こんにちは、浜崎洋介です。
先週は、『表現者クライテリオン』11月号の告知も兼ねて、「選択と集中」という新自由主義的態度の危うさについて、薩摩の「郷中教育」を例に引いて書いておきましたが、今回も、それに因んだ「こぼれ話」をもう一つ。結果的に「新自由主義」を下支えすることになった「ポストモダニズム」の問題について書いておきます。
これは誌面でも触れておきましたが、一般的に「新自由主義」という経済思想が広まった背景として、「実物経済での利潤低下」という状況を指摘することができます。
つまり、70年代の資源価格の高騰(オイル・ショック)と、軍事力を背景としたフロンティア拡大の不可能性(ベトナム戦争の敗北)に直面したアメリカが、80年代に「地理的・物的空間」の拡大による利潤獲得から、「電子・金融空間」の拡大による利潤獲得へと、その経済戦略を転換しようとした際に唱えられたのが、「規制緩和」(小さな政府)であり、「ヒト・モノ・カネの自由な交換」を加速させるための「新自由主義」であり、また、その覇権形態の一般名称としての「グローバリズム」だったというわけです。
実際、その後に国内の「実物経済」(と、それに関連する幾多の労働規制)から解放された「資本」は、ITバブルと金融のマネーゲームの波に乗って自らを肥大化させながら、結果的に「資本」が集中する銀行・証券会社=金融(ウォール街の経済エリート)と、「規制」の守りを失った多くの国民=労働者(ラストベルトの見捨てられた人々)との間の格差を広げながら、「国民国家」としての共同性を不安定にしていったのでした。
しかし、そんな暴走する「新自由主義(資本主義)」を目の前にしながら、ではなぜ、多くの「左派」(リベラル)は、何らの有効な対策を打つことができなかったのか。「左派」の持ち前の理念こそ「民主と平等」であったにもかかわらずです。
しかし、その答えは、案外簡単なのかもしれません。
私の仮説は、それは、「新自由主義と同時に生み出された思想こそ、ポストモダニズムであり、90年代以降のリベラル文化人は、そのポストモダニズムの洗礼を受けてしまっていたから」というものです(今回の特集原稿でも、堀茂樹先生と川端さんが「新自由主義」と「ポストモダニズム」の関係に触れていますが、デヴィッド・ハーヴェイも、端的に「新自由主義が…『ポストモダニズム』と呼ばれる文化的推進力と少なからぬ親和性があること」〔『新自由主義―その歴史的展開と現在』渡辺治監訳〕を認めています)。
では、「新自由主義」と「ポストモダニズム」を結びつけている糸は、どのようなものなのか。それは、一言で言えば「生活の必要からの解放=自由」という価値観です。
60年代までの高度成長によって「生活の必要」を満たした「資本」が、その後に「生活」との糸を断ち切って、「自由」なマネーゲーム(錬金術)の素地を整えようとしたのが「新自由主義」だったのだとすれば、そんな「資本」の「自由」それ自体を「カネ儲け」という目的からさえ解放しながら、それを生成変化する社会変革の可能性(革新性)として寿ごうとしたしたのが「ポストモダニズム」でした。
たとえば、日本における典型的ポストモダニストである浅田彰は次のように書いていました(ちなみに、忘れられがちな事実ですが、浅田彰の専門は「経済学」です)。
「近代は《クラインの壺》型の本源的不均衡を特徴としており、そこでは金の退蔵ではなく貨幣―資本の(再)投資が支配的になっているが、それはいったい何なのかと言えば、本源的不均衡の波に乗って賭けをすること以外の何ものでもないのである。そして、ニーチェ―ドゥルーズが言う通り、真の意味で遊戯することを知らず賭けることしかできないのが、悪しき遊戯者のかなしさなのだ。〔中略〕そのような目的〔儲け―引用者〕のために賭けるのではなく、賭けをあくまでも賭けとして享楽すること。そのとき、賭けは真の意味における遊戯へと変わっていくだろう。」(『構造と力』1983年)
浅田彰の言葉が、〈資本主義=新自由主義〉を〈生活の必要=実物経済〉の側から批判するものではなく、むしろ逆に「資本主義」をスキゾフレニック(分裂症的)に加速させることによって、社会制度を「多様化、多形化していく」(浅田)ことを狙っていることは明らかでしょう(ちなみに、浅田が紹介したドゥルーズ=ガタリの『アンチ・オイディプス』や『千のプラトー』の副題が「資本主義と分裂症」であることに注意してください。それはスキゾフレニックな「欲望」が「資本」と相即的に生成することを描いた本でした)。
事実、フランスの哲学者リオタールは、まさしく「知」が、「使用価値」(必要)から解放されて純粋な「交換価値」(カネ)と化し、それが「売られるために生産され、新たな生産において価値付けられるために消費され」るようになったポスト工業化社会の状況をこそ「ポストモダンの時代」と呼んでいたのでした(『ポストモダンの条件』1979年)。
なるほど、それでもバブルと、それを引きずった90年代の日本でなら、「それこそが、革命的な差異(欲望)の戯れなのだ」(社会変革の可能性なのだ)などと嘯きながら、その戯れがもたらす明るい未来について「軽やか」(浅田彰)に、あるいは「まったり」(宮台真司)と、そして「動物的」(東浩紀)に夢見ても問題はなかったのかもしれません。
しかし、その「生活」を覆っていた「虚構」のメッキが剥がれてくれば話は違います。そのとき、ポストモダニストの言葉――「ニセ金のように、あるいはギャンブルのチップのように軽やかに運動する知と戯れてみたい。その中で脱近代〔ポストモダン〕の可能性をまいまみられるなら。その一瞬の可能性に賭けることこそ、知のニセ金作りの心意気なのだった」(浅田彰『逃走論』)などという言葉――を本気にする人間は誰もいなくなっていたのです。
おそらく、90年代以降のポストモダニスト(今や、ただのリベラル)が「新自由主義」に何の抵抗も示せなかったことの原因も、ここにあるのだと思います。言ってみれば、「虚構」に戯れているだけの彼らに、「生活」の言葉は生み出せなかったのだということです。
最後に、ポストモダニストたちの「軽やか」な言葉とは無限に遠い言葉を一つ紹介しておきたいと思います。「日本文化私観」(1942年)の坂口安吾の言葉です。
「僕の仕事である文学が、全く、それ〔必要な建造物〕と同じことだ。美しく見せるための一行があってもならぬ。美は、特に美を意識して成された所からは生れてこない。どうしても書かねばならぬこと、書く必要のあること、ただ、そのやむべからざる必要にのみ応じて、書きつくされなければならぬ。ただ『必要』であり、一も二も百も、終始一貫ただ「必要」のみ。そうして、この『やむべからざる実質』がもとめた所の独自の形態が、美を生むのだ。実質からの要求を外れ、美的とか詩的という立場に立って一本の柱を立てても、それは、もう、たわいもない細工物になってしまう。これが、散文の精神であり、小説の真骨頂である。そうして、同時に、あらゆる芸術の大道なのだ。」
真の「文化」は、「大地に根の下りた生活」(坂口安吾「文学のふるさと」1941年)からしか生まれません。「文化」は「生活の必要」のなかにしか、その実質を担保することはできないのです。「新自由主義」と手を繋いで現れた「ポストモダニズム」が時代現象として終わっていったのも、あるいは、その言葉が、誰の心も支えることなく潰えていったのも当然です。生きて死ぬんでいく人間の事実を支えない言葉は「必要」ないのです。
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