『表現者クライテリオン』7月号が発売されました。
今回の特集は、「日本外交の大転換――新時代の勢力論」です。
https://the-criterion.jp/backnumber/85_201907/
本誌の前身である『表現者』『発言者』の頃から繰り返し論じられてきたことですが、冷戦終焉後の世界では、「アメリカ一極支配」の時代が到来したかに見えたもののそれは一時的に過ぎず、趨勢としてはアメリカの衰退と中国の台頭を主な背景として、世界は多極的構造に向かいつつあります。
多極化する世界では、例えばアメリカが掲げてきた「自由貿易」や「民主主義」のような理想は、世界統治の原理としての機能を果たすことが難しくなります。実際、我々がいま目撃しているのは、米中貿易戦争に象徴されるグローバル化の後退ないし停滞であり、中露を代表とする権威主義体制の強靭な生命力です。
こういう時代には、好むと好まざるとにかかわらず、「リアリズム」(現実主義)外交の実践が重要になります。これは「アイディアリズム」(理想主義)や「リベラリズム」の対局にあるもので、まず国際社会は無政府状態に近いものであると想定し、各国は自らの生存を賭けて力と力のせめぎあいを演じているのだという前提に基づいて、国際関係を捉えるものです。
注意しなければならないのは、リアリズム外交というのは必ずしも好戦的なものではなく、軍事力や経済力による他国の支配を意味するわけでもないということです。むしろ重要なのは「勢力均衡」(バランス・オブ・パワー)であって、多数の国家の力と力が一種の均衡を得ることで、国際社会に安定がもたらされると考えるわけです。弛緩した「平和」ではなく、緊張ある「秩序」を志向する世界観だと言ってもいいでしょう。
こうした世界観は、アメリカの庇護の下で自称「平和国家」を営んできた日本人にとっては馴染みがないものですが、国際情勢は明らかに、アイディアリズムが後退しリアリズムが伸長する局面に突入しています。だから今、日本の世論や言論には、世界を捉える視線の「大転換」が必要とされている――今回の特集にはそのような意図が込められています。
特集の冒頭には、「シャープパワー」を駆使した近年の中国の外交戦略をめぐる、小原凡司氏・桒原響子氏・藤井聡編集長の鼎談を収録しました。シャープパワーというのは、ハードパワー(軍事力や経済力)でもソフトパワー(文化的な魅力)でもなく、巧みな情報宣伝を通じて他国の世論を操作し、自国にとって有利な状況を創り出すという形の外交力を指しています。アメリカでは中国による世論工作の危険性を指摘する文脈で「シャープパワー」が論じられるようになったようですが、我が国にはそのような危機感はほとんど見られません。
呉善花氏のインタビュー「八方塞がりの韓国との付き合い方」では、行き過ぎた資本主義化とグローバル化による格差拡大と、それに対する反動としての社会主義的政策の間でバランスが取れず、「慰安婦」や「徴用工」を持ち出して日本に対する敵意を煽ることで国民の不満を逸らすしかない韓国政治の迷走ぶりが描かれ、日本としてはこの隣国との間に一定の距離を置いておくことが賢明であろうと論じられます。
遠藤誉氏と山田吉彦氏はそれぞれ、経済戦略と軍事戦略の面から、中国の急激な勢力拡大への警戒を促しています。中国の技術力はすでに米・欧・日の先進国を凌駕しつつあり、また「一帯一路」のような巨大経済圏を構築することで世界経済の覇権を握ろうとしている。そして軍事に目を移せば、中国は東シナ海と南シナ海においてかなり攻撃的と言ってよい膨張政策を採っており、日本・台湾・フィリピン・ベトナムなど周辺諸国にとって深刻な脅威となっているわけです。
政治学者で在日米軍の研究員や顧問を務めたこともあるロバート・D・エルドリッヂ氏は、沖縄・普天間基地の辺野古移設案を「ベストでもなければ、ベターでもない。ワーストである。さらに、『唯一の解決策』ではなく、むしろ、数多くの新しい問題を引き起こすことになるほど最悪なものだ」と批判し、その背景には「関係者の努力不足、想像力の停滞、知的誠実性の不在」があるのだとして、90年代以来混迷を深めるばかりであった議論の顛末を振り返っています。
藤和彦氏は、国際情勢が多極化し不安定化していく中で、中東の石油に依存しすぎている日本のエネルギー供給体制は巨大なリスクを抱えていると警告しています。そして、エネルギー源の多様化と調達先の脱中東化が必要であることを考えると、ロシアからの天然ガス供給の拡大が一つの重要な戦略になり得ると指摘しますが、関係者の意識は低調のようです。
このように我が国の外交はいくつもの大きな課題や問題を抱えているわけですが、どうも場当たり的な対処を繰り返すばかりで筋の通った方針を持ち得ておらず、状況把握が不確かであったり交渉戦術に疎かったりと、お世辞にも「戦略的」であるとは言い難い。伊藤貫氏の連載記事では19世紀ドイツの宰相ビスマルクの生い立ちが描かれていますが、彼のように「現実主義的」な意味で巧みな外交手腕が現代日本において見られることはまずありません。
その背景には、戦後の日本が「国家」を我が物として構想することを避け続けてきたという、根深い問題があります。
堀茂樹氏は、EUの体制が限界を迎える中、イギリスやフランスで(対外的な)「国家主権」と(対内的な)「国民主権」の意識がともに高揚しつつあるのに対し、日本人はそもそも「主権」というものを持て余していて、自立した国民国家の条件を欠いているのではないかと論じています。そして、この傾向は俄に生じたものではなく、憲法9条2項という「奴隷の思想」を70年に渡って改めていないことに象徴されるように、戦後日本人が長らく「政治的未成年」に留まっていることの顕れにほかならないと言います。
佐藤健志氏に言わせれば、日本人は「外交が禁じられた時期」(占領期)と「外交ができるようになった時期」(講和後)の区別を未だ付けることができていない。それはすなわち、本心ではアメリカによる支配が継続することを望み、国家として独立することを自ら拒んでいるのだということを意味します。あるいは、磯邉精僊氏の新連載で論じられているように、戦後日本人が「生存のために戦う」者の勇敢さに美徳をみる感性を失ったこそが、最大の問題だとも言えるでしょう。
しかし令和という新時代を迎えた我々は、ちょうど平成的「グローバル化」の終焉を目の当たりにしていて、ある意味では国家をめぐる思想や戦略の「大転換」にこれほど適した時機はないかも知れません。日本外交が転機を迎えるためには世論の成熟も必要です。『表現者クライテリオン』7月号の提起する議論が、その一助になることを願っています。
『表現者クライテリオン』7月号:日本外交の大転換――新時代の勢力論
https://www.amazon.co.jp/dp/B07RVHG9B1/
P.S.
・好評を頂いている「対米従属文学論」座談会ですが、今回の批評作品は、村上春樹『風の歌を聴け』と田中康夫『なんとなく、クリスタル』です。
・今号から、関西学院大准教授・白川俊介氏の「ナショナリズム再考」、表現者賞受賞者・磯邉精僊氏の「問ひ質したきことども」という2つの新連載が始まりました。
・読者投稿の水準が回を重ねるごとに上昇しており、今回はとくに優れた論考が多数集まりました。誌上ではページ数の関係で4本しか掲載できませんでしたが、ウェブサイトには8本掲載させていただきましたので、ぜひ御覧ください。
https://the-criterion.jp/category/letter/letters85/
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コメント
読者投稿NET版に拙文をご掲載ありがとうございました。尊敬する先生方に読んで選んでいただけただけで、恐悦至極に存じます。
なんとなく、保守の先生方は未婚シングルマザーでしかも元風俗嬢なんて生理的嫌悪だろうなぁと思いつつもメールさせていただいたのは、息子が生きる日本を守らねばという決意の表明でありました。
令和の目標は、「勃つ」であります。その心は―――考えるな、感じろ。さあ、目を開け―――
ちょっとおかしいと思うことがあるので、またメールします。
これから先も例外なく不安定の世の中が構築されますから、それを前提とした社会の在り方を模索するべきと考えてます。具体的には教育の本質から見直されるべきであり、語源の意味にある引き出し教育の再生に尽きます。そして学者である先生方には、あらゆる可能性や挑戦を想定し重視、経験されたうえでのリアリティにたどり着けます事を切に望んでおります。最後に、いつの時代も基本は満身創痍でしょう。