【全文特別公開!/大場一央】民は之を由らしむべし 知らしむべからず ―「徳」を忘れた近代日本の総決算を!

啓文社(編集用)

啓文社(編集用)

今夏開催予定の「水戸遊学合宿」を前に、講師を務める大場一央先生による過去の特集論考を特別に全文公開いたします。

本記事掲載号はこちら


朱子によれば人間性こそ「徳」であり、
「徳」が「信」を生み、ひいては国家目標と人材配置を正しく決める。

一、信なくんば立たず

 「民は之を由らしむべし。知らしむべからず」(『論語』泰伯篇、第九章)という言葉がある。これを「国民には政治について詳細を告げるべきではない」と誤用する例が、今も後を絶たない。

 だが、それは近代になって儒教批判を行う際に用いられた、悪質なプロパガンダであって、江戸時代までの解釈では、「国民一人一人の家を訪れて、政策の細かいところを納得させることはできない。したがって、この人なら間違いない、と信頼させなければならない」というものであった。

 孔子(前五五二~前四七九)は、政治の本質として「信」を説く。たとえば高弟である子貢(前五二〇頃~前四五六頃)が、政治について質問した際、孔子は「食(食糧供給)」、「兵(軍備充実)」、「信(信頼醸成)」の三つを挙げた。これに対し、やむを得ずどれかを犠牲にするとしたら、何を選択するかと聞くと、「兵」をまず犠牲にし、次に「食」を犠牲にすると答えた。そして、「信」だけは何があっても失ってはならないと言う。有名な「民、信なくんば立たず」(『論語』顔淵篇、第七章)は、ここで登場する言葉である。

 いくら経済や軍事に注力しても、信頼がなければ不正や不服従によって機能不全を起こし、やがて滅亡する。最も大事なことは、それを行っている人間であり、人間が信頼に値しなければ、一つとして物事は成し遂げられない。

 こう聞くと、当たり前のことを言っているように見えるかもしれないが、案外そうでもない。国会や討論番組では、数字やグラフ、あるいは外国の論文などが仰々しく持ち出され、政策が「科学的」に証明されたものであるかのような議論がなされている。政策は普遍の真理であって、誰が実行しても同じ成果となるかのように語られるのである。これはそれを行う人間への信頼とは関係なく、「知らしむべし」である。政界のみならず、財界や学界など、あらゆる業界で、こうした「真理」にもとづく人間不在の論理が一人歩きしている。こんな考えだから、人として許されない不正や醜聞を犯した人間が、「あの人は仕事はできる」とか、「仕事の成果で挽回する」とかという理屈で復帰するのである。

 社会全般に蔓延する不信は、実にこの一点によって培われている。つまり、「道に聴いて塗に説く(右から左に聞きかじったことを語ること)」で、上は国際政治から下は庶民生活に至るまで、何でも知り尽くしたような批評や見通しを提起する割に、約束した結果や状況にならず、そのくせ毎度懲りもせずに同じような不正や醜聞を繰り返す態度に、多くの人はいい加減相手にする気も失せているのである。これこそ恐るべき「信」の喪失に他ならない。

 こうしてみると、現代日本人は実に「知らしむべし」にふりまわされているのであって、「数字や蟹文字など並べられても知らない。結果が出せないなら信用できない」と言わねばならない。「知っていることを知っているとし、知らないことを知らないとする。これが知るということだ」(『論語』為政篇、第一七章)は漢文教科書の常連だが、名門大卒の学歴を看板にした官僚や代議士、大学教授、経営者、アナリスト、外国人を前にして、あなたの使う小難しい言葉は「知らない」「分からない」と屈託なく言える人は、そう多くない。

 では、人間に対する「信」とは、どのように醸成されるのであろうか。

 

二、利は義の調和から生まれる

 漢帝国(前二〇二~後二二〇)の基礎を築いた陳平(生年不祥~前一七八)は、宰相として政治を行ったが、皇帝から係争中の裁判件数と、国庫の出納とを聞かれた際、担当者に聞いて下さいと言った。要するに「知らない」「分からない」と言ったのである。これに対して皇帝が、ではお前は何の仕事をしているのかと尋ねると、彼は以下のように答えた。

 「宰相とは、上は天子を補佐して陰陽の調和と四季の順行を促し、下は万物を適切に配置します。そして、外は四方の夷狄や諸侯を鎮撫して、内は国民が親しみ懐くようにし、大臣たちをそれぞれの適職に任命するものです」(『史記』陳丞相世家)。

 ここで注目すべきは「万物を適切に配置し」「大臣たちをそれぞれの適職に任命する」という所である。すなわち、グランドデザイン(国家目標)と役割分担(人材配置)を決定することが、宰相の仕事だという訳である。

 宰相によって任命された大臣と官僚たちは、国家目標にもとづき、所管分野の具体目標を策定するが、事務作業にはタッチしない。その下にいる役人たちは、具体目標を政策化する事務のプロフェッショナルであるが、国家目標全体を理解しているわけではない。何故なら、国家目標の決定は、思想、文学、歴史をベースとした、今日でいう人文系学問を総動員したものであり、政策立案能力とは全く異質なものだからである。国家目標全体を理解できるだけの学識をもった者だけが、大臣や官僚になれる。つまり、政治とは国家目標と具体目標の決定であって、政策とはその達成のための事務的手段に過ぎず、政治の本質ではない、と考えられていたのである。これが前近代の中国において、「官」(官僚)と「吏」(事務員)が分かれる所以である。

 したがって、政策そのものが「合理的」に国家目標を変更することはない。たとえば、孟子(前三七二~前二八九)の「王道政治」が現代日本の国家目標になった場合、①安定雇用の提供による分厚い中間層の育成、②均質的な教育環境の整備、③大都市と地方の再編成、といった具体目標が設定され、その手段となる政策立案が求められる。この時、所得格差や教育格差を招くような政策は、それが如何に「合理的」だとしても、国家目標と違背する故に、頭から排除される。

 孟子からすれば、そうした政策を「合理的」であるとするのが、そもそもの間違いである。何故なら「国民が最も貴く、国家はその次であり、君主は最も軽い」(『孟子』尽心下篇、第一四章)とする孟子は、国民一人一人の民富がそのまま国富となり、一人一人の幸福がそのまま国防力(愛国心)になると説いており、民富を犠牲にして国富の増加を求めるのは、「王の飼っている馬や豚に国民の肉を食わせて太らせるような」「残賊(おぞましい人殺し)」の政治であるとする。むしろ、国民生活を豊かにするために、国富をありったけ放出すれば、それがそのまま国富となる。『易経』に「利は義の調和から生まれる」(乾卦文言伝)とあるが、正しく一人一人の経済生活を安定させ、文化的生活を保証するという「義」の先に、経済大国という「利」が自然と立ち現れるのである。国家目標が民富に置かれている限り、「信」はおのずから生まれるであろう。

 

三、君主は諫言に従えば聖人となる

 国家目標とならんで重要な人材配置については、唐帝国(六一八~九〇七)の栄華を築き上げ、後世「貞観の治」と仰がれた、太宗(五九八~六四九)を見ると分かりやすい。太宗は臣下たちと協力しながら国づくりを行い、その様子は『貞観政要』にまとめられている。

 本書の特徴は、民富の充実と臣下の諫言を重視したことにある。

 「君主たる者の道は、必ず人民を存続させることを優先せねばならない。もしも人民の資産を減らして君主の懐に入れれば、それは太ももの肉を割いて食べ、腹を満たそうとするようなものである。満腹になる頃には死んでいることだろう。もしも天下を安泰にしようとするならば、必ず君主自身を正しくすることを優先せねばならない」(君道篇)。ここで「君主自身を正しくする」という言葉が続いているのは、奢侈や怠惰を好む心が生活や政治に反映され、民富を吸収する政策を正当化する人間ができあがるからである。

 こうした堕落は、知らず識らずに起こるものであるから、第三者の視点として諫言を強く求めることとなる。「正しい君主が邪悪な臣下を任用すれば、道理をつくすことができない。正しい臣下が邪悪な君主に仕えれば、同様に道理をつくすことはできない。(中略)どうか遠慮ない直言と、剛直な議論によって、天下を太平にしようではないか」(求諫篇)。

 もともと儒教には「木は墨縄に従えばまっすぐになり、君主は諫言に従えば聖人となる」(『書経』説命篇)、「昔、天子に諫言する臣下が七人いれば、無道であっても天下を失わなかった」(『孝経』諫争章)とあり、君主専制を牽制して広く言路を開くことが求められ、官職として「諫議大夫」が存在し、官僚たちの意見具申が保障されていた。こうした言路が開かれることで、君主が奢侈や怠惰に流れることがないよう、臣下は逐一目を光らせるのである。

 一方で、臣下もまた、常に正しい諫言ができるよう、政策事務のほとんどから解放され、国家目標の研究を求められた。つまり、諫言とは自分勝手な考えや感想をぶつけるのではなく、国家目標を共有する君主と臣下が、政治においてはもちろんのこと、政治的判断を狂わせないような生活態度を維持するために、議論し合うことを言うのである。

 諫言は君主ばかりでなく、臣下の人間性や能力をも露呈する。よって太宗は優れた者をその中から抜擢した。こうして君主と臣下の間に出現した言論空間の中で相談し、最も支持される人材配置へと落とし込んでいく。

 太宗の最も信頼した魏徴(五八〇~六四三)は言った。「君主が聡明であるのは、全ての人間の意見を受け止めたからです。(中略)『詩経』には『先人には薪拾いのような賤しい者にも問いかける』とあります。(中略)故に邪悪な臣下の讒言に判断力を奪われず、言行不一致な臣下に惑わされなかったのです」(君道篇)。つまり、諫言によってつくられた言論空間を軸に、さらに国民全体の声を受け止めることで、実現不可能な具体目標の策定や、政権の「おともだち」化を防ぎ、国家目標を輿論のレベルにまで成熟させる。かくして人材配置による「信」が生まれるのである。

 

四、君子は徳を慎むことを優先する

 宋帝国(九六〇~一二七九)は、官僚(士大夫)の力が大きく進展し、彼らの言論空間で生まれた輿論が政治を動かした。太宗と臣下たちの言論空間は、彼らのパーソナリティに支えられた一代限りのものであったが、これが国家体制として整備されたのである。そのため、官僚たちの学識が増大し、それに比例して人間性が厳しく問われることとなる。

 王安石(一〇二一~一〇八六)は民富を増強し、それがそのまま財政好転と軍備増強につながる大改革を行ったが、そのために事務能力に優れてはいるが、人間性に問題のある者を抜擢した。結果、みずからが抜擢した者たちに引きずり下ろされて失脚する。このことを予言したのが司馬光(一〇一九~一〇八六)である。彼は王安石に「君子は地位につくことを嫌がり、簡単に辞任する。小人はその反対である。もし小人が出世街道に乗れば、絶対に辞任することはない。それを退けようとすれば、必ず仇のように憎まれ、いつの日か後悔することとなるだろう」(『宋名臣言行録』「三朝名臣言行録」巻九「司馬光」)と忠告している。ここでいう「小人」とは、政策通を以て評価を受けているが、地位や名誉、金銭が第一の、功利に生きる人間である。

 こうした歴史的流れの先に登場するのが朱子(一一三〇~一二〇〇)である。朱子は従来の経書に加えて「四書」を設定し、その筆頭に『大学』を置き、注釈を通じてみずからの思想を展開した。『大学』は、言動を立場に見合うように秩序立て(修身)、家を役割分担で組織化し(斉家)、国家の統制を完成させ(治国)、世界を調和させる(平天下)という政治プロセスを説いた書物である。修身が根本に来るのは、太宗の時と同じ理屈である。

 ただ、『大学』では、言動を秩序だったものにするために、心が常に正しくある(正心)ことを必要とした。心が正しいとは、意識が常に物事を歪みなく認識できる(誠意)ことであり、そのためには知を極め尽くす(致知)べく、目の前に存在するあらゆる事象を研究しなくてはならない(格物)。

 朱子は『大学』に注を加え、研究される対象を「理」とし、「物理と倫理」を兼ね備えたものとして措定した。たとえば、経済学においては、富裕層に富と文化を集中させ、その他大勢の貧困層に対する福祉を削減して、格安の労働力を供給させた方が、GDPは向上するかもしれない。だが、それは物理だけであって倫理はない。したがってそれは「理」ではない。

 また、社会が多くの人でできあがっている限り、たとえバランスシートが最大限効率化されていなくても、彼らの生活が潤うことで、巡り巡って大きな利益となって返ってくると考えるのが「理」である。事実、経済原理に通じた朱子は、「社倉法」を改良した農村経済圏の構築に成功し、知事として統治した地域の数百年にわたる経済安定を実現している。

 朱子の登場によって、あらゆる事業は結局のところ、それを行う人間の心にかかっていることが理論化された。つまり、倫理と政治が理論的に結合され、人の上に立つべきものの要件が、その人間性に求められたのである。常に人倫の中で他者と共に生きていることを意識し、彼らと向き合う中で生まれてくる倫理を形にすることは、おのずから立場と役割をわきまえた言動になるだろう。そして、そうした人間だけが、人の言葉を真摯に受け止め、全体の調和を考えた組織のあり方を考え出し、それが国家目標や人材配置として現れる。ここに現れるその人ならではの人間性こそが「徳」である。『大学』本文は、「君子は徳を慎むことを優先する。徳があれば人々から支持される。支持があれば国土を掌握し、国土を掌握すれば人々の財を運用することとなる。徳は本であり、財は末である」(『大学章句』伝一〇章)とする。

 故に『大学』は朱子によって「初学者が徳に入るための入口」(『大学章句』)と規定され、また帝王学の書物とされた。ただ、そうした「徳」を得るためには、日常生活を場とした、不断の反省を必要とする。

 このことを知っていた江戸時代の人々は、武士であれ、学者であれ、町人であれ、農民であれ、リーダーとなる人は等しく『大学』を読んで学問の基礎を身につけ、眼前の生活と仕事に邁進した。その緊張感が「徳」となり、「信」を生んだのである。

 「自然と規範の分離」による「政治の発見」(丸山眞男)などと嘯き、「徳」をないがしろにして西洋化に邁進したツケが、慢性的なモラルの低下と社会の機能不全として現れている。今さら小手先の法令や規範でどうこうできるほど、人心に生じた不信の奔流は生ぬるいものではない。「民は之を由らしむべし。知らしむべからず」。今こそ儒教にもとづいた国家目標の大転換を行い、近代日本の総決算を行う時が来ているのである。


<編集部からのお知らせ>

政治とは、人の上に立つ者の「徳」によって成り立つ──

朱子学が明確にしたこの原則は、日本でもまた、長く受け継がれてきました。とりわけ江戸時代には、政治・教育・経済・軍事のすべてを「徳」によって統合する構想が、人々あいだに広く共有されていました。

その思想の集大成が、幕末の志士たちに大きな影響を与えた「水戸学」にあります。

「信なくば立たず」という儒教の根本に立ち返り、人間の徳を中心に国家を組み立てるという理念は、現代の日本にこそ必要とされている視座ではないでしょうか。

このたび開催される「水戸遊学合宿」では、思想と歴史の現場である水戸を実際に訪れ、講義と現地案内を通じて、江戸期日本思想の精髄を体得する特別な二日間をお届けいたします。

混迷する時代に、もう一度「人間」を起点に政治と社会を捉えなおす機会として、ぜひご参加ください。

【特別企画】水戸遊学合宿

日程:八月二十三日(土)〜二十四日(日)
新宿駅より貸切バスで水戸へ
講師:大場一央先生(儒学者/水戸学研究)
弘道館・水戸城・偕楽園などを訪問
懇親会・宿泊付き(夜は語りの時間も)

詳細・申込はこちら
https://the-criterion.jp/lp/mitotour/

皆さまのご参加を、心よりお待ちしております。

表現者塾事務局

info@the-criterion.jp

執筆者 : 

CATEGORY : 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

メールマガジンに登録する(無料)