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【柴山桂太】理性は、苦い後悔とともに目覚める

From 柴山桂太(京都大学大学院准教授) 

映画『チューリップ・フィーバー』を見ました。一七世紀オランダを舞台にした男女の恋愛劇です。

老商人の妻となった若く美しい女性が、夫妻の肖像画を描きに来た画家の青年と恋に落ちる。二人の生活を夢見て、女は「ある計画」を思いつく。時折しもチューリップ・バブルまっさかり。資金を稼ぐため画家は借金を重ねて、大相場に打って出るのだが…という筋立てです。

チューリップ・バブルについて説明は不要でしょう。その美しさで当時の園芸家を魅了したチューリップの球根が、次第にあり得ないような高価格で取引されるようになっていく。球根一個に家一軒が買えてしまうほどの値がつく投機の「フィーバー」が起きたのは1630年代のことです。

特に盛り上がったのは1636年から37年(2月)までで、その頃になると取引が行われていた居酒屋は、チューリップのことなど何も知らない、一攫千金を夢見る市民であふれかえっていたと言います。

当時のオランダはスペインとの独立戦争に勝利した直後で勢いに乗っており、貿易の中心地だったアムステルダムには世界中の富が集まっていました。チューリップ相場だけが注目されがちですが、1630年代には不動産や株も投機的な値上がりを記録しており、社会全体がバブルに湧いていたと考えられています。

オランダの新興市民階級にとって絵画、とくに肖像画を書かせることがステータスでした。この物語にも、最先端をいく流行画家としてレンブラントの名前が出てきますが、一七世紀のオランダは経済面だけでなく、芸術面でも「黄金時代」でした。

いまちょうど上野でフェルメール展が開催されています。フェルメールは、恋文を書く女性を主題とした絵画(たとえば「手紙を書く婦人と召使い」)をいくつか描いています。映画の原作者も、こうした絵画から想像力を膨らませて物語の筋を思いついたのでしょう。

道ならぬ恋に燃え上がる男女の物語を、チューリップ熱に浮かされた当時のオランダの世相と重ね合わせるという趣向そのものは悪くないと思いました。ただ、この映画で描かれる「ある計画」は荒唐無稽で、万人にお勧めできる映画になっているかと問われれば、正直、微妙なところがあります。

それでも17世紀オランダの世相がよく再現されているので、これからフェルメール展を見に行こうという向きには、時代背景を知る上でも見て損はないと思います。

私は、チューリップ・バブルの歴史に関心があって見に行ったのですが、「斑入り」のチューリップがどれほど珍重されていたのかが説明されていたりして、それなりに勉強になりました。

この映画では、相場のことなど何も知らない魚売りの青年が、たまたま買い付けた白色のチューリップに、紫色のストライプ柄が出たことで球根の価値が跳ね上がるというシーンが出てきます。

冷静に考えればどうということもない(例えばチューリップの花弁の色合いの)わずかな違いが、投機ゲームの渦中にある人々にとってはとてつもない価値が宿っているかのように錯覚される。

21世紀初頭の現在でも、投機マネーが流れ込んで美術市場が活況を呈していますが、
https://the-criterion.jp/mail-magazine/m20180731
これは17世紀の、資本主義の初期から続いている現象なのだと思い知らされました。

ところで、チューリップバブルが絶頂期を迎えた1637年は、映画には描かれていませんが、哲学の歴史にとっても画期的な年にあたります。近代哲学の金字塔とも呼ぶべきデカルトの『方法序説』が出版されたのは、まさにこの年だったからです。

当時、オランダで生活していたデカルトは、チューリップ・バブルを頂点とする時代の狂騒を間近で見ていたはずです。観念や概念が混乱しあらゆるものが不確かになった時代に、デカルトはこれが「確実」だと言えるものを根拠に諸学を基礎付けようとしました。

デカルトが自らの哲学を磨き上げていた時期は、チューリップの球根に家一軒の値段がついてしまうような価値の大混乱期でもありました。いったい何が真の価値で、何が偽の価値なのか。いつの時代にもバブルは、その基準が曖昧になることで発生します。

バブルは弾けた後ではじめて、自分たちが信じていた価値が「真の価値」ではなく「偽の価値」だったことに気づかされます。近代哲学の出発点とも言えるデカルト『方法序説』は、まさにチューリップ・バブルが弾けたその時に出版された。この符合が単なる偶然とは、私には思えません。

「真の価値」の基準を求めようとする近代哲学の始まりの時期は、近代資本主義の最初の巨大バブルの発生と崩壊の時期と重なっていた。つまり「真の価値」を求めようとする知的営為は、バブル崩壊によって偽の価値が一掃される時代状況においてはじめて、真摯で切実なものとなったのです。

もう間もなく、いまの世界的な金融バブルはふたたび崩壊の時を迎えることになるでしょう。経済的にはひどい時代になりますが、哲学的にはむしろチャンスかもしれない。何が「偽の価値」で何が「真の価値」なのか、その基準を真摯に反省しなければならない時が、近くやってくることになるからです。

デカルトは、理性の基準を人々の誰しもが持つ「良識」に求めようとしました。人は、情念に駆られた狂騒の宴が終わった後でないと真に理性的にはなり得ない。そのような瞬間(私はこれを「デカルト的瞬間」と呼びたいのですが)は、しかし、もう間もなくやってくる。そう考えれば、来るべき世界経済の混乱も、そう悪く考える必要はないのかもしれません。

この映画は、チューリップ・バブルが弾けると同時に、主人公の女性が道ならぬ恋の狂騒から目覚めるという筋書きになっています。まさに理性を取り戻す、その瞬間を描いているわけです。もうすべては手遅れなのですが、それでも「良識」の呼び声を聞いてしまって、どうにもならない状況へと追い込まれる。この瞬間の描写はなかなか見事です。

おそらく理性は、いつの時代にも苦い後悔の中でしか目覚めないものなのでしょう。もちろん「喉元過ぎれば…」で、時間がたてば人はふたたび情念の狂騒へと舞い戻っていく。しかし、バブルが弾けたその一瞬だけは、誰しもが真実を垣間見ることになるはずです。

その瞬間を描いた作品だと深読みすれば、この映画はなかなか優れた映画だと評価することも出来ます。残念ながら公開はもう終わりのようですが、まだ少数の映画館で上映されているようなので、ご関心のある向きは是非、足をお運びください。

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