【川端祐一郎】「矮小」な指導者を生みだす 「遊び」の逆説

川端 祐一郎

川端 祐一郎 (京都大学大学院准教授)

4月16日発売の最新刊、
『表現者クライテリオン2025年5月号 [特集]石破茂という恥辱ー日本的”小児病”の研究』から特集論考をお送りします。

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丸山眞男が批判した日本の指導者の「矮小さ」は、
ホイジンガが論じた「小児病化」の帰結でもある。
「役割」を演ずる緊張感を取り戻すためには
「遊びの精神」の見直しが必要である。

矮小な日本の権力者

 何年か前に、テレビ番組のコメンテーターが石破茂氏について「あのスローな喋り方が生理的にダメなんですよ」と発言し、視聴者から批判を浴びたらしい。「それはただの悪口であって品位に欠ける」という視聴者の抗議は正論かも知れないが、率直に言えば私もそのコメンテーター氏に同意せざるを得ない。「呪いの言葉を吐くようなしゃべり」と評した物書きもいて、さすがに失礼だろうとは思うものの、昨年秋に石破氏が首相に選ばれたと知ったときは、それこそ私も「生理的」というのに近い違和感を覚えてしまった。リーダーとして国民の前に立つのである以上、最低限の明朗さと、聞き手の背筋が伸びるような緊張を備えていてほしい。それが権力者の演ずべき役割だろうと文句を言いたくなったのである。
 まどろっこしいのは喋り方だけでもない。発言の内容を咀嚼してみても、とにかく予防線を張るのに一所懸命で、結局何がしたいのかはよく分からない。そして相手が予防線にかかるや否や、「正確には私はそういう言い方はしておりません」としたり顔で応じるのである。もちろんこれは、多かれ少なかれ他の政治家についても言えることなのだが、石破氏の陰気なトーンが加わると、余計にひねくれた印象を受けてしまう。
 丸山眞男は日本の権力者のふるまいを指して、「矮小」という形容を多用した。彼の進歩的イデオロギーに賛成するかどうかはともかくとして、日本の指導者がもつ弱点を言い表す上で、これ以上に的確な言葉はないと私には思える。
 石破氏はもともと、いわゆる「七条解散」を批判してきた人物である。衆議院の解散は内閣不信任が決議された場合などに限って認められるもので、「今なら勝てる」という党利党略で解散権を濫用すべきではないと主張していた。昨年の総裁選においても、当選すればすぐに衆院を解散し
て国民の信を問うという小泉進次郎氏とは対照的に、「世界情勢がどうなるか分からないのに『すぐ解散します』という言い方はしない。解散していい状況が整うかどうかを判断する」と述べていた。ところが総理に就任するや否やあっさり前言を翻し、数日後には「ご祝儀相場」を当てにした「党利党略のための解散総選挙」に打って出た。確かに彼は「解散しない」とは言っていないのだが、そういう誤魔化しが通用してしまうのはまさに日本政治の「矮小さ」そのものである(しかもこの選挙は自民党にとって成功とは言い難いもので、党利に貢献することもできなかった)。
 二月に行われたトランプ大統領との会談で、石破氏はニューヨーク・タイムズ紙から「お世辞の芸術」(the Art ofFlattery)と揶揄されるほどの褒め殺し作戦に出た。確かにトランプ氏の機嫌を取ることには成功したようだが、同紙も指摘するように、結局のところUSスチール買収問題にしても関税問題にしても、何の成果も得られなかった。むしろトランプ氏に「矮小な日本人」の御しやすさを印象づけただけだろう。

「真面目」と「遊び」の逆説

 「矮小だ」というのを、「幼稚である」とか「子供じみている」とか言い換えてもよい。では、政治が幼稚化してしまうのはなぜなのか。いまから九十年ほど前の戦間期に、ヨハン・ホイジンガはヨーロッパ政治の堕落を「小児病化」と名づけて批判し、その背後にある人類学的なメカニズムについて考察した。彼によれば、政治が子供じみたものとなるのは、「真面目さ」や「真剣さ」が足りないからというより、むしろ子供が持っているような本来の意味での「遊び」の精神を失ってしまったからである。
 ホイジンガのいう「遊び」とは、日常生活から明確に切り離された時間と空間において、厳格なルールに則り、何か別の目的のための手段としてではなく、それ自体を楽しもうとして行われる文化的活動である。スポーツでも演劇でも何でもよいが、遊びの時間と空間には始まりと終わりがはっきり定められている。また、「健康のために運動する」という場合もあるとはいえ、野球やサッカーのゲーム性は何か他のものに役立つのではなく、それ自体として(自己充足的に)堪能されるものである。
 ホイジンガは「遊び」の反対を「真面目」と呼んでおり、これは国家の政治、企業の商売、家庭の生活のように、時間的にも空間的にも限定されない日常世界において、状況に応じてルールを変更しながら続けられる問題解決の営みを指す。これらは「生きていく」という目的のために必要な「手段」であって、それ自体に楽しみが宿るわけではない。ただし、政治や戦争というものは元来「真面目」に属する活動だが、同時にそこに「遊び」の要素が取り入れられることによって、気高い名誉心と柔軟なユーモアを兼ね備えた「文化」たり得てもきた。
 ホイジンガの遊びの理論で面白いのは、「法律を守る」とか「裁判所の決定を受け入れる」といった、社会に秩序をもたらすために必要となる行動様式が、元をたどれば遊びを通じて育まれたのだと考える点である。そして、真に美しいものや崇高なものを追求する真摯な向上心も、遊びの文化の中でこそ培われるものだとされる。ふしだらな人間に対しては「真面目にやれ」と言いたくなるものだが、ホイジンガの理論からすると、ある意味では「しっかり遊べ」と教えるべきなのだ。

遵法意識は「遊び」に由来する

 法律が機能するためには、遵法意識を人々が内面化している必要がある。もちろん物理的強制力によってルールを守らせるような面もあるとはいえ、社会秩序の多くの部分は、警察に銃口を突きつけられなくとも行儀よく行動するという、内面化された習慣によって支えられている。別の言い方をすると、まともな人間は、「規範に則った生活をしたい」という内発的な動機を多かれ少なかれ持っているということである。
 実は、、、、続きは本誌にて…


<編集部よりお知らせ>

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村上春樹氏の文学世界に改めて光をあて、「自由の困難さ」という視点からその意義と魅力を掘り下げます。
おなじみ、浜崎洋介先生と共に現代社会を生きる私たちにとっての“自由”と“文学”の可能性について対話を展開します。
イベント後にはサイン会も実施予定です。ぜひご参加ください!

📅 日時:2025年5月10日(土)14:00〜16:00(13:40開場)
📍 会場:リファレンス西新宿S212
🎫 参加費:会場3,000円(塾生・サポーター2,000円)、配信2,000円(同1,500円)

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