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【川端祐一郎】「毒」のある意志 日本人の苦手なインフラ思考

川端 祐一郎

川端 祐一郎 (京都大学大学院准教授)

日本人はインフラ思考が苦手?

 

 中国の習近平総書記は十年以上前に「シルクロード経済ベルト構想」に言及し、後にこれを拡充した「一帯一路構想」を提唱して、二〇四九年までに中国を起点としアジア、ヨーロッパ、アフリカにまたがる巨大経済圏を作り上げるのだとした。また、アメリカのバイデン政権はコロナ禍中の二〇二一年に十年間で二兆ドルという巨額のインフラ投資戦略を発表し、昨年は中国の一帯一路構想に対抗する形で、インドから中東を経てヨーロッパに至る地域で鉄道や港湾網への投資を行い、「陸海交通の回廊」を築き上げるのだと宣言した。
これらの計画にどれほどの実現性があるのか、弊害はないのかなど、議論しだすとキリがない。ただ明らかに言えることは、インフラ投資を通じて次世代の覇権を握ろうとする構想の迫力において、日本はこれらの国々の足元にも及ばないということである。今の日本で作られる投資戦略と言えば、当たり障りのない「出来そうなこと」を総花的に並べるだけで、時代を動かすような力強いストーリーは見られないことが多い。これは単に財政的な意味で「緊縮」の思考に囚われているという問題でもなく、インフラを計画するにあたって必要な根本精神のようなものを、我々が欠いているからではないかと思えてしまう。
 私は、本格的なインフラ整備というものは、「世のため人のため」とか「国民の幸福を願って」というような、毒のない利他的な善意だけで進められるものだろうかと疑いを持っている。むしろインフラ整備というのは、元来、もっと押し付けがましいものではないだろうか。
 たとえばかつて大日本帝国は台湾や朝鮮のような植民地で盛んにインフラ投資を行ったが、それが純粋に現地住民の生活水準を引き上げようという善意からであったのかと言えば、そんなはずはない。ことさら悪い意味で「帝国主 義的」と形容する必要もないが、そこには明らかに、強い帝国を築いて欧米列強に伍していくのだという政治的な意志が働いていた。逆に言えば、今の日本人はインフラ思考が苦手なのだとすると、そのような「毒」を持った政治的意 志があまりに希薄であるためかも知れない。

 

テーラーメイドの横行

 

 この問題について、以下では情報通信インフラに注目しながら考えてみたい。というのも、情報通信の分野は土木インフラの分野以上に、日本人と西洋人の思考枠組みの違いが鮮明に出ていて、その弱みや強みを把握するのに好都合だと思えるからだ。
たとえば日本で、企業や役所の業務システムの開発に関わる人たちが口を揃えて言うのは、「欧米に比べて日本の企業ではスクラッチ開発の案件が非常に多い」ということである。英語の「フロム・スクラッチ」(引っかき傷から始めるという意味)という表現に由来するのだが、スクラッチ開発とは、既製品を用いずに必要なシステムをイチから新たに作り上げることを指す。
最近は少し変わりつつあるかも知れないが、日本の企業は伝統的に、IT企業にシステムを発注する際、自社の業務にぴったり合うようカスタマイズされたものを求める。そのため既製品を購入するだけでは済まず、ユーザ企業の細かい要望に応じて仕様を調整した、オリジナルなシステムを組み上げることが必要になる。もちろん実際には、完全に「スクラッチ」から構築するわけではなく、使い回しのきく小規模なプログラムやハードウェアを「部品」として可 能な限り取り入れるのだが、それでもやはり全体としては独自に作り込む部分がかなりあって、テーラーメイドの唯一無二なシステムが出来上がるのである。
 それに対して欧米では、個々の業務に合わせてオリジナルのシステムを組み立てるのではなく、汎用的なパッケージ製品を導入し、そのパッケージに合わせて仕事をすることが日本よりは多いと言われる。重要なのは、汎用パッケージを使うという欧米のスタイルのほうが、ある意味でITの本質に合致しているということである。ソフトウェアはコピーするのにコストがかからず、いったん開発したものを大人数で使うのが簡単である。個々のユーザにとっては「痒いところに手が届かない」部分も出てくるが、多くのユーザが使うことで、バグを発見してより安定したシステムにすることや、特定のユーザの意見から生まれる新しいアイディアを他のユーザが共有することが容易になって、結果的に完成度の高いシステムが生まれることも多い。
 大企業の社内システム開発に長年携わった寺嶋一郎氏は、情報システムを「工業製品」と捉えてしまったことが、日本のIT産業の最大の失敗の一つであると指摘している。一九八〇年代から九〇年代にかけて、日本企業の多くはコンピュータの本質をハードウェアにあると見ていたので、一つのソフトウェアが多数のユーザに利用され得るということに鈍感であった。そのため、個々のユーザに専用ソフトウェアを提供することが慣例化してしまい、ソフトウェア市場の支配力において欧米企業に遅れを取るようになったというわけである。
 普通は、ハードウェアが「インフラ」(基礎)で、ソフトウェアが「アプリケーション」(応用)に位置づけられるのだが、パッケージとして汎用化されたソフトウェアは一種の「インフラ」となり得る。この意味でのインフラを構想する力を、日本企業が持てなかったということだ。

 

支配の意欲  

 

 日本のIT業界では、「アーキテクトが不足している」という声が挙がることがある。アーキテクトとは、業務の全体像を見て、どこにどんなハードウェアやソフトウェアが必要であるかを判断し、システムの基本構造を企画する人である。これは最も「上流」に位置する工程だと言えるが、システム開発に限らず一般に日本の企業では、上流よりも下流の工程を得意とする人材が多いと言われる。システムを「構想」する側よりも、それを「利用」する側の力が強いと言ってもよい。だからこそ、スクラッチ開発が増えるのだ。

 アーキテクトには、物事を「抽象化」し、「ゼロベース」で(既成の事実に囚われず)、その「全体像」について、「一人で」、「能動的に」思考できることが必要だと言われる(細谷功・坂田幸樹『アーキテクト思考』)。ここで、アーキテクトの仕事が協業に向かないというのは重要なポイントである。物事の全体像は一人の人間が同時に捉えなければ見通せないので、本質的に分業がしにくいのである。ただし、誰かが一人で考えた「叩き台」を、皆で改善していくというプロセスを経ることは多い。ちなみに、かつて日本人が得意であるとされた現場重視の「モノづくり思考」は、「アーキテクト思考」とは正反対で、具体的な状況に即して、既成のものを改善し、分業と協業によって問題を解決していくことになる。

 システム開発の上流工程を担当する者は、難しい立場に立たされることが多い。たくさんの人が使用するシステムや、何種類もの業務に用いられるシステムの場合、上流の設計者が一つひとつの業務について詳しく知ることは不可能である。だから、言わば「素人考え」で現場の実態を想像しながらシステムの仕様を決めなければならないのだ。もちろんそれは一般に難しいので、現場担当者の声をボトムアップでかき集めるということもよく行われるのだが、現場の声に引きずられ過ぎると収拾がつかなくなったり全体のバランスが崩れたりして、結局いいシステムにはならない。

 「インフラ」は皆で同じものを利用するからこそ意味があるので、ITインフラであれ土木インフラであれ金融インフラであれ、その整備にあたっては、利用シーンの全体像を描くためのアーキテクト思考が欠かせない。と同時に、インフラは一人ひとりのユーザにとって最適なものではないので、インフラを提供しようとする側は、いくらか傲慢な姿勢をもってユーザに利用を強要しなければならないことになる。言い換えると、インフラの整備は、社会や組織に対する「支配」の姿勢をもって進めなければならず、単に「ユーザの利便性」とか「国民の幸福」とかを考えていればいいというわけでもないのである。

 この支配の意欲というものを、日本人はおそらく持ちにくい。一方、グーグルやアマゾンやマイクロソフトのような巨大IT企業は、露骨過ぎるほどに支配欲が旺盛で、我々はそのことに反感を覚えもするが、結局のところ彼らの提供するサービスが我々の生活インフラと化している。彼らには高い技術力と潤沢な資本があるわけだが、それすらも、堂々たる支配の意志を持つ者の周りにこそ集まるのではないかと思える。

 

「毒」を持った意志

 

 これまでソフトウェア開発の例を挙げてきたが、「通信」のためのインフラの歴史を振り返ると、まさにその整備が「支配の意欲」と切り離せないものであったことが分かる。たとえば、世界で最初にリレー式(駅伝式)の郵便システムを導入したのはアケメネス朝ペルシアのダレイオス一世だと言われているが、これは明らかに「帝国の統治」のための情報連絡網として構想されたものだ。

(…本誌に続く)

 


〈編集部より〉

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