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【浜崎洋介】「児童虐待」の乗り越え方(2)――「あきらめ」と「あからめ」

浜崎洋介

浜崎洋介 (文芸批評家)

 先週は、虐待の記憶によって「善と悪」が逆転してしまった人間が、しかし、「語り」を通じて自らの「心理システム」を相対化し、また、自らの存在を受容する他者の存在を知ることによって、「意味」以前の「存在」――後天的に身につける「心理」以前の「生命」の持続感――に触れ、次第に回復していったという例を紹介しておきました。

 ただ、改めて考えると、この「虐待からの癒え」という主題は、決して「虐待」に限った話ではなく、ますます「絶望」の度を増す日本社会にあって(あるいは、それは、『表現者クライテリオン』最新号の防災論――「『サイガイ』を『サイワイ』にする力」という特集の主題にも直結しています)、いかにして私たちの「生き甲斐」を守るのかという話にも直結している話です。せっかくなので、高橋和己氏(精神科医)の著作――『子は親を救うために「心の病」になる』や『消えたい―虐待された人の生き方から知る心の幸せ』など――に言葉を借りながら、もう少し、この議論を続けておきましょう。

 ただし、今回の例は、「親のストレス」が原因で起こる児童虐待ではなく、軽度の「精神障害」や「発達障害」が原因で起こってしまう、より深刻な児童虐待の例です。

 前者の虐待(先週紹介した例など)には、なるほど「善」の交流はなかったものの、それでもなお「悪」との交流はありました。つまり、それが、どんなに悪かったのだとしても、それでもなお親との「交流」それ自体はあったということです。が、後者の虐待には、その「交流」という概念自体がないのです。たとえば、高橋氏が紹介する「大川恵子さん」は、まさに、そのような親との「交流」そのものを失って育った人でした。

 大川さんの親は、人の気持ちを察することが全くできず、いきなり怒り出したかと思えば、いきなり優しくなったりと、子供への態度が一貫しなかったと言います。後から考えれば、親に軽度の「発達障害」があったことは間違いないのですが、子供の恵子さんに、そんなことが分かるはずもありません。ただ、ただその時々で変化する親の機嫌に振り回されながら、そこに一貫した規準(善と悪)を見出すことのできなかった恵子さんは、次第に「離人症」(現実喪失感)にも似た「孤立感」を抱えるようになっていきます。

 決定的なのは、もはやそこには「善と悪の逆転」さえないということです。親に褒められたり、叱られたり、甘えたり、何かを教えてもらったり、一緒に考えたりする体験を持てなかった恵子さんは、そもそも「普通」ということが分からないのです。たとえば食事にしても、何かを食べて親と一緒に喜ぶ(共感する)という記憶がない恵子さんには、「美味しい」ということ自体が理解できない。目の前に出された食事が、「人間的に、社会的に喜ぶべき事態なのか、あるいは、ただの普通のできごとなのか、その結論が出せない」のです。

 しかし、そんな恵子さんにも「転機」が訪れます。

 カウンセラーに対する「語り」を通じて、自分の親が軽度の「発達障害」であること、また、その親の「障害」が治せないものであること、そして、すでに大人となってしまった自分も、やはり「社会的な存在感」を取り戻すことは不可能であることを悟りはじめた恵子さんは、次第に、自らの孤立感を解決する道を「諦め」ていきます。恵子さんは言います。

「やっぱり独りぼっちでした。長い間ずっと緊張して生きてきました。私の今までの時間って何だったんだろうって……考えます。
 自分が無条件にここにいていいという実感が持てません。みんなに受け入れられているという感じを知りません。『みんなと一緒』がないんです。そこだけ欠けています。本当はそこの気持ちを埋めたかったんです。そう思ってずっと生きてきました。
 でも、それが自分の努力では埋まらないと分かりました。うすうすは分かっていましたけれど、それがはっきりして、重いです。
 家に帰って鍵を開けて部屋に入った時に、私は分かってくれる家族が欲しかった、みんなと同じになりたかったんだな、と思いました。
 でも、そういうことを考えるのはもう疲れたというのが、正直あります。だから、ここ(クリニック)に来るのも気が重いです。」

「小さい頃から自分の気持ちに蓋をしてきました。
 『産んでくれなければ良かった。選べるんだったらあんたのところには来なかった……』
 そう言いたかった。
 それが言えた。それはよかった……。
 でも、何も解決していない。
 ここに来て自分が悪くないと分かってよかったです。
 自分の気持ちを言えてよかったです。それはどんなことがあっても、よかったです。
 ……でも、何も解決しないことも分かりました。」

 この「何も解決しないこと」が分かった恵子さんは、しかし、その後に、不思議と落ち着きを取り戻しはじめることになります。「自分が社会の中で『普通』に生きることは無理だったという自己受容ができて、『普通』を止め」たとき、逆に、社会的な「意味」(解決)に囚われる生き方から脱して、自らの「存在」に従う心、「あるがまま」を受容する心を取り戻しはじめるのです。まさに「あきらめる」ことが、そのまま自己を「あからめる」ことであるかのように、恵子さんは、次第に自分自身を取り戻しはじめることになるのです。

 そのとき、注目すべきなのは、恵子さんの「心」が、まず何よりも真直ぐに「芸術」に向かって行ったということです。その瞬間のことを恵子さん次のように語っていました。

「この間の連休に一人で美術館に出かけました。電車の広告で見た絵が気になっていたんです。
 オーストラリアの先住民、アボリジニの絵でした。すごく感動して絵の前でしばらく動けなくなりました。絵に魅かれて、ヒューッと自分が何か違う空間に入ってしまったような感じでした。特に死ぬ直前に描いたという一連の絵がよくて、オレンジと白の光に引き込まれました。
 思い立ってふらりと絵を見に行く、そんなことは以前はなかったけど……、自分が自由になったと思います。それに、こんなに絵に引き込まれたのも初めてでした。『心の底から感じ入る』っていいと思いました。」

 このとき、「社会的な繋がり」を諦めた恵子さんは、しかし、それでも確実に何かに繋がっていることを感じ始めています。愛情も、お金も、賞賛も、地位も失って――あるいは諦めて――、なお恵子さんは何かに支えられ、何かに繋がりながら、今、ここに存在していられる自分を感じはじめています。

 おそらく、ここで甦りはじめているのは、人の「心」が、その奥深くで感じ取っている自己と他者、自己と世界、自己と自然との間の断ち切れない関係であり、もうこれ以上遡行して疑っても仕方がないようにして生きられている盲目的な信頼感=自己肯定感(世界のなかに私はいる――あっていい)でしょう。人は、「社会的な意味」を超えて在る自らの「存在」に直面し、それを引き受けようとしたとき、ようやくにして、実在との交わり―自己の直感―無意識の流れ―自分の知らない自分に開かれていくことになるのです。 

 果たして、恵子さんが辿り着いた「存在」の手触りは、そのまま、森田正馬(森田療法)の言う「あるがまま」や、木村敏の言う「ゾーエー」(生命的連帯感)や、ミンコフスキーが言う「生きられる時間」に繋がっているはずです。あるいは、恵子さんの「芸術体験」に注目すれば、それはベルグソンの言う「純粋持続」や、ハイデガーの言う「大地からの呼び声」や、西田幾多郎の言う「純粋経験」にも繋がっていると言ってもいい。

 ただ、ここで決定的に重要なことは、だから、どこまで「絶望」していても、その「絶望」を「絶望」として正確に語り、それを引き受けることさえできれば、なお私たちは、私たち自身でいることができるのだという事実です。

 もちろん、だからといって、それは「絶望」を強いてくる現状(例えば、今、現在の日本の現状)に対する闘いの放棄を意味していません。ただ、その闘いの結果(勝敗)に囚われすぎてしまえば、それこそ「自己喪失」に陥ってしまうのも事実なのだとすれば、やはり私たちは、この闘いの渦中でさえなお、心のどこかに、この「諦め」の心(余裕)を持っておく必要があるのです。負けてなお他者を信頼できる「明るさ」を守っておくべきなのです

 現状を「あからめる」ことさえできれば、次の一歩が出せます。「心」さえ死んでいなければ、人は再び立ち上がることができるのです。私たちは、私たちの「存在」を守らなければなりません。

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