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【鳥兜】二〇二四年問題という“馬鹿ばなし”

啓文社(編集用)

啓文社(編集用)

 最近話題の二〇二四年問題。それは、過剰労働を禁止すると同時に労働生産性を上げることを目途として、労働時間の「短縮」規制を設けるという「働き方改革」を、トラック業界に導入することで生ずる問題だ。何が「問題」なのかと言えばそれは、労働時間の短縮規制によって、各企業等の「荷主」が求めるトラック需要の全てが捌ききれなくなるという問題だ。そうなれば、各業界の生産活動が滞り、日本の経済活動に深刻なダメージが生ずる。だから政府は今この「問題」を解決するために、「様々な対策」を躍起になって進めようとしている。
 しかしこの「二〇二四年問題」は、日本以外の一般的な国家においては生じ得ない愚か極まりないものだ。わざわざ対策せねばならぬと躍起になるくらいなら、最初からそんな問題を自ら作り出さねばよいだけの話だったからだ。こんな問題が問題にされてしまう事自体がまさに日本の恥、である。
 そもそも政府は今、労働時間を規制する「働き方改革」をあらゆる業界で「例外なく」進めており、トラック業界においてもその導入が「杓子定規」に導入されようとしているわけだ。しかし、そんな杓子定規な導入には何の正当性も見いだすことはできない。
 もちろん「過労」の抑止は必要であるし、労働時間の短さが新しい若手ドライバーの採用において重要であることも間違いない。しかし、現状において過剰労働を含めた各種支障が何ら生じていないドライバーが(全員ではないにせよ)多数存在しているのが実情だ。むしろ、働き方改革による労働時間規制によって収入が大幅に減ぜられることとなり「不利益」しか被ることのないドライバーが多数に上るという実態もある。
 すなわち、この改革によるメリットが一部にあるとしても、そのデメリットは(経済被害の有無という)マクロ経済的視点からは言うに及ばず、(ドライバーの労働時間や賃金を含めた労働環境の改善という)ミクロな視点から考えても明確に存在しているのである。それ故、こうしたデメリットを最小化しつつ、メリットを最大化する「柔軟」な制度のあり方を個別具体的に考える事が求められるのだ。
 しかし政府は今、そうした柔軟性を全て否定し、「働き方改革」なるスローガンの下、外形的な規制強化を十把一絡げに物流業界に導入しようとしている。そしてその結果必然的に、そのデメリットがメリットを圧倒的に凌駕する事態が生じ、深刻な被害が生じつつある。しかも今度は、こうした自らの愚かさによって産み出された深刻被害を緩和するために、各種の政府対策を躍起になってやろうとしているのである。
 まさに「馬鹿」という他ない。
 そもそも政府の思考停止は、一人一人の人間になぞらえて言うなら認知機能の喪失を意味する。そうなれば、幸福になることが不可能であるのはもとより、生命の存続すら危ぶまれるのは必定だ。
 二〇二四年問題なるものの本質はここにある。
 物流サービスの機能停止やそれに伴う深刻な経済被害の発生等はいずれも、表層的、二次的な問題に過ぎない。その本質は、物流サービスを維持するという当たり前のことすらできなくなってしまう程に、我が国の政府が思考停止に陥ったという点にある。
 馬鹿が馬鹿なのは、自分が馬鹿だと理解していないからだ。
 そして日本は今、こうした本質的な馬鹿さ加減のために、コロナ禍やデフレ不況をはじめとしたありとあらゆる深刻な問題を生み出している。
 せめて一人でも多くの日本人がこの日本の馬鹿さ加減を羞恥の念を持ちながらしっかりと理解されんことを願いたい。それ以外にこの馬鹿話を終わらせる方途など、何一つないのだ。

(表現者クライテリオン2024年1月号巻頭コラム鳥兜より)

 


〈編集部より〉

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