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【川端祐一郎】「嘘にまみれた政治」の反対は「事実にもとづく政治」なのか?

From 川端 祐一郎(京都大学大学院助教) 

表現者クライテリオンの最新号が発売されました。
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今回の特集テーマは「『ウソ』で自滅する国家ーー安倍・トランプ・文在寅」というものです。タイトルから明らかな通り、日本のみならず世界各国の政治指導者の物言いの中に「嘘」がかなり目立っていて、「政治家なんて所詮そういうもの」で済ませるわけにもいかなくなってきた状況を論ずるものです。

政治家の嘘は検証によって正される必要がありますし、嘘をつきまくる指導者は批判されて然るべきです。今回の特集では、たとえば田村秀男氏が「景気は緩やかに回復している」という政府発表の嘘を、藤原昌樹氏が沖縄の米軍基地をめぐる歴代政権の嘘を、伊藤貫氏が世界秩序を不安定化させてきたアメリカ外交の嘘を、李相哲氏が韓国・文在寅大統領の親北路線の嘘をというように、多様な具体論を通じて、いかに現代の政治が「嘘」にまみれているかを明らかにしていきます。

また同時にこの特集では、嘘がまかり通る現代世界の病理を、総合的・構造的に捉えるための議論にもかなりの分量が割かれています。

たとえば会田弘継・堀茂樹・藤井聡各氏の座談会では、政治に裏切られ続けた結果として国民が「政府の嘘」に鈍感になってしまい、現代社会は一種のアノミー状態に陥っていると論じられます。薬師院仁志氏も、フェイク情報を連発するポピュリスト政治家を支持しているのは、「他者を信頼できなくなった人々」であり、それが多数派になりつつある事態は、民主主義そのものの危機の兆候であると指摘しています。適菜収氏はさらに悲観的で、どれだけ嘘をつかれても安倍政権を支持し続ける国民にもはや救いようはなく、日本は近代国家としてはすでに滅びていると断じます。

浜崎洋介氏は、「ポスト・トゥルース」(脱・真実)と呼ばれる現代の社会状況は、「新自由主義」と「ポストモダニズム」の必然的な帰結であると総括しています。そして、真実が力を失った世界でものを言うのは、一人ひとりの歪んだ自己肯定感であり、このナルシストの群れが権力闘争に明け暮れる野蛮な空間で、「全体主義」の到来が準備されつつあるのだと言います。

私自身が今回の特集で書いたのは、政治家の発言に嘘が目立つということ以上に、その嘘の出来があまりにも悪いところに現代の病理が表れているのではないか、ということです。桜を見る会の招待名簿の廃棄や、森友学園問題における公文書の改ざんといった騒動をみて感じるのは、嘘をついてけしからんということよりも、「それらしい嘘」を考える能力すら失ってしまったのか、拍子抜けしてしまうほど杜撰な不正が繰り返されるという組織や機構全体の緩みです。

政治や行政のプロセスがこういう「緩んだ空気」に包まれているとなると、単に「真実を語れ」と求めるだけでは足りません。桜を見る会などの問題で、野党は政府に対し「本当のことを言え」と迫っています。もちろん迫るべきなのですが、実際のところ我々は、宴会の名簿や領収書がどうなったのかについて「本当のこと」を知りたいのかというと、そうではないでしょう。

いまの政治から失われたのは、情報の正確さ以前に政治的討論の場に備わっているべきである、品位、風格、厳粛さといったものです。こういう言い方をすると単なる綺麗事に聞こえる人も多いとは思うのですが、案外重要なことだと私は思っています。

「事実」そのものは、結局のところテレビや新聞の報道を通じて知るしかないのである以上、我々には直接確かめるすべがありません。それでも民主的な政治のプロセスが一応機能するのは、我々が、然るべき段取りを踏んだ「説得力のある説明」であればひとまず信用することにしているからです。つまり社会は、事実によってというよりも、事実をめぐる「信頼」や「合意」によって動いているわけです。

その信頼は、もちろん組織的な確認手続きや技術的な検証によって支えられている面もありますが、それ以上に、政治的討論の場において、あるべき「作法」が守られることによって醸成されるものです。その観点からすると、私にはどうも野党による追及も、単に「事実」を争う政局的ゲームになってしまう傾向があって、望ましい作法を回復する動きになっているかというと怪しいように思えます。

今回の特集の中で佐藤健志氏が、政治家の仕事は「心にまことをもった嘘」をつくことだと言っていて、なるほど!と思いました。佐藤氏はそれを「夢」と言い換えているのですが、たしかに政治家は、社会が目指すべき未来を「夢」として語るのが仕事です。未来のことは誰にも分からないのですから、事実であるかどうかはある意味問題になりません。大事なのは、そこに「まこと」の心があるかどうかです。

「嘘の政治」が蔓延するこの時代に我々が求めるべきなのは、単に「事実にもとづく」ことを旨とするだけの政治では恐らくありません。真に重要なのは、事実以前(プレ・トゥルース)の信念のよりどころ、すなわち我々が信頼してよいと思えるような「討論の作法」や、「まことをもった嘘」としての夢を語る習慣を取り戻すことです。

※佐藤氏から「肝心のポイントを押さえていない」と指摘がありましたので補足しますと、佐藤氏の論考で強調されているのは、「まことの心」は結果で測るよりほかないが、90年代以降の政治には「経世済民」の結果が出ていないせいで「まこと」を語ることに意味がなくなってしまい、指導者においても国民においても、現実否認の嘘が横行するのは自然の成り行きであるということです。その上で、「人々が信じたくなるような新しい嘘を、まこととともにつくりあげ、その現実化をめざす以外に、未来への展望を切り拓く方法はない」と述べておられます(言葉が足りておらず失礼致しました!)。一方、私が言いたかったのは、「出来の悪い嘘」が蔓延する時代に必要なのは、(過去の出来事については)常識的な確認と説得の段取りであり、(未来への展望については)実現の意志や周到な準備であって、どちらもそれ自体は、「事実」であるというよりも「信ずるに足るものを築き上げる習慣」の問題だということです。

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コメント

  1. 斑損・不苦労 より:

    >まこと」の心
     政府、内閣府、政財官学メディア、与野党総議員は(あらゆるインバウンド政策が拡大させている)ウイルス問題が(を)発生して(orさせて)、
    今までの天気のせい、台風のせい、豪雨のせい、猛暑のせい、暖冬のせい・・・のふざけたこじ付けばかりを連呼してきて、
    今度は都合が良過ぎるこの事件を最大限に利用できることで内心嬉しくてたまらなく破顔しているとしか思えない。
     超スーパーウルトラ最低最悪の限りなくブラックに近い日本政府、内閣府、政財官学メディア、与野党総議員。思うのですがテロを正当化する方法はないもんでしょうか。

     余文を御赦しください。
     急に私的に混乱させられて解らなかったことを延々考えて頭痛くなってきていたら、そう言えば一週間前か後か本当にわけもわからず何故か急に愛と誠完結編を観ていたのでした。

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