【藤原昌樹】戦没者の御霊を慰めるために我々が為すべきこととは何か ―戦後79年目の「沖縄慰霊の日」― 

藤原昌樹

藤原昌樹

 2024年6月23日、沖縄は戦後79年目の「慰霊の日」を迎えました。20万人を超える沖縄戦の犠牲者の死を悼む慰霊祭が県内各地で営まれ、激戦地となった糸満市摩文仁の平和祈念公園では、沖縄県と県議会が主催する「沖縄全戦没者追悼式」が開催されました(注1)。「追悼式」には県内外から約4,500人が参列し、24万2,225人の戦没者の名が刻まれた「平和の礎」には、早朝から手を合わせる人たちの姿が絶えず、子供からお年寄りまで幅広い世代の人たちが花や線香を手向けていました。

 

突きつけられる「記憶の継承」の課題と拡がる「防衛力強化」に対する懸念の声

 

 沖縄では、毎年4月の後半頃からテレビや新聞などで「本土復帰記念日」(5月15日)に関する話題が取り上げられることが増え始めて、それに引き続いて「慰霊の日」(6月23日)や「沖縄戦の歴史」に関する報道や特集番組などが多くなります。

 沖縄戦の終結から79年もの長い歳月が流れて、近年、沖縄戦の語り部として活動されてきた方々が鬼籍に入られたとのニュースが相次いでいることから、今年の「慰霊の日」前後の「沖縄戦の歴史」に関する報道や特集番組などでは、これまで以上に「沖縄戦を体験していない世代の人間が如何にして語り継ぐのか」ということが多く取り上げられるようになっており、沖縄戦の「記憶の継承」の課題が既に「待ったなし」の段階を迎えているのだということを改めて突きつけられたような気がします。

 また、「慰霊の日」当日の『琉球新報』の社説(注2)がその典型だと言えるのですが、沖縄県内では、我が国で「南西諸島の防衛力強化」が急速に進められている現状を「新しい戦前」と呼び、戦前期の「国家総動員法」や「軍機保護法」など戦時体制と重ね合わせて「沖縄は軍事化が進んで沖縄戦の前のような状況になっている」「日本は『戦争ができる国』づくりから『戦争準備』へ大きく踏み出したのではないか」と危惧する論調が拡がっています。

 『琉球新報』『沖縄タイムス』のみならず、NHKなどテレビの報道番組でも、現在の「防衛力強化」及び法整備の動きについて「戦争準備ではないのか」「戦争に向かっているようだ」「日本が防衛力を強化すること自体が戦争に繋がる」「平和憲法に反する」などと否定的に論ずる場面が多く見受けられました。

 しかしながら、現在、我が国で進められている「防衛力強化」は、中国の拡張主義に基づく軍備増強や強引な海洋進出などで急速に緊張の度合いが増している国際情勢に対する懸念の高まりを背景にしているのであり、それを戦前期の戦時体制に準えて否定的に論ずることには違和感を覚えます。

 改めて言うまでもなく、「沖縄戦の歴史」を次の世代に語り継ぎ、「記憶の継承」に取り組むことの意義とその重要性は否定できるものではありません。

 しかしながら、沖縄戦の「記憶の継承」のために語られるオジィやオバァ達が体験した苛酷で悲惨な「沖縄戦の物語」と「防衛力を強化して有事に備えること自体が戦争を招く」として「防衛力強化」について否定的に論ずる議論とを関連づけて提示するということは、「絶対平和主義」のイデオロギーに基づく非現実的な「夢物語」と密接に結びついていると看做さざるを得ません

 そして、「沖縄戦の悲惨な物語」と非現実的な「夢物語」とを安易に結びつけて広く流布しようとすることは戦没者を冒涜する独善的な行為であり、しかも、それが「平和学習」「平和教育」という大義名分の下に、主に学校を中心とする教育の現場において子ども達を対象に行われているということが、「平和主義」による次の世代に対する犯罪に等しい行為であるように思えてなりません。

 

繰り返されてしまった「恥ずべき光景」-「沖縄全戦没者追悼式」

 

 これまでにも拙稿において何度か言及していますが、「沖縄全戦没者追悼式」において、首相の式辞に対して罵声や野次が飛び交い、県知事の平和宣言には拍手や指笛とともに歓声が沸くなど「慰霊のための祈りの場」にあるまじき立ち居振る舞いをする輩が出没することが恒例行事のようになってしまっております(注3)

 残念ながら、今年もまた「戦没者を慰霊する儀式の場」に到底相応しくない、私たち沖縄県民にとって「恥ずべき光景」が繰り広げられることになってしまいました(注4)

 追悼式の会場は平和祈念公園内の一部区域をフェンスで囲む形で設営され、フェンスの外側から大勢の人が式典の様子を見守っていましたが、「沖縄・アジア・中国を戦場にするな 自衛隊ミサイル配備反対」と書かれた横断幕が掲げられ、「(岸田首相は)帰れ」「沖縄を戦場にするな」「沖縄を犠牲にするな」とのシュプレヒコールが聞こえていました。

 式典には首相や閣僚らも参列するため、会場の入口には、式典の主催者である沖縄県が参列者に対して大声を出さないように求める注意書きの看板が設置され、金属探知機による身体検査や目視による手荷物検査が実施されていました。

 しかしながら、それでも不届き者の侵入を防ぐことはできず、岸田文雄首相が挨拶を述べている際、会場のほぼ中央にいた男性が「わったーうちなーんちゅは、むるわじとんどー(私たち沖縄の人は、みんな怒っている)」などと叫び、警備中の警察官たちに取り囲まれ、会場の外に連れ出されていきました。その男性は式典会場から連れ出されながらも「軍隊は住民を守らない。県民は声を上げなければいけない」などと叫び続け、岸田首相の挨拶が中断することはなかったものの、会場は一時騒然とした雰囲気になってしまいました。

 「追悼式」においては、その場に居合わせる全ての者に「追悼の場」に相応しい立ち居振る舞いが求められるのであり、本来であれば厳かな雰囲気で執り行われるべき「追悼の場」を利用して、自らの政治的主張を披歴したり、自らと異なる主張を持つ他者を罵倒したりすることは、戦没者を冒涜する行為です。場をわきまえずに自らの主義・主張を声高に叫ぶことは決して許されることではありません。

 式典終了後、玉城デニー知事が「慰霊の式典なので、できるだけ静謐な環境で(式典に)臨んでいただきたいとお願いしていた」と述べる一方で、「あのような声が出たということも、県民あるいは(式典に)参加された方々の思いの吐露なのだろうと受け止めている」との認識を示したということが報じられています。

 「慰霊の日」は沖縄県の条例によって「平和を希求し、戦没者の霊を慰める日」と定められており、「沖縄全戦没者追悼式」は沖縄県と県議会が主催する式典です。

 玉城知事は-たとえ彼らが訴えている主義・主張に共感する思いがあったのだとしても-主催者である沖縄県を代表する知事として、「追悼式」の場における戦没者を冒涜する行為に対して肯定したり、彼らに同情して容認したりするべきではなく、強く非難して彼らの行為を否定する厳しい態度を示さなければならなかったのではないでしょうか。

 「追悼式」の場で自らの主義・主張を披歴するために戦没者を冒涜するような振る舞いをする輩に対して、私自身を含む多くの沖縄県民が「わじっている(怒っている)」のであり、沖縄県民の1人として、彼らの行為を容認しているとも受けとめられる玉城知事の言葉を残念に思うとともに、毎年のように「追悼式」において騒動が起こり、「恥ずべき光景」が繰り返されてしまっていることを、沖縄の地に眠る戦没者に対して申し訳なく思います。

 

心に響かない空念仏ー「追悼式」における岸田首相挨拶

 

 「慰霊の日」翌日の報道では、玉城デニー知事による「平和宣言」について「『沖縄の人の心を訴えている』などと共感する声が聞かれた」など称賛する一方で、岸田首相の挨拶については「形だけの挨拶に感じた」「全然心に響かなかった」「言っていることと、やっていることが違う」などと手厳しい評価が下されていました(注5)

 昨年の「追悼式」における岸田首相の挨拶も「心に響かない」「沖縄の人を置き去りにしている」と酷評されていたことが思い出されて、「追悼式」における県知事の「平和宣言」が称賛され、首相による「挨拶」が貶されることが一つのお約束事になってしまっているようにも思えます(注6)

 今年の「追悼式」での岸田首相の挨拶(注7)を虚心坦懐に読み解いてみると、多少表現の仕方に違いはあるものの、昨年とほぼ同じ内容であると言っても過言ではなく、その主旨は「戦没者に対する哀悼の意」と「沖縄の過大な基地負担の軽減と経済振興に尽力する決意」であり、あくまでも私の個人的な見解ですが、「無難な内容に上手くまとめられている」「可もなく不可もなし」と評価せざるを得ないものの、酷評されなければならないほど酷い内容であるとまでは言えないように思えます。

 しかしながら、「追悼式」の生中継で視た岸田首相が挨拶する姿からは、首相自身が自らの言葉を語っているように感ずることができず、―官僚が書いた文章を読むこと自体を否定するものではありませんが―手慣れた官僚によって書かれた文章を一言一句間違えないよう慎重に読み上げているかのような印象を受けたことを否定することができません。

 岸田首相の挨拶が沖縄県民の心に響かないのは、挨拶で語られている内容そのものに問題があるのではなく、あたかも他人事のように語る岸田首相の語り口と、聞く側の私たちの中にある「現在の岸田首相と日本政府を信用することができない」という不信感の顕れであり、岸田首相が「強い沖縄経済の実現」や「沖縄の基地負担の軽減」に尽力すると語ったところで、政府がその実現に向けて本気で尽力することを全く期待することができない空念仏でしかないということが見透かされてしまっているからであるように思えてなりません。

 

戦没者の御霊を慰めるために我々が為すべきこととは何か

 

 「沖縄全戦没者追悼式」における「平和宣言」(注8)で、玉城デニー知事は1972年の沖縄の日本復帰の際の日本政府の声明(注9)から「沖縄を平和の島とし、わが国とアジア大陸、東南アジア、さらにひろく太平洋圏諸国との経済的、文化的交流の新たな舞台とすることこそ、この地に尊い生命を捧げられた多くの方々の霊を慰める道であり、沖縄の祖国復帰を祝うわれわれ国民の誓いでなければならない」を引用して「この声明を想い起こし、沖縄県民が願う、平和の島の実現のため、在沖米軍基地の整理・縮小、普天間飛行場の一日も早い危険性の除去、辺野古新基地建設の断念など、基地問題の早期解決を図るべきです」として政府に迫りました。また、「いわゆる安保三文書により、自衛隊の配備拡張が進められており、悲惨な沖縄戦の記憶と相まって、私たち沖縄県民は強い不安を抱いています」との懸念を表明し、式典後には記者団に対して、米軍基地負担に加えて自衛隊の配備拡張が進められていることについて「県民からすると受忍限度を超えているということでしかない」との認識を示しました。

 今年の「平和宣言」において、玉城知事は「あの戦争から79年の月日が経った今日、私たちの祖先(うやふぁーふじ)は、今の沖縄を、そして世界を、どのように見つめているのでしょうか」「今の沖縄の現状は、無念の思いを残して犠牲になられた御霊を慰めることになっているのでしょうか」と問いかけています。

 恐らく、玉城知事自身は、そして玉城知事による「平和宣言」を称賛する人々は「米軍基地であるか、自衛隊基地であるかを問わず、沖縄から全ての軍事基地を撤去し、あらゆる武器を廃棄することを通して平和な島『沖縄』を実現すること」こそが、私たちの祖先の御霊を慰めることであると考えているものと思われます。

 しかしながら、絶対平和主義者たちが主張する「沖縄にある全ての軍事基地の撤去」が仮に実現した場合、そこに生ずる軍事的空白がかえって紛争を引き起こす原因となる可能性が高くなるという事実を踏まえると、私たちの祖先が、自らの子や孫たちが「絶対平和主義」というイデオロギーに基づく非現実的な「夢物語」に踊らされて危険に晒されることを望んでいると考えることはできません。

 私たちの祖先が自らの子孫に対して望むのは、危険に晒されることも顧みずに「絶対平和主義」のイデオロギーに殉ずることなどではなく、また、「ペシミズム(悲観主義)」や「シニシズム(冷笑主義)」に陥ることでもなく、本来の意味での「リアリズム(現実主義)」に基づき、「平和」を維持するために「独立国に相応しい防衛力に基づく抑止力によって地域の安定を追求すること」と「対話と相互理解による緊張緩和と信頼醸成」に努めて、平穏な生活を営むことができるようになることなのではないでしょうか。

 もし先の大戦で犠牲となった戦没者に「死者の墓石投票」で投票に参加してもらうとするならば、彼らは「絶対平和主義」に基づく非現実的な「夢物語」に票を投ずることはないと思われます(注10)

 私たちは「死者=戦没者」に認めてもらえる選択肢を見出していかなければなりません。それこそが、いま我々が戦没者の御霊を慰めるために為すべきことではないでしょうか。

 

 

(注1)令和6年沖縄全戦没者追悼式の開催|沖縄県公式ホームページ (pref.okinawa.jp)

戦後79年、沖縄慰霊の日 玉城知事「平和に絶え間ない努力を」―地上戦犠牲20万人追悼:時事ドットコム (jiji.com)

沖縄全戦没者追悼式 デニー知事が平和宣言 自衛隊増強に「強い不安」 交流による信頼関係を 慰霊の日 – 琉球新報デジタル (ryukyushimpo.jp)

平和世を誓う夏 戦後79年の「慰霊の日」 沖縄戦の犠牲者を悼む | 沖縄タイムス+プラス (okinawatimes.co.jp)

沖縄戦の記憶、心に刻む 慰霊の日、島全体が鎮魂の祈りに包まれ 平和と継承誓う | 沖縄タイムス+プラス (okinawatimes.co.jp)

悲惨な戦争、もう二度と 沖縄「慰霊の日」 平和への祈り島を包む 軍備強化に強い懸念も  – 琉球新報デジタル (ryukyushimpo.jp)

(注2) <社説>沖縄戦79年「慰霊の日」 「戦争準備」拒み平和築け – 琉球新報デジタル (ryukyushimpo.jp)

(注3)【藤原昌樹】ドラえもんとのび太が知らない「沖縄慰霊の日」 | 表現者クライテリオン (the-criterion.jp)

・拙稿「私たちはガンディーにはなり得ない―沖縄の『平和主義』は『非暴力』主義に耐えうるか―」『表現者クライテリオン』110号(2023年9月号)

【藤原昌樹】「辞世の句」ホームページ掲載を巡るドタバタ劇─悲劇を政治利用する平和主義者たち | 表現者クライテリオン (the-criterion.jp)

(注4)「銃弾持って帰れ」追悼式典会場近くで大声 玉城知事「県民の思いの吐露と受け止める」(産経新聞) – Yahoo!ニュース

首相あいさつ中に男性叫ぶ 会場外へ連れ出され 沖縄・戦没者追悼式(毎日新聞) – Yahoo!ニュース

岸田首相に複数のやじ 沖縄慰霊の日 「基地と一緒に持ち帰れ」空包持ち込んだ女性は任意同行 | 沖縄タイムス+プラス (okinawatimes.co.jp)

沖縄全戦没者追悼式で岸田首相に街宣活動 国民・玉木代表が苦言「式典の間だけでも静かにできないものか」(よろず~ニュース) – Yahoo!ニュース

「恥ずべき光景」今年も 首相へのやじ、式典乱す | (yaeyama-nippo.co.jp)

(注5)玉城デニー知事の平和宣言に参列者ら共感 首相あいさつは「形だけ」 沖縄「慰霊の日」 – 琉球新報デジタル (ryukyushimpo.jp)

(注6) 拙稿「私たちはガンディーにはなり得ない―沖縄の『平和主義』は『非暴力』主義に耐えうるか―」『表現者クライテリオン』110号(2023年9月号)

(注7) 令和6年6月23日 令和6年沖縄全戦没者追悼式における内閣総理大臣挨拶 | 総理の演説・記者会見など | 首相官邸ホームページ (kantei.go.jp)

<全文>岸田文雄首相あいさつ 沖縄全戦没者追悼式 沖縄戦から79年 – 琉球新報デジタル (ryukyushimpo.jp)

(注8) 平和宣言(Peace Declaration、和平宣言、평 화 선 언)|沖縄県公式ホームページ (okinawa.lg.jp)

heiwasengen.pdf (okinawa.lg.jp)

<全文>玉城デニー知事による平和宣言 慰霊の日 沖縄戦から79年 – 琉球新報デジタル (ryukyushimpo.jp)

自衛隊の拡張 玉城デニー知事「沖縄戦の記憶と相まって、県民に強い不安」 平和宣言で訴え – 琉球新報デジタル(ryukyushimpo.jp)

(注9)「国民の皆さん、沖縄は本日、祖国に復帰しました」50年前の政府声明文【全文】 – 琉球新報デジタル (ryukyushimpo.jp)

(注10) 【藤原昌樹】ドラえもんとのび太が知らない「沖縄慰霊の日」 | 表現者クライテリオン (the-criterion.jp)

・西部邁「諧謔による正統の擁護 ギルバート・チェスタトン」『思想の英雄たち 保守の源流をたずねて』(角川春樹事務所 ハルキ文庫)、2012年
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(藤原昌樹)

 

 


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