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【浜崎洋介】リベラリズムとニヒリズム――ミシェル・ウエルベック『服従』について

From 浜崎洋介(文芸批評家) 

 遅まきながら、正月休みを使って、施さんや、川端さんが触れていたダグラス・マレーの『西洋の自死―移民・アイデンティティ・イスラム』(町田敦夫訳、中野剛志解説、東洋経済新報社)を読んでみました。なるほど、噂に違わぬ恐ろしい本でした。

 内容については、既に川端さんが纏めているので繰り返しません。が、改めて確認しておきたいのは、それが西洋の「自死」と名付けられていることの意味です。

 マレーが、単なるジャーナリストと違うのは、「移民政策」によって分断され破壊されていくヨーロッパ文明の姿の背後に、歴史的・思想的背景を見出している点です。ヨーロッパを「移民受け入れ」へと向かわせたものの正体について、マレーは、人間の限界を超えて「人権」「寛容」「多様性」を拡大し、自らの「自然」(人間にかかる土地の負荷、共同性が孕む一定の不自由の意味)を考えてこなかった啓蒙主義以来の西洋的価値観=リベラリズムに見出しながら、次のように書いていました。

 すなわち、西洋の啓蒙主義者=リベラリストたちは、「カントが論じた鳩よろしく、空気のない場所に住めば風に悩まされずにもっと速く飛べるのではないかと考えた。現実にはその風があるから飛べるというのにだ」と。

 ところで、この〈自然の負荷=空気=風〉なしで飛べると思い上がった人間が、どのような「実存的ニヒリズム」(マレー)に陥り、その結果として、どのように自己崩壊していくのかを克明に描いた小説があります。フランスの小説家=ミシェル・ウエルベックの『服従』(Soumissio, 2015、大塚桃訳、河出文庫)です。

 イスラーム過激派による「シャルリー・エブド襲撃事件」が起こった当日(2015年1月7日)に刊行されたという、このいわくつきの近未来小説は、その「予見性」を含めて世界中で話題になっていますが、折角なので、その内容を紹介しながら、ヨーロッパの、そして日本の「実存的ニヒリズム」について少し考えておきましょう――小説の内容に関しては、完全に「ネタバレ注意」です、御寛恕ください――。
小説の背景は、今まさに「移民」に揺れる2022年のフランス大統領選。

 作中では、現職大統領のフランソワ・オランド大統領の二期目が終わろうとしていて、次期大統領選では、移民排斥を訴える国民戦線のマリーヌ・ルペンと、増加する移民によって支持率を上げ続ける穏健派ムスリム政党=イスラーム同胞党のモアメド・ベン・アッベスが、一位と二位を占めています。そして、その後の決戦投票において、極右政権かイスラーム政権かという究極の選択に立たされた中道左派と中道右派の政党は、自らの「リベラリズム」に従って、ファシストよりは穏健派イスラームの方がましだと考え、なんとモアメド・ベン・アッベスを推し、フランスにイスラーム政権が誕生することになるのでした。

 しかし、この混乱のなかで、インテリの主人公は、まるで無気力と諦念に沈む「西洋」のように「実存的疲弊」(マレー)に陥っています。ときに掻き立てられる性的興奮以外には、世界に対する関心を根本的に失ってしまっている男、それがフランソワなのです。

 パリ第三大学で十九世紀フランス文学を教えつつも、最近では、論文さえほとんど書いていないという四十代中年男性のフランソワは、その政治的危機(極右政権かイスラーム政権誕生の可能性)によって、自分の恋人(ユダヤ人のミリアム)がフランスを去ることになっても、ただ「僕の精神は不確かで暗いゾーンに迷い込み、ひとりぼっちで死にそう」だと考えるだけの、徹底的に無力なノンポリ知識人として描かれています。

 しかし、この小説において、何より巧みなのは、ヨーロッパが、そして、その中心にあるフランスが自死していくそのさなかで、精神の荒廃を生きる主人公を、近代啓蒙思想を烈しく憎悪し、デカダン派から後にカトリックに回帰した19世紀末の作家ユイスマンス――この国では澁澤龍彦訳の『さかしま』の作者として知られています――の研究者として描いている点です。次第に高まって来るアイデンティティー・クライシスに面して、作者は、主人公のフランソワに、ユイスマンスの「宗教への回帰」の道行きを辿り直させるのです。

 しかし、ノートル=ダム礼拝堂の黒マリアの前に座っても、ユイスマンス自身が回心を果たした修道院を訪ねても、フランソワはユイスマンスの心に自らの心を重ね合わせることができません。現代フランス人にとって、既にキリスト教はあまりに遠いのです。

 しかし、物語の終盤、そんな乾いた絶望の頂点で、フランソワに一つの転機が訪れます。

 フランソワは、イスラーム政権誕生の後に、以前に年金付きで退職させられた大学から、イスラームに改宗しさえすれば、以前よりも好待遇で教職に戻れるだけでなく、人生の様々な面で「目的」と「絶対的な幸福」を見出し得ると説かれるのです。それを説くのは、自身、カトリックから「アイデンティティー運動」(フランスの極右団体)に近づきながら、その限界に直面して、イスラームに改宗したニーチェ主義者のルディシェ教授でした。この中世文学専門家でパリ=ソルボンヌ・イスラーム大学の新学長は、次のように言います。

「キリスト教がなければ、ヨーロッパの諸国家は魂のない抜け殻に過ぎないでしょう。ゾンビです。しかし、問題は、キリスト教は生き返ることができるのか、ということです。わたしはそれを信じました。何年かの間は。それから、疑いが強くなり、次第にトインビーの思想に影響されるようになっていきました。つまり、文明は暗殺されるのではなく、自殺するのだ、という思想です。〔中略〕人類の文明の頂点にあったこのヨーロッパは、この何十年かで完全に自殺してしまったのです。〔中略〕ヨーロッパ全土にアナーキズムとニヒリズムが起こり、それは暴力を喚起しあらゆる道徳的な法を否定しました。それ〔ヨーロッパが繁栄を極めた十九世紀末〕から、何年か後、第一次大戦という正当化できない狂気によって何もかもが終わりました。フロイトは間違えていなかった、トーマス・マンもまた。」ミシェル・ウエルベック『服従』河出文庫、大塚桃訳、〔 〕内引用者

 そして、ルディシェ教授から「人間の絶対的な幸福が〔神への〕服従にあるということ」、「それがすべてを反転させる思想」であること、そして、その人間における「服従」の事実をあるがままに受け入れた宗教こそがイスラームであることを説かれたフランソワは、自らそれを納得し、改宗し、そして人生に新たな希望を見出し始めることになるのでした。

 果たして、これを単なる「ヨーロッパの戯画」として笑うことができるでしょうか。昨年末、ついに「移民法案」を可決した日本に住む私としては、全く笑えません。少なくとも、『西洋の自死』が描いた、その「実存的ニヒリズム」が何を引き寄せてしまうのかということを予見している点において。ミシェル・ウエルベックの『服従』は、その圧倒的なリアリティにおいて、今、現在可能な「世界文学」の形を示していると言えるでしょう。

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