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【浜崎洋介】「伝統」を発見するということ――小林秀雄と「故郷喪失」

浜崎洋介

浜崎洋介 (文芸批評家)

 先週のメルマガでは、一九七〇年代前後に生じたと思われる、歴史の断絶、あるいは戦後日本人の「故郷喪失」の感覚について触れておきました。

 が、その「喪失」を意識し、それを繕っていくということは、先週の小浜逸郎先生のメルマガ(「守るべきは日本文化の『型』」)でも論じられていたように、ますます難しくなってきているのかもしれません。

 和服を失い、畳・障子・襖の生活を失い、フローリングのマンション暮らしで、商店街ではなくショッピングセンターで買い物をし、伝統的な祝祭日の感覚(季節)を失い、戦後の国語改革によって歴史的仮名遣い(過去との紐帯)まで失ってしまった私たちは、糸の切れた凧のように、時代の風に流されながら誰でもない毎日を送っているというわけです。

 関東大震災以前の東京に生れた福田恆存は、「今の東京には太陽と月意外に、私が過去と交るよすがは無い。日月では余りに手掛かりが無さすぎる」(「旅・ふるさとを求めて」一九七八年)と書いていましたが、その言葉通り、私を含めた「都会に生きる現代日本人」において、「過去と交わるよすが」は全く奪われてしまっているかのように見えます。

 が、自らを「故郷喪失者」であるという福田自身も、「或る意味ではさういふ故郷喪失者こそ最も豊かに故郷を所有してゐるのではないか」と言う通り、「喪失」を「喪失」として感受できているうちは、まだ私たちの中に「ふるさと」の感覚が残っているのだと言うこともできるのかもしれません。言い換えれば、私たちが、どんな「混乱」に晒されているのだとしても、その「混乱」を「混乱」として感じられているうちは、未だ私たちのなかには「正気」(常識)に対する嗅覚が残っていなければならないはずだということです。

 むろん、それは「まだ失われていないもの」、「まだ混乱しきっていないもの」として消極的に見出される小さな感覚でしかありません。が、改めて考えてみれば、そんな「小さな感覚」を拾い集めていくことによってしか、自らの「伝統」を見出すことができない場所、それが近代/日本という混乱した場所の歴史だったのかもしれません(現在、雑誌に連載している『近代/日本を繋ぐもの』も、そんな問題意識に基づいて書かれています)。

 たとえば、この国に「文芸批評」という営みをもたらした小林秀雄自身が、やはり、そんな「小さな感覚」を拾い集めることによって自らの背骨を立てようとした文学者でした。

 「今日、新事実を追う私たちの疲れた眼には、事物の色は重畳し、輪郭は交錯し、何一つ定かなものはない」(「現代文学の不安」昭和7年)と言い、また「私の心にはいつももっと奇妙な感情がつき纏っていて離れないでいる…東京に生れながら東京に生まれたという事がどうしても合点出来ない、また言ってみれば自分には故郷というものがない、というような一種不安な感情である」(「故郷を失った文学」昭和8年)と語っていた小林秀雄は、しかし、デビューから7年後の昭和11年、次のような確信的な言葉を記していたのでした。

「伝統は何処にあるか。僕の血のなかにある。若し無ければ僕は生きていない筈だ。こんな簡単明瞭な事実はない。こんな単純な事実についていろいろな考え方があるわけはない。だから若し近代人たる僕が正直に自分を語ったら、伝統性と近代性との一致について何等かの表象を納得する筈だ。若し納得出来ないのなら、それは正直さに就いて僕は何か欠けるところがあるからに過ぎぬ、という風に問題を簡単にしてみれば議論の余地はない」(「文学の伝統性と近代性」昭和11年)と。

では、この「不安」から「自信」に至るまでの間に、小林秀雄は何を掴んでいたのか。

それは、「社会不安のなかに大胆に身を横たえ」るという覚悟でした(「『紋章』と『雨風強かるべし』とを読む」昭和9年)。「混乱」を避けるでも、「混乱」を安易に解消するでもなく、その「混乱」を引き受けようとしたとき、小林は、どんな「混乱」によってもなお死に絶えない感覚、自らの底に潜む「伝統」の感覚を確かめていたのだということです。

 なるほど、私たちは、どんな「混乱」の渦中にいようとも、その「混乱」を語ろうとすれば「日本語」に頼るほかはありません。ということは、「日本語」は、私たちを「混乱」から救うことができる唯一の回路、「過去と交わる」ことができる唯一の「よすが」だということになります。私たちは「日本語」抜きで、「正直」に自分を語ることができないのなら、その「伝統」抜きに、「私」は「私」を感じることさえできないのだということです。

 しかし、ここで注意するべきなのは、だからこそ小林にとって「伝統」は、わざわざ回帰する場所ではなかったということです。「この私」の外に見出される目的ではあり得なかったということです。エッセイのなかで、小林は次のように続けていました。

 「僕は伝統主義者でも復古主義者でもない。何に還れ、彼にに還れといわれてみたところで、僕等の還るところは現在しかないからだ。そして現在に於いて何に還れといわれてみた処で自分自身に還る他はないからだ。こんな簡単で而も動かせない事実はないのである」と。

 果たして、「日本精神」とは、持ったり持てなかったりするものではないし、いわんや、LGBTを批判したりすることが「伝統」的であったりするわけではありません。

 その点、沖縄米軍基地の辺野古移設を進めるのが「保守」だとか、安倍政権を支持するのが「保守」だとか、あるいは「朝日」を批判するのが「保守」だとかいうのは、全て意味のない「お喋り」(ハイデガー)、いや、ほとんど有害だとさえ言っていい「思考停止」でしかありません。最後に、改めて小林秀雄の言葉を引いておきましょう。

 「僕は政治にも経済にも暗い男であるが明るくなろうと努めている、……僕は大勢に順応していきたい。妥協していきたい。びくびく妥協するのも堂々と妥協するにも、順応して自分を駄目にして了うのも、生かす事が出来るのも、ただ日本に生れたという信念の強さ弱さに掛っていると考えている。」

 つまり、全ては私たちの「宿命」の自覚の強度如何だということです。そこを見失うと、全ての議論は簡単に「様々なる意匠」(~主義)と化して、私たちの生活をますます「混乱」させるだけでしょう。まさしく、「こんな単純な事実」はないのですが、「混乱」に慣れ切ってしまっている現代では、この「単純な事実」の引き受けこそが、最も困難な事業になってしまったのかもしれません。

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