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【藤井聡】私は、ソーシャルディスタンス確保論に断固反対します。~飲食店・公共交通・文化産業を不条理な「事なかれ主義」から守るべし~

From 藤井 聡(表現者クライテリオン編集長・京都大学教授) 

ようやく、緊急事態宣言が解かれる方向となりました。
東京や大阪はまだ解除されていませんが、近日中に確実に宣言解除となるでしょう。

これで早晩、全国で「8割自粛」「Stay Home=家籠もり」も解除され、経済が少しずつ回り始める事になったのですが・・・その中で非常に大きな障害があります。

それが「ソーシャルディスタンス」すなわち「社会的距離」の確保です。

このソーシャルディスタンスは、TVでもほとんど毎日必要だと繰り返されており、専門家会議の「新しい生活様式」の中でも、「最も必要」という体裁で一丁目一番地に明記されています。
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000121431_newlifestyle.html

しかしこれは、感染防止の観点から「絶対必要」とは必ずしも言えないものなのです。

これまでに明らかになっているコロナウイルスの特徴を踏まえれば、
発話しなければ距離が近くても感染リスクはほぼありませんし、
発話していても、マスクをしていればリスクはほとんどありません

例えば、仮に社会的距離が全くない満席の状況であったとしても、クラシックコンサートや映画を黙って見ている状態ではほとんど感染は考えられません。

ロックコンサートや格闘技の試合でも、マスク着用を義務づけ、「大きな歓声の自粛」だけしておけば、飛沫が周辺に飛び散り、感染が拡大してしまうリスクをほとんど回避することができます。

それにも拘わらず、今回、芝居やコンサートについて、全国公立文化施設協会が、社会的距離・ソーシャルディスタンスの確保を前提とするガイドラインをまとめてしまいました。
https://www.asahi.com/articles/ASN5H3CSXN5GUCVL02X.html

要するに、観客と観客の間を空けることが必要というガイドラインです。

これでは減収は必至。全く利益が出ず、赤字となるケースが頻発するでしょう。結果、音楽・演劇等の業界関係者は、廃業せざるを得ない方々の続出は必至です。

もちろん、社会的距離の確保が、感染防止のために必須であるなら、それはそれで仕方ないのかも知れませんが、ウイルスの感染経路から考えて、上述のように必須の条件でないのですから、この社会的距離の確保についての項目は、換気の徹底、マスクの着用、大声での歓声・発話さえ可能なケースでは「削除」で全く問題ないと考えます。

にも拘わらず、ガイドラインに書かれてしまったのは、感染抑止が目的というより「事なかれ主義」があるからに他なりません。

政府としては、万一の事があった時にとやかく言われるのが面倒だから、念の為に距離を取れと書いておけば、責任逃れができるだろう、という程度の話で、社会的距離・ソーシャルディスタンスを書いているに過ぎないのです。

そんなくだらない理由で上記の厚労省の専用HPにも、社会的距離が第一番目に書かれることになっているのですが、こう書かれてしまえば全国公立文化施設協会としても、無視するわけには行かなくなってしまうわけです。

何という国民に対する無配慮・・・そんなくだらない「小役人的な事なかれ主義」せいで、ミュージシャンや演劇関係者、照明さんや大道具さん、小道具さん等、ありとあらゆる関係者の暮らしが脅かされ、その帰結として日本の音楽文化や演劇文化が危機にさらされるのですから、これほど悲しい話はありません。

繰り返しますが、ソーシャルディスタンスが感染抑止のために必須であるなら仕方ありませんが、実際の所、さして必要ではないのです。

これは要するに、未だに「過剰自粛」のマインドが残存しており、これが経済を苦しめ続ける状況にある、という次第です。

同じ事が、公共交通事業者や飲食店においてもあります。

公共交通について言えば、社会的距離・ソーシャルディスタンスの確保は、経営上、致命的な打撃を与えます。これが絶対条件になれば、ほぼ全ての路線が「赤字」に転落してしまい、多くの路線が廃線になり、事業者の倒産も相次ぐ事になります。

しかし、公共交通においても、ウイルス学の見地からいって、(超満員電車を除けば)換気さえ徹底し、皆が会話しないかあるいはマスクさえしているのなら、社会的距離の確保は何も必要ではないのです。
(詳しくは、こちらのポスターをご覧下さい!
https://image.jimcdn.com/app/cms/image/transf/dimension=640×10000:format=png/path/sbcc4d6830fcbe243/image/i0a1eb349a6faec18/version/1589247269/image.png

飲食店についても、ラーメンチェーンの「一蘭」の様にパーティションで区切っていればもちろんのこと、(換気さえ徹底していれば)「食事中以外はマスク着用、食事中は静かにする」ということをお願いしていれば、社会的距離は必要ではありません

「食事しながらの会話」を許容したいという店舗があるなら、そういう店舗においてのみ(換気に加えて)ソーシャルディスタンスを確保すればよいのです。

「飲酒」に関しても、互いの発話に伴う飛沫が直接グラスにかかる事を避ける工夫(例えば、グラスを口に傾ける時だけマスクを外し、それ以外はマスクを着用するようにする、飲まない時は、グラスの飲み口に何らかのシートをかけておく等)をすれば、感染リスクを大幅に下げることができますから、ソーシャルディスタンスの確保を回避するバーの通常営業も可能でしょう。

この様に、実際の感染プロセスを具体的にイメージし、それを防ぐという態度で考えれば、それぞれの業態毎にソーシャルディスタンスを確保しなくても済む工夫はいくらでも考えられるのです。

にも拘わらず、ただ単に責任逃れしたいからという程度の理由で流布された「社会的距離・ソーシャルディスタンス」確保論は、そうした一切の工夫を暴力的にうち捨てるのです。

我々人間はソーシャルディスタンス・社会的距離を確保し続けては、生きてはいけない存在。だから私達の社会は、そんな距離を確保しないことが前提でできあがっているのです。

家族の団らんや恋人同士の語らいはもちろんのこと、文化的活動や「公共」交通での移動は全て、ソーシャルディスタンスを「縮める」こと、すなわち「広義の接触」から始まるものなのです。

にも拘わらず政府の「新しい生活様式」は、驚くべき事に外出時のみに適用せよという話ではなく、自宅においてすら配慮しましょう、ということも言われているのです。したがって、この政府の指針に真面目に完璧に従う限りにおいて、私達は家族との団らんにおいても距離を確保し、食事中は押し黙らねばならなくなるのです。これでは、公衆におけるまともな精神衛生の確保は著しく困難となるでしょう。

したがって、私達の経済、社会、そして、共同体や家族、そして、わたしたちの健全なる精神そのものを成立させるために不可欠な広義の「接触」に対する配慮の一切を欠いた、「暴力的」とも言いうるソーシャルディスタンス確保論に、私は、断固反対いたします

これは、新型コロナウイルスからの攻撃から身を守りながら、人間が人間であることを続けんがための闘争なのです

追申:
こうした「暴力的に自粛を強要する事なかれ主義」の深淵にあるものはもちろん、「コロナに対する恐怖心」です。もちろん、「未知」と言われるウイルスに対して適度に恐れることは必要ではありますが、どうやら中には「過剰」と言わざるを得ない水準で新型コロナウイルスを恐れる方が一部におり、その人達に引きずられる形で「暴力的に自粛を強要する事なかれ主義」がはびこっているのが実態です。ご関心の方は是非、ご一読ください。

『なぜ、新型コロナウイルスを「過剰」に恐れる人がいるのか?』
https://foomii.com/00178/2020051118195466316

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コメント

  1. 武漢ウイルス怖い より:

    責任逃れ、確かにそれはあると思います
    では、何かあった場合責任を問わないのでしょうか?
    事を起こした人の責任にできますか?
    むりですよね?
    アベがしっかりとした規制をしないからクラスターが!!とか言い出すことでしょう
    マスコミもアベが嫌いな人も
    ワクチン・薬がまだできてない以上感染爆発は絶対に起こしてはいけません!
    羹に懲りる前にナマスを吹くのは今はやむをえません
    徐々に狭めていくしかないし、言うことを聞かない人のことも踏まえて安全サイドにマージンを大きくとるのも仕方ないと思います

  2. 竹内 より:

    100%指示します。マスクをせずに15分の会話が濃厚接触です。食事で感染する事はありません。屋外でのマスクは必要なし。スーパーでの買い物位もマスクは入りません。必要なのは、満員電車くらいですね。ボディタッチもちゃんと分別があり大丈夫と判断できるのであれば、大丈夫ですね。

  3. 宮本 佳樹 より:

     スペインでは2メートル以上のソーシャルディスタンスが確保できない場合、マスク着用が義務化されることが報道されていました。言い換えると、マスクの着用により、公共交通機関の運用が問題なくなります。飲食店では課題が残ります。経済社会に与える影響を考えると、リスク評価を進め、少しずつでも緩和していく必要があると思います。

  4. G・R より:

    「発話していても、マスクをしていればリスクはほとんどありません」
    殆どというのは完全ではないという事を指すのだと思います。

    「責任逃れができるだろう」
    これを追求するのであれば、筆者も「距離を取る必要がない」と言う言動に責任を持たねばなりません。

    では、距離を取らない密の環境でもし感染者が出た場合、一体どんな責任を取っていただけるのでしょうか?

    マスクを付けていれば飛沫は漏れないのか?そこに居る全員が完全に隙間なく着用している確率やら、様々な要因で完璧であるかどうか。

    そういった意味で距離という概念でも予防は必要なのではないかと思います。

  5. 稲川正 より:

    このご意見、丸呑みは出来ませんが、未知のウイルスとはいえ、半年近くも距離を取るしか対策が無いと言う無策に苛つくのには同感です。日々の生活でも「対面」より「並列」の方が感染リスクが下がると思われるし、業種や施設、交通機関や行動パターンに危険度の数値化とか出来ないんだろうかと思います。そろそろウイルスとまでは言わないけど、ツバの飛沫が見える偏光メガネとか開発されてないのでしょうか

  6. 大崎弘一 より:

    まず、質問ですが感染してない人が100、200人集まって普通にしてもウィルスは発生しない、そしてもしその中に一人感染者がいてその方がマスクをして一言もお喋りをしなかったと仮定した時に感染しますか?

    それで仮にウィルスは発生しない、感染しないとして思うのはまず、コロナは症状が出る前に感染、又は無症状が問題となっています、それで熱があったり体の異常を感じたらすぐに診察をして貰って感染しているか調べて感染していれば当然隔離をする事になりますが、その時に名前や住所も公表して、そこで差別をするのでなく皆でその人を応援する事が大切です。
    そしてそこで始めてその方と会った人はマスクをして自粛をする、それと普段の行動範囲外、県外移動した人もマスクをする、それぞれ一週間様子を見て何もなければマスクを外して行動もOK

    今は県外から来ないでとか感染者に対して冷たい目線が行って悲しい状況です、それにこの経済の悪さは大変ですがこれも人をみれば感染者と思えの政策の現れです。
    もっとウィルスがどうすれば移る、移さないかのメカニズムを発信をして欲しいと思います。

  7. みやいりょうへい より:

    自粛を辞書で調べると、「自分で自分の行いをつつしむこと」(広辞苑)や「自分から進んで行動や態度をつつしむこと」(明鏡国語辞典)などとなっています。これは換言すれば、「自主的な行動抑制」ということであります。すると、非自主的な行動抑制は自粛とは言えないことになります。

    従って、(中央及び地方の)政府が国民に、「外出の自粛」や「営業の自粛」を「要請」していることは、その真意は別として、言葉自体がおかしいと思います。 要請は「強く請い求めること」(広辞苑)ですが、これらの語意に厳密に従うと、「他者からの強い求めがあって自粛している」という場合の“自粛”にあっては、自粛の成立条件である自主性が失われてしまいます。そして、そのような“自粛”を企図した「要請」など、意味をなしません。学生にズル休みを勧める教師のようなものだと思います。
    (ちなみに、「休業の要請」や「外出を控えていただきたい」という場合は、言葉としておかしなところはないと考えます)

    同じ理由で、政府に要請されたからといって国民が“自粛”するのはおかしいと思います。もちろん、「他者から強く求められたことがきっかけで、納得したうえで自主的に行動抑制をする」場合はあり得ます。が、それは吟味し合点した結果が自粛に結び付いたということで、「要請があったから」自粛しているのではありません。それでも「いや、要請されたから自粛しているのだ」と言い張る向きもあるでしょう。しかしそういうのは、私たちの現実の感情に照らせば自粛よりも恭順に近いものではないでしょうか。ましてや「他者から強く求められたために、意に反して行動抑制をする」のは自粛の反対で、おそらく忍従、覚える抵抗の度合いがさらに高ければ屈服というべきでしょう。

    国民一般がどの程度「自粛もどき(恭順・忍従・屈服)」をしているのか、私には分かりません。そしてもし多くの人が「真の自粛(主体的な行動抑制)」をしているのならば、政府が「要請」という言葉を用いたことも、結果としては不問に付してよいのかもしれません。

    しかし、次のことは言えます。感染や医療崩壊を恐れて「真の自粛」を続けている人でも、それは「(政府や自粛警察などの)他者からの要請」を根拠に自粛しているのではない以上、状況次第で、「自粛もどき」に転じることがあるということです。そして、日本政府の緊縮財政は、真に自粛している人々の気持ちをも、忍従や屈服へと変貌させる力を有しているということです。

    私はいま、日本政府から超大規模な財政赤字を引き出すことが最喫緊の課題だと考えていますが、そのうえで私たちが”自粛”という言葉を用いることは得策ではないと思っています。自粛は「自主的な行動抑制」です。自主的である以上、そこにはどうしても責任が貼り付いております。つまり、「これだけ自粛しているのだから、補償をしろ」といったかたちで”自粛”を担保に戦っても、自己責任に転嫁されてしまう可能性がつきまとうと思うのです。吝嗇趣味の強い客は、店主が好意で負けてくれているのか、メンツで負けてくれているのかという違いについて、徹底的に鈍感でいられます。財政健全化にしがみついた日本政府の目には、国民の”自粛”はすべて「真の自粛」と映るような気がします。

    いや、戦術として得策でないだけではありません。
    藤井先生は「暴力的に自粛を強要する事なかれ主義」と仰いました。そのとおりだと思います。しかし、「暴力的な自粛の強要」が国民の心に生み出すのは、拙論に従えば、忍従や屈服、良くて恭順です。私たちは自粛警察的思考、政府の事なかれ主義、そして緊縮財政が織りなす雷雲の下に縮こまっている。コロナの稲光にも戦慄を覚えなくはありませんが、この応答のすべてを自粛の一言に回収したくありません。そして、藤井先生の「半自粛」論に関連していえば、自粛以外のもう半分が「自粛もどき」で埋め尽くされるとしたら、日本政府の所業は国民への弾圧であることになると思います。

    (政府による大規模な新規国債発行がないことを思うと、憤慨と焦るような気持ちでいっぱいです。私にはツイッターやフェイスブックといったコミュニケーションツールがありませんので、この場に思っていることをつらつらと書いてしまいました。ソーシャルディスタンス論から外れたことを書いてしまい、申し訳ございません。)

  8. SLOW WALKER より:

    医療機関で働きつつ、街中で小さな演劇公演や落語会などの有料公演を企画制作している立場の者です。私自身はボランティアですが、公演にかかる諸経費を差し引いた上で出演者(表現者)に正当な対価が発生するよう心がけた活動をしています。

    今現在の状況では、私自身が客席に座ることも出来ませんし、その環境下で企画を実行する立場上の矛盾にも悩みつつ、どうしたら良いか思案する毎日ですが、日頃感染症に対して職場で行っている対策を通して考えると、ソーシャルディスタンスは非常に妥当な考え方だと認識しています。

    ソーシャルディスタンスについて『感染防止の観点から「絶対必要」とは必ずしも言えないもの』とおっしゃる科学的な根拠をご存知でしたら教えてください。否定から入ることはしませんが、説得力には欠けていると思いましたので、ぜひ、教えてください。

    • 稲川正 より:

      お立場や文面だけでも清々しい気持ちでご意見を読ませていただきました。当方も定年退職後ボランティア的に好きな文化活動をしている者で、率直な思いを単独コメントすることに致しました‍♂️

  9. 中沢清富 より:

    MMT理論を広げるにはどう発信したら一番効果がありますか?町会議員、市議会議員、県会議員、国会議員の後援会、緊縮財政派だったら反緊縮財政派の議員に投票しますとか!

  10. 菅沼 実千代 より:

    初めまして。
    昔から諺があります。
    「角を矯めて牛を殺す」です。
    過剰自粛は失業、貧困、教育混乱、犯罪を結果的に生み出すことになっているではないですか。
    「私は許さない!」ともっと何度も声を上げてください。

    藤井先生の全体像は不勉強で存じ上げませんが、偶々聞いた京都ラジオで「致死率を考えたら。。。云々」でまさしく我が意を得たり。
    それ以来生活の中で先生のラジオ番組を待ちわびているものです。
     人々はウイルスの事を正しく知ることをしないで一日中「自粛してください」と「感染者が増加しています」「感染者数」と言ったマイナス言葉を聞かされて恐怖の穴にぞろぞろと盲目的に向かっているのです。
     私はブラジル大統領の「ただのインフルエンザだ。」の発言が案外正しいのではないかと思っています。
     対応はリーダーの力量が発揮されるべきで、この点については医療治療体制を充実さえすれば良いわけです。
     マスク着用に関して、まるで空気感染するかのように誤解しています。
    黙って独り距離保って歩いていてもマスク無しの私は睨まれ避けられることがあります。広々とした野原で誰もいないのにマスクしている若者を見ると「もっとしっかり情報を掴め!」とつぶやいてしまいます。
     それにしても日本政府は国民を恐怖に陥れて操るのが長けています。
    そんなネガティブ環境からの脱出には本来はユーモアで切り抜けるべきでしょうが、悲しいかな日本人はこの精神が分からない。
     ですから「くそおやじ」「噓つきどもめ」「ボケー」の藤井先生言葉が当面の私の胸スカッと薬です。
    よろしくお願いいたします。

  11. 正田 より:

    ロンドン在住で飲食店勤務です。ロックダウンで飲食の店内営業許可が早くても7月からでこっちでもsocial distancing ruleが議論されていてWHOガイドより広めの2メートルです。これでは営業が成り立たないと嘆いております。
    藤井先生に共感します、過剰なガイドやルールは経済にはマイナスと考えます。

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