そうではなく、皆で一斉に「気にするのをやめる」ことにしたのである。

 この流れについて忸怩たる思いを持っている医療関係者も少なくはないようで、日本でも感染症の専門家たちは「科学的エビデンスなしに規制が大幅に緩和されてしまった」と嘆き、また「制限撤廃の空気に科学者として抗し切れなかった」と悔いている。その職業的使命感には敬意を払うが、同時に認めなければ ならないのは、科学者が何と言おうが恐らくこうしかならなかったというリアリティである。人間は長期の自粛生活に耐えられるほど我慢強くはなく、ウイルスの存在を四六時中気にかけるほどの注意深さは持たず、専門家の設計した「新しい生活様式」にすんなり適応できるほど柔軟ではない。

 新しい脅威に直面した当初は大げさに怯えてみせるが、怖がることに疲れたり危険そのものに慣れたりすると、多少の犠牲は厭わなくなり、脅威の存在そのものを忘れることすらある。そこには科学的な意味での合理性はなく、倫理的に褒められたものでもないかも知れない。しかし、これが人間の自然な姿であるという事実は受け入れる必要があるし、そうやって「暮らしのリズム」を守ることにはそれ自体としての価値がある。というのも、それなしには生まれようがない前向きな意欲や潑剌さというものがあるからだ。専門家の言う「正しい」処し方と、人間として「健やか」な生き方は、一致するとは限らないのである。

(本誌2023年11月号より)


〈編集部より〉

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