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【藤原昌樹】「失われた40年」への扉を開けたのではないのか ―日銀の「マイナス金利政策の解除」についての疑念-

藤原昌樹

藤原昌樹

「マイナス金利政策の解除」-金融政策の歴史的転換

 

 日本銀行は、2024年3月18日と19日に開催された金融政策決定会合で「マイナス金利政策」を解除し、金利を引き上げることを決定しました。日銀による利上げは17年ぶりのことであり、世界的にも異例な対応が続いてきた日本の金融政策は正常化に向けて大きく転換することになると言われています(注1)

 

 日銀の植田和男総裁は、金融政策決定会合の後に行なわれた記者会見(注2)で「賃金と物価の好循環を確認し、2%の物価安定の目標が持続的・安定的に実現していくことが見通せる状況に至ったと判断した」「春闘での賃金の妥結状況は重要な判断の大きな材料であり、大企業の賃金動向をみると、中小企業は少し弱いということはあっても全体としてはある程度の姿になるのではないかということで今回の判断に至った」と決定に至った理由を説明しました。

 

肯定的な評価-経済界やエコノミストからの声

 

 報道を見ていると、今回の「マイナス金利政策の解除」について概ね肯定的な評価が寄せられているようです(注3)

 

 経済界からは「金融政策の移行としては非常にスムーズに良い時期に良い判断をされたと思う」(経団連・十倉会長)、「今後の金融市場の正常化に向けた新たな一歩と受け止めている」(経済同友会・新浪代表幹事)、「経済全体として適度な物価上昇は好ましいことで、今回の見直しが2%の物価安定の目標が見通せる中で行われたことを好感する」(日本商工会議所・小林会頭)などといったコメントが出されています。

 

 また、国内外のエコノミストからは「日銀が非伝統的な金融政策を駆使していた状態から、より正常な金融政策に移行する措置だ。政策が終了する際に金融市場に大きな混乱が生じることが懸念されたが、植田総裁はそうした混乱を避ける形で実現することができた。これは大きな成果だ」などといったコメントが寄せられており、「まだまだ課題は山積している」との留保条件をつけつつも、日銀の決定を肯定的に評価する声が大勢を占めているように感じられます。

 

 欧米の有力経済紙では、日銀が「マイナス金利政策の解除」を決定したことについて真っ向から批判したり、反対したりする論調は少なく、フィナンシャル・タイムズが「数十年続いたデフレを終わらせる歴史的な転換点を迎えた」と大きく報じており、ウォール・ストリート・ジャーナルは「妥当な判断」と評しています。

 

 しかしながら、日銀が「マイナス金利政策の解除」を決定するに至った状況認識が間違っているのではないかとの疑念を拭うことができません。

 

経済の好循環が確認された訳ではない -「コストプッシュ型インフレ」と賃上げが困難な中小企業

 

 果たして、日銀が「確認した」とする「賃金と物価の好循環」が、現時点において本当に実現したと言うことができるのでしょうか。

 

 まずは「物価」について、政府と日銀が目指しているインフレは言うまでもなく「デマンドプル型」なのですが、現在の日本の物価上昇はロシアのウクライナ侵攻などの情勢を要因とする国際的な資源・原材料価格の高騰と円安によって引き起こされている「コストプッシュ型」であることは明らかです。

 

 一方、「賃金」について見てみると、名目では確かに上昇していることが確認できます。

 昨年2023年の賃上げ率は3.60%で1994年以来の3%台を記録し、春闘における平均妥結額は1993年以来30年ぶりに1万円を超えることとなりました。そして、今年の春闘で、労働組合の中央組織である「連合」では賃上げ額が33年ぶりに5%を超え、労働団体の「全労連」では25年ぶりの高い水準となっています(注4)

 

 しかし、現在の我が国における賃上げは、国内経済が活性化することによって実現できたということではありません。(企業数において)ごくわずかな割合を占めるに過ぎない大企業が政府の要請に応えて賃上げを実施した(注5)ことに加えて、多くの中小・零細企業が十分な収益を確保することができていないにもかかわらず、極端な「人手不足」の状況下で事業を継続するために必要な労働力を確保するために、やむを得ず賃金を引き上げた(注6)ことによって実現されたものであると考えられます。資金力が弱い中小企業にとって賃上げには限界があり、大多数の中小企業が物価の上昇を上回る賃金の引き上げを達成することができず、実質賃金の低下が続くという事態に繋がってしまっているのです。

 

マイナスが続く「実質賃金」と低迷する「実質消費」

 

 厚生労働省が実施している「毎月勤労統計調査」の今年1月分の速報値によると、物価の変動分を反映した実質賃金は、前年同月比で0.6%減少しており、実質賃金がマイナスとなるのは22か月連続となっています(注7)

1月の実質賃金 前年同月比で0.6%減少 22か月連続のマイナス | NHK | 物価高騰

1月の家計調査 実質の消費 前年同月比6.3%減 大幅な落ち込み | NHK | 総務省

 

 実質賃金の減少に伴い、実質消費も落ち込んでいます。総務省が発表した今年1月の「家計調査」によると、2人以上の世帯が消費に使った金額は28万9,467円で、物価の変動を除いた実質で前年同月よりも6.3%減少し、11か月連続で前年同月を下回っており、減少率は2021年2月以来、2年11か月ぶりの大幅な下落となりました(注8) 

 

 「マイナス金利政策の解除」に先立ち、日銀が実施した「生活意識に関するアンケート調査」(2023年12月調査)では「現在を1年前と比べると景気が悪くなった」「現在の景気水準は悪い」との回答が増加しています (注9)

 

 要するに、日銀の言う「賃金と物価の好循環」は、実質的には企業数で0.3%に過ぎないほんの一握りの大企業による賃上げと、コストプッシュによる物価高です。実質賃金が2年近く(22か月)もマイナスが続き、実質消費が大きく落ち込み、国民の大多数が「景気が悪い」と感じているといった現状からは、とても「経済の好循環」が実現していると言うことはできないでしょう。

 

「金融緩和を終わらせてはならない」

 

 数年前まで日本銀行政策委員会の審議委員を務めていた経済学者の原田泰氏は、今回の「マイナス金利政策の解除」を決定した「金融政策決定会合」の前に「改めて現状の金融政策についての意見を述べておきたい」として「(現状では)日銀は金融緩和政策を継続すべきである」との主張を展開する論考を公開しました(注10)

 

 原田氏は、日本と諸外国(イギリス、アメリカ、韓国、ユーロ圏、スイス)のマネタリーベース(中央銀行が直接コントロールできるお金の量、МB)と名目GDPの関係を図で示して、次のように論じています。

 

・我が国では、1997年から2012年までМBを伸ばしたにもかかわらず、名目GDPは低下しており、2013年以降はМBを伸ばすと名目GDPも伸びている関係が見て取れるが、МBを大きく伸ばしても名目GDPの伸びは小さい。

 

・日本でМBを増やしても名目GDPの伸びが低かった原因は、物価が下がる「デフレにあった」からだと考えるべきであり、日本ほどではないにせよ、スイスで名目GDPの伸びが低かったのは同じ理由によるものである。

 

・2000年以降の年平均の消費者物価上昇率を見ると、イギリスが2.6%、アメリカ2.5%、韓国2.5%、ユーロ圏2.1%であったのに対して、スイスは0.6%、日本は0.4%に過ぎなかった。

 

・日本においてМBを増やしても名目GDPが伸びないという図は、МBと名目GDPの関係を否定しているのではなく、日本の金融政策が失敗してデフレを招いていたことを示している。

 

早すぎる異次元緩和の終了は日本を再びデフレに戻らせ、金融政策の効果を低めてしまうことになるのであり、そうなれば、再び金融政策によって名目GDPを増大させることを困難にする。すなわち、景気刺激策を難しくする可能性が高いのであり、日本はまだ金融緩和を終了させるべきではない。

 

 私には、植田総裁による説明よりも、原田氏による「(現状では)日銀は金融緩和政策を継続すべきである」との主張の方に説得力があるように思えます。

 

 『表現者クライテリオン』の藤井聡編集長は、日銀による「マイナス金利政策の解除」など大幅な金融緩和政策の見直しについて、日銀の発表当日にX(ツイッター)で「予想されていたとはいえ、最悪です」「これで国民貧困化の加速は決定的です」と発信し、翌日のメルマガで「『岸田総理の選挙対策・世論対策のために利上げした』という理由くらいしか思い当たらない程に、完全に間違った日銀判断である」と述べて強烈に批判しています(注11)

 

 2000年代以降、日銀は、利上げを行った後に景気が低迷し、政策の修正を迫られるという歴史を積み重ねてきました(注12)。現時点で、私自身も藤井編集長と同様に、日銀がこのタイミングで「マイナス金利政策の解除」という大きな政策転換に踏み切る合理的な理由を見出すことができておらず、近い将来、この度の「マイナス金利政策の解除」が、日銀の失敗の歴史に新たな一項目として書き加えられることになるように思えてなりません。

 

「失われた40年」へ-凋落する日本経済

 

 そもそも「マイナス金利政策の解除」(金融緩和をやめる)を発表するのと同時に「当面は緩和的な金融環境を続ける考え」を強調すること―恐らくは「ゼロ金利」に近い金利を維持することを意図している―は相矛盾したメッセージを発信しているようにも思えます。「緩和的な金融環境」を維持するために「ゼロ金利」の近傍を維持しなければならないのであれば、現時点であえて「マイナス金利」を解除して「ゼロ金利」にする必然性はないのではないでしょうか。

 

 確かに「預金者が金利を受け取るのではなく、支払わなければならない」という「マイナス金利政策」が「普通」ではない「異常な対応」であることは間違いありません。

 

 しかしながら、そもそも現在の我が国の経済が「失われた30年」と言われるほど長期にわたって低成長とデフレに苦しむ「異常な状態」が続いてきているのであり、「異常な状態」に対処するために「マイナス金利政策」という「異常な対応」をせざるを得なかったことが必然であったようにも思えます。そして、「賃金と物価の好循環」が実現し、経済の「異常な状態」が解消されたのであれば、「マイナス金利政策」という「異常な対応」を止めることが正解なのでしょうが、未だその条件は整っていません。止めるべきは「異常な対応」でなく、「異常な状態」なのです。

 

 我が国の政府が「プライマリー・バランスの黒字化」や「財政の健全化」などといった過てる政策目標さえ掲げていなければ、そして、政府と日銀が連携して「国民の生命・財産」を守り、国民を豊かにするために適切な財政・金融政策を実行することができてさえいれば、「マイナス金利」が必要とされるような「異常な状態」はとうの昔に解消されていたに違いありません。

 

 我が国の経済が「失われた30年」と呼ばれる長期停滞に幕を引き、活力を取り戻せるか、正念場を迎えているということは、その通りだと思います(注13)

 

 この度の日銀による「マイナス金利政策の解除」の決断が、「失われた30年」と呼ばれる長期停滞に幕を引くのではなく、「失われた40年」への扉を開くことになるのではないかと思えてならないのです。この展望が間違っていることを願ってやみません。

 

——————————

(注1)【詳しく】日銀 マイナス金利政策を解除 17年ぶり金利引き上げ 異例の金融政策を転換 金融政策決定会合 | NHK | 日本銀行(日銀)

(注2) 【詳しく】日銀 植田総裁 記者会見「大規模な金融緩和策は役割を果たした」マイナス金利政策解除 | NHK | 日本銀行(日銀)

(注3) (注1)に記した資料を参照。

日銀マイナス金利解除「歴史的転換」 妥当な判断―欧米メディア:時事ドットコム (jiji.com)
(注4) 賃上げ率は3.60%で1994年以来の3%台に(国内トピックス:ビジネス・レーバー・トレンド 2023年10月号)|労働政策研究・研修機構(JILPT)

春闘2024 賃上げ額の状況 連合33年ぶり 全労連25年ぶりの水準 日銀の判断は | NHK

(注5) 春闘に先立って行われた2024年度「賃上げに関するアンケート」調査では、2024年度に賃上げを予定している企業は85.6%で、定期的な調査を開始した2016年度以降の最高を更新しています。但し、規模別の賃上げ実施率で、大企業(93.1%)と中小企業(84.9%)で8.2ポイントの差がついており、賃上げを捻出する体力や収益力の差で二極化が拡大しています。

同調査によると、連合が2024年春闘の方針として掲げる「5%以上」の賃上げは、賃上げ実施企業のうち、達成見込みが25.9%にとどまり、前年度から10ポイント以上の大幅な低下となり、賃上げ率の中央値は3%で、政府が要請する「前年を上回る賃上げ」も、中央値では全ての規模・産業で未達成となっています。

(注6) 中小企業の中には、既に自力では持続的な賃上げを行なうことが厳しい企業も出てきており、企業にとって身の丈を超えた無理な賃上げは業績悪化に拍車をかけることに繋がりかねず、2023年には「人件費高騰」による倒産が過去最多の59件発生しました。また今年賃上げの予定がない企業のうち16.0%が「2023年度の賃上げが負担となっている」を理由に挙げています。

(注7) 1月の実質賃金 前年同月比で0.6%減少 22か月連続のマイナス | NHK | 物価高騰

(注8) 1月の家計調査 実質の消費 前年同月比6.3%減 大幅な落ち込み | NHK | 総務省

(注9) 「生活意識に関するアンケート調査」(第96回)の結果 : 日本銀行 Bank of Japan (boj.or.jp)

ishiki2401.pdf (boj.or.jp)

(注10) 日銀は「金融緩和を継続」したほうがいい!経済学者が緊急提言…市場関係者やメディアが目を背ける、物価と経済成長の「不都合な真実」(原田 泰) | マネー現代 | 講談社 (gendai.media)

いま金融緩和をやめたら日本は再びデフレに戻る…!経済学者が「植田日銀は金融緩和を継続をしたほうがいい」と主張するワケ(原田 泰) | マネー現代 | 講談社 (gendai.media)

(注11) 藤井聡京大教授「最悪です」日銀のマイナス金利解除に「国民貧困化の加速は決定的」テレビ出演多数「正義のミカタ」など(デイリースポーツ) – Yahoo!ニュース

日銀の利上げで国民の貧困化は確実。「岸田総理の選挙対策・世論対策のために利上げした」という理由くらいし思い当たらない程に、完全に間違った日銀判断である。 :: 有料メルマガ配信サービス「フーミー」 (foomii.com)

(注12) (注1)に記した資料を参照。

(注13) 「失われた30年」終幕へ正念場 賃金・物価の好循環、試される持続力 日銀マイナス金利解除(時事通信) – Yahoo!ニュース

(藤原昌樹)

 


 

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