12月8日に大阪で表現者クライテリオンのシンポジウムが開かれます。
https://the-criterion.jp/osaka_symposium_2018/
大阪と言えば、日本の市場経済の揺籃地とも言うべき場所。江戸時代には「天下の台所」として全国から年貢米や特産物が集まり、取引されていました。
最近は堂島米市場(米会所)がよく注目されます。きっかけは、世界最大のデリバティブ取引運営会社、CMEグループの総帥レオ・メラメド氏が、世界で最初に先物取引が始まった場所として、大阪堂島の名前を広めたことにあります。
メラメド氏は幼少時代、杉原千畝の「命のビザ」で助けられたユダヤ人としても知られています。堂島米市場の先駆性をさかんに「宣伝」してくれているのも、そうした事情があるのでしょう。
もっとも、先物取引が行われるほど高度な市場経済が存在したということは、「市場の失敗」もあったに違いありません。たとえば相場が過熱しすぎてバブルや取り付け騒ぎのような現象も起きていたのではないか。その時、大阪の商人は、あるいは幕府はどのように対処したのでしょう。
以前からそういう疑問を持っていたのですが、最近、このあたりの事情を丹念に説明してくれる優れた新書が出版されました。高槻泰郎氏の『大阪堂島米市場 江戸幕府vs.市場経済』(講談社現代新書)です。
本書を読むと、堂島の米取引がいかに洗練されたものだったかが分かります。全国から大阪に廻送された米は、中之島界隈の諸藩の蔵屋敷に収められます。蔵屋敷は入札によって米を売却するのですが、その際、米の現物ではなく、米手形や米切手と呼ばれる証券を発行します。
米切手の所有者は、そのまま現物に換えることもできるのですが、堂島米市場で転売することもできる。米の保管費用を蔵屋敷に負担させて、証券だけを売買することが出来る仕組みです。
蔵屋敷にもメリットがありました。米の現物が納入される前に、少し多めに米切手を発行しておけば、その分、多めに収入を得ることができるからです。米切手を発行し過ぎると、あとで交換請求が殺到した時に困ることになりますが、その時は蔵屋敷が米切手を買い戻せばいい。米を現金化して財政を賄っていた諸藩は、財政の安定化が計れるのでありがたい仕組みだったはずです。
堂島では、米切手取引(「正米商い」)と、米切手先物取引(「帳合米商い」、「石建米商い」)が行われていました。目を引くのはやはり先物取引ですが、重要なのは堂島の米切手先物取引では現物の引き渡しは想定されていないということ。満期日までに反対売買で決済しなければならないルールだったようです。
なぜこの仕組みが必要だったのか。米切手取引だけだと、買い持ちはできますが売りが不便です。先物市場があると、手元に米切手の現物がなくても売りから入ることができる。その後、満期日までに買い戻して差金決済を行えばいいわけです。
そうすると、さまざまな予想を持つ人が取引に参加できますので、市場は分厚くなり、米価にたくさんの情報が織り込まれることになります(もちろん相場を読み間違えて大やけどする商人もたくさんいたのでしょうが)。相場の情報は米飛脚などを通じて各地に拡散していたと言いますから、堂島の米価が全国的な相場の基準となっていたのでしょう。
まさに高度な市場経済が形成されていた、それも自前の知恵と経験でその仕組みを作ったわけです。
ただ、この仕組みでは、諸藩の蔵屋敷が米の在庫量をはるかに上回る米切手を発行してしまう危険があります。実際、本書には米切手を発行し過ぎて兌換に応じられないケースが紹介されています。取り付け騒ぎが起こると、他の健全な蔵屋敷にまで信用不安が波及して、市場が壊れてしまいます。
そのため幕府が法令(本書では「空米切手停止令」と呼ばれています)を出して、米切手に滞りが生じた場合は大阪町奉行所へと訴え出ることが可能になりました。この法令が出されてから、米切手滞りの記録は大幅に減少したとのこと。著者は、蔵屋敷側に自制が生まれたからだろうと推測しています。
市場経済は、その発展に必ず政府(公権力)の力を必要とする。最近の政治経済学ではその点が強調されていますが、日本でも同じだったということです。
もっとも、政府介入がいつも目論見通りの成果を上げたわけではないようです。一八世紀以後は、米の生産量が増加した影響で、米価低迷が問題になっていました。幕府はさまざまな方法で米価引き上げを図りますが、商人もしたたかですから、すぐに対策を打って政策を骨抜きにしてしまいます。その結果、政策は撤回されていくのですが、その過程で、幕府、大名、商人が言い分をぶつけ合う構図が確立されていったと言います。いつの時代にも、政府と市場の関係とはそのようなものなのでしょう。
こうした江戸時代の豊かな経験が、その後の日本にどのように引き継がれたのかは、まだ詳しく分かっていないようです。しかし、堂島米市場で培われた金融のノウハウや、江戸幕府による米価維持政策の経験が、明治以後にまったく失われてしまったとは考えにくいと本書には記されています。
確かに、大阪は明治以後も日本経済を主導する都市であり続けました。高度な市場経済の運営を可能にした商人文化は、いまも大阪人の気質に脈々と受け継がれているように感じます。
最近は経済の中心が東京に移りましたが、それはちょうど日本経済から活力が失われた時期と重なります。東京もんに経済を任せても他国の後追いばかりで碌なことがない、やはり次なる時代は豊かな商人文化を持つ大阪からはじまるのだ−−−−そうなったときが日本再生の合図なのだと、私は強く信じています。
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