【川端祐一郎】「引っ越さなくていい」社会——中産階級の新たな夢

川端 祐一郎

川端 祐一郎 (京都大学大学院准教授)

先週、企業で都市開発事業を考えている人たちとの勉強会があり、私は都市開発の専門家というわけではないのですが、色々おもしろい議論をしました。

その中で気づいたのですが、去年から施さんや柴山さんが『表現者』で紹介し、今年も『表現者クライテリオン』で何度も取り上げられている、D・グッドハート氏の「エニウェアーズ」「サムウェアーズ」という区別は、これからの都市をデザインしていく上でも重要な概念なのではないかと思えます。

簡単におさらいすると、エニウェアーズ(anywheres)というのは全国あるいは全世界の「どこにでも」活躍の場を見出して、華々しい職場を渡り歩いていくような人々のこと。サムウェアーズ(somewheres)というのは対照的に、「どこか」の土地に長く留まって、華々しい仕事はないものの、昔ながらの顔見知りに囲まれたコミュニティのなかで生きていく人のことです。

当然、エニウェアーズのほうが高学歴かつ高収入で、研究者や高級官僚やエリートビジネスマンがこれに該当するのですが、重要なのは、学歴と能力があればみんなエニウェアーズ的な人生を送りたいと思うのかというと、そうでもないということです。

私は以前、社員が40万人ぐらいいる会社の東京本社で仕事をしていて、周りには高学歴な同僚が多かったのですが、東京の生活が嫌になってどうしても地元に帰りたいということで、総合職から一般職への降格を自ら希望して田舎に帰った人が何人かいました。

問題は、その「降格」というのが象徴しているように、サムウェアーズとして生きていくには経済的な豊かさや社会的な地位をある程度犠牲にしなければならないということです。もちろん、文明というのはいつの時代も求心力のある「中心都市」が存在してこそ栄えてきたものではあって、仕方がない面はあるのですが、中心都市と地方の格差がある程度以上になると、弊害が大きくなるでしょう。

東京一極集中が進む今の日本では、選択肢が「東京に出て豊かになる」か「貧乏と不安定さを受け入れて地元に留まる」かに両極化する傾向があって、「そこそこの生活でいいから地元で長く暮らしたい」という人にとっては選択肢が限られています。就活をする学生が一番よく知っていると思いますが、就職の選択肢は東京とそれ以外の土地でめちゃめちゃ格差があります。すると、いい仕事につくためには東京に出ていくしかなくなって、地元を出て引っ越さなければならないわけですね。

「モビリティ」(移動可能性、移動能力)は自由の象徴で、地理的に移動する能力もモビリティですし、低学歴・低所得な家庭に生まれた子供が努力して高学歴・高所得層の仲間入りをするのも、社会的な意味でのモビリティです。しかし、現代日本が「移動を強いる」社会になっていて、「モビリティを行使しない」という選択肢が残されていないとすれば、それはあまり自由であるとは言えません。たとえば、「能力があるので普通の人よりも活躍できるとは思うけど、べつに世界を股にかけるエリートになりたいわけではない」ような人にとっては、好ましい選択肢がないわけです。

昭和の時代の庶民の夢は、あるいは少なくともその一部は、「都会に出て豊かな生活を送る」ことだったと思います。また、都会というのは豊かさの象徴であると同時に、自由の象徴でもあったのでしょう。私は中島みゆきさんの歌の中では『ファイト!』という曲が一番好きなのですが、この歌には、

「薄情もんが田舎の町に
 後脚で砂ばかけるって言われてさ
 出てくならお前の身内も
 住めんようにしちゃるって言われてさ
 うっかり燃やしたことにして
 やっぱり燃やせんかったこの切符
 あんたに送るけん持っとってよ
 滲んだ文字『東京行き』」

という部分があります。たしかに、地元の偏狭なコミュニティに閉じ込められる悲しさとか、そこから抜け出す自由の喜びとか、そういうものはかつては大きかったのでしょう。

ところが現代の日本では、むしろ「地元に留まっていては望むような生活ができない」ということの不自由さが目立ってきていて、そのことが我々日本人の幸福度を低下させているのではないかと思えます。そしてこれは、単なる「地域への愛着」の問題でもありません。

たとえば、東京や大阪では保育園の不足など子育て環境の厳しさが大問題になっていて、確かにもっと充実させたほうがいいとは思いますが、そもそも「ジジ・ババが近所(か同じ家)に住んでいる」という地元環境で生きていけるだけで負担は大幅に減ります。つまり、サムウェアーズ的な生き方ができるなら、そのほうが「合理的」である場合もあるわけですね。

そう考えると、これからの日本が国土計画や都市計画において持つべき目標の一つは、「引っ越さなくていい社会を作る」ことなのではないか。昭和の頃とは違って、これからの中産階級の夢は、「地元で安心して暮らしていける」という「定住の価値」を享受することなのではないかということです。エニウェアーズ的な価値観の人というのは人口の2〜3割だと言われていますので、恐らく過半を占めるサムウェアーズ的価値観の人にとって、引っ越さなくても満足のいく暮らしができるというのは大きな価値になるのではないでしょうか。

ビジネスの世界で、「物流管理の究極の理想は物流を不要にする(なるべくものを動かさない)ことだ」とか、「マーケティングの極意は営業しなくても売れる仕掛けをつくることだ」とか言われることがあります。それと同じように、我々の社会に大きなモビリティ(移動能力)とダイナミズム(活発な変化)をもたらしている技術の数々も、本来は、人々が「もう私には移動も変化も必要ない」と思える地点にたどり着くため、そしてその地点に留まることのデメリットを軽減するためにこそ活用されるべきで、移動や変化を強いられるような社会は理想からは程遠い。

引っ越さなくてもいい社会を実現するのは、全国各地に雇用機会を揃える必要があって、簡単ではありません。また、一部では競争による淘汰や規模・集積のメリットを否定しなければならないので、生産性や成長率を犠牲にする面もあるかも知れません。しかし、引っ越したくない人間に引っ越しを強いるのが豊かな社会であるとは到底言えませんし、引っ越さずに済むことが過半の人間にとって「価値」なのであれば、それがおカネを生む社会をデザインしていくことは可能でしょう。そのために我々は智慧をしぼっていくべきです。

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