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【浜崎洋介】「デフレ」とは何か――それが「心」に与える影響について

浜崎洋介

浜崎洋介 (文芸批評家)

コメント : 8件

 こんにちは、浜崎洋介です。

 いちいち新聞記事に目くじらを立てていたのでは、切りがないのですが、しかし、次の記事は見過ごすことができませんでした。小林喜光氏(三菱ケミカルホールディングス会長・2019年4月まで経済同友会代表幹事)のインタビュー記事「令和時代のキーワード―『ゆでガエル』回避へ危機意識を」(5月29日付産経新聞、https://www.sankei.com/politics/news/190529/plt1905290041-n1.html)です。

 べつに、「平成は敗北と挫折の時代だった」との認識に異論はないのですが、その後に続く、次のような言葉には引っ掛からざるを得ませんでした。小林氏は言います、「日本人は『井の中の蛙』にもなっている。留学者数からして少ない。若い人は『面倒くさい』と海外へ行きたがらず、親は子の安全を気にしすぎてリスクを取らない。この30年で、日本人の知的ハングリー精神はすっかりなくなってしまった。日本が活力を失ったのは、少子高齢化やデフレマインドのせいではなく、根源的には心の問題だ」と。

 これが、今の財界人の認識かと思うと、心底げんなりしますが、以前のメルマガ「大学改革という悪夢―デフレスパイラル化する知性」(https://the-criterion.jp/mail-magazine/m20190520/)でも触れておいたように、「日本が活力を失った」ことと、「デフレマインド」(あるいは緊縮)は間違いなく関係しています。いや、関係しているどころか、「デフレ」こそが、「日本が活力を失った」ことの主要因だと言ってもいい。つまり、「デフレ」とは、単に経済問題である以上に、日本人の「心の問題」だということです。

 では、そもそも、「デフレ」とは何なのか。

 経済学的な定義を言えば、それは、供給に比べて需要が少ない状況が続くことによって、モノの価値が持続的下落していく一方で、カネの価値が上がっていく現象を指します。その結果、モノを売る企業は赤字となり、労働者の賃金は下がり続け、最悪の場合、人々は倒産と失業の危険にさらされることになります。また、カネの価値が上がるので、人々はカネを使うよりは、カネを貯めるようになり、借金(ローン)は実質的に膨らんでいくことにもなります(逆に、インフレ時は、モノの価値が上がり続けるので、人々は、カネを借りてでもモノを買い投資しようとするのですが)。これが経済的な「デフレ現象」です。

 しかし、だとすれば「デフレ」が、「心の問題」と関係しないわけがないでしょう。先ほどの経済学の定義だけでも明らかだと思いますが、「デフレ」で消えてしまうのは、何よりもまず、モノが売れることの信頼感、すなわち「生活(生業)の持続感」であり、また、その持続感の延長線上でなされる「将来への投資」なのです。そして、逆に現れてくるのは、今、現在、手元にあるカネへの執着であり、悪い意味での「守り」の意識です。

 その意味では、この「デフレ現象」の悪影響を最も強く受けてしまうのは、ほかでもない、「将来への投資」を最も必要としている世代、つまり若い人たちの「心」だと言えます。

 まず、「何とかなる」という将来に対する楽観(インフレ期待)が消えてしまうことによって、若い人たちは「実験」をしなくなります。「実験」と言って分かりにくいなら、「試行錯誤」と言ってもいい。緊縮と成果主義によって追い詰められた若い研究者が、実験的な研究に向かえないのと同じように、失敗できない若者たちは「安定」の二文字にしがみつき、たとえば、大学での自由な思考、研究、実験、出会い、遊び、読書など…つまり、「試行錯誤」に時間を割けなくなってしまうのです(実際、若い未熟な体操選手が、失敗するかもしれない大技を、マットなしのコンクリートの上では「実験」しないでしょう)。

 しかし、「試行錯誤」ができないということは、つまり、失敗を通じた「経験」ができないということでもあります。右に向かって壁にぶつかり、左に向かって壁にぶつかり、ようやく人は、自分自身の「資質」に目覚めて行きますが、――言い換えれば、「夢想」ではなく、どのようなモノ・ヒトとの組み合わせが自分にとって似つかわしいのかという「現実」(自分自身の分際)を知りますが――、その「試行錯誤の経験」が持てないのだから、若者は、自分の「限界」を知ることもできなければ、その「限界」に基づいた「自信」も「覚悟」も持つことができないということにもなりかねない(それに因んで言えば、「吾十有五にして学に志す」と語っていた孔子が、二十代を飛ばして、「三十にして立つ」と語っていることの意味もそこにあるのだと思います。つまり、十代後半から二十代とは、自信をもって「立つ」ための〈実験=失敗〉を繰り返す季節だということです)。

 しかし、それなら、この「試行錯誤の経験」のないままに歳を重ねてしまった人間が、どうして「四十にして惑わず」、「五十にして天命を知る」などと言うことができるでしょうか。自分の「資質」や「限界」への接続がなければ、「経験」は行き当たりばったりの記憶(一喜一憂)しか生み出しません。すると、いつまでたっても己の一貫性(一つの「生き方」に基づいた充実感・生の強度)は手に入らないから、人は次第に、その場その場の「受動的感情」(スピノザ)に囚われていってしまう。つまり、他者との間に生じる嫉妬や、焦燥や、不安のなかで、人は、その活動能力を低下させてしまうのだということです。

 以前のメルマガでも触れましたが、まさに、それを証明しているのが、グロテスクな平成事件史(https://the-criterion.jp/mail-magazine/20180711/)であり、また児童虐待の異常な増加(https://the-criterion.jp/mail-magazine/m20181205/)であり、あるいは、平成史そのものの醜悪な姿(https://the-criterion.jp/mail-magazine/m20181226/)なのでしょう。実際、2016年に、日本人の成人男女3000人を対象にした厚生労働省の調査によれば、4人に1人が「本気で自殺したいと思ったことがある」と答えたそうです。

つまり、この失われた30年間で、私たちは、「経済成長」のみならず、まさに「生きる気力」そのものを失っていってしまったのだということです。カネが「天下の回りもの」なら、それが回らなくなったとき、人は「天下」のことを考える余裕を失って、セコセコと自分(のカネ)ことだけを考え始める。そして、それが、ますます人々を疑心暗鬼に駆りたてることになる。こうして、「心のデフレスパイラル」は止まらなくなってしまうのです。

その意味で言えば、「デフレ」とは、単なる「カネ」の問題を超えて、その「カネ」を通じて生活している私たちの「心」に直結した問題だと言ってもいいでしょう。つまり、消費増税批判、緊縮批判を含めた「脱デフレ」の闘いとは、私たちの活力、元気、能動性、優しさ、明るさ、楽天性を取り戻そうとするための闘いだということでもあります。

「デフレ」の恐ろしさが何であるかも分からずに、「日本人は『井の中の蛙』にもなっている」などと言うこと自体が、いかにも「井の中の蛙」の言葉ですが、そんなに「井の中の蛙」が嫌なら、少なくとも、今の世界の動き方――たとえば、反緊縮・反グローバリズム・反構造改革の動き――の必然くらいはしっかりと理解しておくべきです。

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コメント

  1. タロケサイヒ より:

    いつも勉強させてもらっています。
    自分は、もともとのヒーローになりたがらない国民性、戦後の発展が特異(異質でもある)な出来事であったとの理解で捉えています。
    ただ、そこにインターネットという文化がその力を失わせてしまっているように思います(奪っているという方が適当かも)。

    日本は、SNSの使用頻度が多いと聞きます。
    とにかく他人が気になる。
    かつて、戦後やバブル崩壊後に先人たちは理想を追うことで、その落ち込んだ気持ちを慰めていたと思います。

    その落ち込みはいくつかの文化を生んだ解釈しています。
    たとえばバブル崩壊後にテレビ界が一番の隆盛を見せたことやサブカルチャーというものが新たな表現方法を確立していったことからとても強かに受け止め、そこにある文化が育っていった。
    これは非常に偶然的で奇跡的で、いまやクールジャパンと言われるものがそうしたものの背景にあるのではないかということは因果関係がないから名言はされてませんが、3.11が起きた時にはスマホが、アイドル文化なども出来上がっていて、でもそれは若者たちを一方で圧迫している気にも感じられます。

    そのたびに新しい文化を求めなければならないという悲劇です。
    令和になっての揺らぎでさえいくつもの悲劇を生んでしまった今、まずは地固めというか、大事なものは何かを考え直してほしいです。

    どこまで現実が見えているのか、正直なところ、一人一人聞いていってほしいですね。
    その不安を埋めるのを誰かに委ねるのではなく。

    乱文失礼しました。

  2. ネオコンファイリング より:

    平成では無くあえて戦後の括りで考えますと、日本人は絶望をまともに直視せず、外来のモダニズムへの逃げ道があるので、戦後レジームの系譜から、絶望を目の前にして運を天に任す様な感覚(試行錯誤)は、氏のおっしゃる通り気薄だと思います。ある意味では経団連等の財界人を筆頭に、ツケを若者に残したと言う側面もあるでしょうね。

  3. 富田師水 より:

    全然関係無いかもしれないけど
    小林という人がこういうような事を言うと
    三菱まで嫌いになる

  4. 小笠原健三郎 より:

    平成のバブル期を省いた20年間、デフレ不況でしたので、今の20歳前後の方々は、当然好景気を知りませんし、30〜50代全般までは、好景気による毎年のベースアップを知りません

    私は某東北の地方都市在住の零細企業社員ですが、給与が2万円減って以降、一度もベースアップが有りません

    故に、社会保障費の毎年の上昇と、消費税増税により、自家用車の買い替えもママなりません

    そして、東北地方では、年収200万円以下で、30代以降の正社員など【ザラにおります】

    故に私は、現政権を全く支持しておりません

    藤井聡先生の仰る通り、積極財政で地方経済を活発化させ、地方(特に東北以北や四国以南)の、労働者の所得を上げない限り、日本の未来は【無い】と断言致します!!

  5. 神奈川県skatou より:

    デフレ30年の怖さは、ビジネス界でも深刻です。

    チャレンジ精神のないビジネス、守勢のビジネスでは、従来ビジネスの改良、改善が関の山で、新しい提案など無理の無理です。とても海外とは渡り合えません。ビジネスの世界で、各分野で支配され、ビジネス的植民地になるだけです。

    デフレを放置する、消費税でデフレ促進する、デフレ勝者を政策顧問にする、まったく政権は逆張りです。センスゼロすぎます。「なにを」「なんのために」見ているのでしょうか。

    自分は就職する前にバブル崩壊し、ITプチバブルはありましたが、基調はデフレ、つまりコストカット、リスクカットの世界で生きてきました。新しいチャレンジ、今とは違う世界、大きな飛躍、みんな悪です。それが身に染みていて、それしか知らないのです。

    そんな世代がビジネス界の全世代になったら、日本経済はどうなるのでしょう?

    デフレは心を蝕む病気ですが、それが30年=ひと世代以上となると、もう文化として不可逆な傷を負いかねません。2014年消費税増税は歴史に残るでしょう。次の増税はその完成形でしょうか。

    日本経済縮退で海外の足下となれば、もはや政治や文化もそれに従うしかないでしょう。その日は確実に今、近づいています。

  6. 岩田規久男 より:

    私も先月、PHP新書[なぜデフレを放置してはいけないのか]という本を出版し、日本の経済学者、マスメディアなど、多くの日本人がデフレの脅威に鈍感であることに警告を発信しました。しかし、浜崎様は心の問題にまで踏み込んでおられ、敬服しています。財界人こそ、過去最大の利益率をあげながら、せっせと現金預金を溜め込み、イノベーションに取り込まず、賃金引き上げを渋って、働く人に報いようとしません。小林氏は天に向かってつばをはいていることを自覚していません。

  7. 令和の時代は反緊縮反グローバリズムの時代へ より:

    今の財界人ってこんな人ばかりなのかと思うと心底げんなりします
    財界の責任には触れずに言いたい放題。平成の時代はまさにこういう無責任な財界人の
    言うままにやってきたのが平成の時代だったでしょうと言いたいです。

  8. 学問に目覚めた中年。 より:

    いつも楽しみに拝見させて頂き、ありがとうございます。私も子供心を思い出し、当時は世のため人のために尽くせる大人になりたい純心でありましたが、その夢ははかなくも叶いませんでした。ですが、私が役所なりで給料泥棒まがいな事をしなくて済んだ事は幸いなことでしたし、三島由紀夫の願いも同じ意味合いと受け止めております。この閉塞した平成のデフレを打開するためには、現状の過保護教育の廃止と移民制度を改めるべきです。兎に角普通の子供達に託すべきは、純粋で納得できる人生を送ってもらいたい!。

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