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【柴山桂太】「偏りのない意見」という危険な幻影

柴山桂太

柴山桂太 (京都大学大学院准教授)

富士奇跡さんから《意見の偏りを避けるためにどうしたらよいのか》という質問を頂きました。
今回は、それにお答えします。長文でしたので、質問部分だけを以下に抜き出します。

質問内容

先生方に質問です。私自身普段から極力いろんな意見を聞き、フェアな意見を持つように心がけたいと思ってはいるものの、限られた時間の中で情報収集をしようとすると自身と似た意見を持つ方々からの情報が中心になってしまうので、意識していても、意見や考え方に偏りが出てしまうのはある程度避けられないのではないかと思っています。意見の偏りを避けるために何か心がけるべきことはありますでしょうか?

回答

これは大事な問題なので、掘り下げて検討します(回答がやや批判的なトーンになるのをご容赦ください)。私が気になるのは「意見の偏りを避けたい」という部分です。富士奇跡さんは、偏りのない意見を持ちたいと考えている。私はここに引っかかります。偏りのない意見って、そんなに理想的なものでしょうか。

もちろん、仰りたいことは、ある面では理解できます。「限られた時間の中で情報収集」と書かれているので、おそらくネットで情報収集をしているのでしょう。世間で話題の社会問題、特に意見の分かれる問題について、周辺情報をネットで調べ、どんな意見があるかを調べる。

ところがネット言論の世界は、意見が極化しやすいと傾向にあります。検索すれば検索ワードに関連した情報しか出てこない。リンクを辿って情報を集めると、似たような意見ばかりに遭遇することになる。そのためネット経由で情報を集めると偏った意見に陥りやすいと危惧を感じる。

「意見の偏りを避けたい」というのは、こうした状況を踏まえて出てきたものなのでしょう。ネット言論には、政治的左右を問わず極端なものが多く、下手をすると一方の極に取り込まれてしまいそうなのでバランスを取りたい。一方の極の意見を聞いたら、もう一方の極の意見もできる限り聞くようにしたい。そういうことが仰りたいのでしょう。

それを一概に否定するつもりはありません。異なった立場の意見を吸収するのは悪いことでないと私も思います。しかし、その目標が「フェアな意見」や「偏りのない意見」を持つことだ、というのはいかがなものか。

目指すべきは「優れた意見」を持つこと、あるいは「深く納得できる意見」を持つことであるべきであって、それが偏っているかいないかは二次的な問題ではないか。そう思えるのです。

そもそも、ある意見が偏っているとか、偏っていないというのは何を基準に判断するのでしょう。基準はおそらく世間の平均的な意見です。平均から外れている意見が、偏った意見ということですね。では、平均値はどこにあるのか。

答えは明らかです。そんなものは客観的には存在しない。極論ではない意見、つまり平均的な意見とは、世の中にある多数意見から世間が勝手に割り出している幻影に過ぎないのです。

意見の分布は刻々と変わっていきます。全体の意見分布が変われば、平均値も変わっていく。具体例には事欠きません。一昔前まで、自衛隊を好意的に語るのはタブーで、右翼的で極端な意見と見なされていました。しかし今は、そんなことを言う方がかえって極論扱いされるでしょう。

今は自由貿易が時代の流れで、保護主義を唱えるのは少数の偏った意見だとみなされています。これも一〇年後には分かりません。その頃には、国益を守るのに保護貿易は当たり前で、自由貿易を唱えるのは極論だと、世論状況がまったくひっくり返っているかもしれません。

平均は所詮、平均ですから、全体の意見分布が変われば内容も一変します。そんなあやふやな基準に基づいて、偏った/偏っていないと判断する。世論とは今も昔もそのように動いていますが、そんなものに従う必要がどこにあるのでしょう。

世論はいつも極論を嫌います。新聞やテレビを見れば分かるように、一方の意見を紹介したら必ずもう一方の意見を紹介する。その意味で、マスコミ世論はいつも「フェア」であろうとします。(現実に公平になっているかどうかはともかく、意図としてはそうあろうとしています。)

一方の意見を聞いたらもう一方の意見を聞いて、意見が偏らないようにする。社会問題には多様な見方があるので、つねに「両論併記」の原則で臨む。マスコミがそう言うのは分かります。なんといっても「マス(大衆)」のメディアですから。しかし、個人が同じことをする必要があるのでしょうか。先の例で言えば、世論状況がどうあろうと、自衛隊が必要と思うなら必要と言えばいいし、保護貿易に理があるなら理があると言えばいい。それだけのことではないでしょうか。

繰り返しになりますが、われわれが目指すべきは「正しい意見」、自分の知識と経験に照らして「深く納得できる意見」を自分なりに築くことであって、「偏りのない意見」に行き着くことではありません。「偏りのない意見」を求めるのはマスコミの、そしてマスコミが生み出す大衆人の典型的な態度であるように思えます。

もちろん、そうは言ってもわれわれもマスコミに日々接する人間で、大衆であることを免れませんから、「平均的な意見」というものをどうしても気にしがちです。自分の考えを言う時に、それが「平均的な意見」とあまりにかけ離れている場合には、それを表現する際に配慮が必要になるのは言うまでもありません。

しかし、言論に多少とも関わる者として言えば、その手の「平均的な意見」は徹底的に疑ってかかった方がいい。むしろ「正しい意見」や「深く納得できる意見」に行き着きつくには、「平均的意見」をまず却下することから始めてもいいのではないか、と思うくらいです。(最終的に出る結論が、世の中の平均値に近いものになるとしても、です。)

話が少し逸れてしまったかもしれません。さまざまな意見を参照して物事を複眼的に考えたい、という富士奇跡さんの考え方に異論はないのです。ただ、そこまで言うのであれば、ゴールを「意見の偏りを避ける」ことに求めるのではなく、正しい意見や納得できる意見に行き着くこと(たとえそれが世間の平均からみて「偏った意見」であったとしても)に求めるべきではないでしょうか。

ちなみに保守思想が擁護する「常識」は、上に述べた「平均的意見」とは全く違うものです。むしろ、鋭く対立するものだと言ってもいい。その詳しい意味については、『表現者クライテリオン』の常連執筆陣が毎回、さまざまなアプローチで書いています(私も「常識を考える」という連載で扱っています)ので、ご参照頂ければと思います。

 

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