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【平坂純一】マスクと人嫌い 奇妙な抽象化された不安について

From 平坂純一(雑文家) 

 ご無沙汰しています、平坂です。
 藤井編集長に怒られている気がして、マスクを常用し始めました。ただ、マスク使用する上での合理性はなんとなく伝わるのですが、どうも苦手であります。イヤホンを付けて音楽を聴くときにガラス瓶を割ってしまうのに似た、現実から浮遊する気分がマスクにはあります。また、顔を人に見せずに酒を酌み交わして良い時間が得られるかといえば、「8割減」くらいの楽しさでしょう。人は人の顔から多くの情報を得るのは言うまでもありません。

 日本のマスク文化がコロナを防いだ…とも云えますが、あの他人を隔絶するガーゼに包まれた異様な姿を人前に晒すのは本来ならば無礼であり、安部公房「他人の顔」の時代ならばバケモノの群れであり(大衆社会への批判として読むことができる)、横溝正史ならば入れ替わりトリックを書くくらい気持ちの悪いものです。そして、冬場はいいでしょうが、これからの季節は地獄でしょう。

 コロナ禍の中あるいはコロナ以後、社会はリモート化が進む等、個人の個人化が促進されるのは既定路線のようです。私のような人間臭い人は更に生きづらい。そもそも絶望や虚無そして個人主義化の世界最先端を行く吾が国の人民にとっては、あまり不適応を起こしているようには見えず、むしろ進んでこの状況をマスクの下で楽しんでいるのではないか。

 この間で面白い記事は、週刊文春7月9日号の橘玲「日本で家族解体が何故進むのか コロナ後の女と男」でした。雑誌の引用はよろしくないので、要旨だけかいつまむと「男女における性的欲求の方法(男性は多くの関係を求めて、女性は長く付き合える関係を求めることが男女の根本の差異)を前提として、また欧米のルームシェア文化のない日本で独自に発展した『村上春樹的な一人暮らし』の発展にも依拠しつつ、コロナ以後は世界一個人主義的な日本の男女は個人が自立した性的家族的関係性を築く、あるいは一夫一妻に縛られない潮流ができるだろう」そんな内容です。

 性における個人化、それは近代以降のイエを否定した次の段階を志向する訳で、私のような「もう少しイエを整えよう。そう結論を急くな派」にとっては結論をまったく異にしますが、状況認識だけは合致します。こんな記事もありました↓

【平坂純一】大学の学務の隣に結婚相談所を設置すべし
https://the-criterion.jp/mail-magazine/m20200327/

 もう一つは文學界7月号のミシェル・ウエルベック「少しばかり、より悪く ―何人かの友への返信」です。フランスの小説家であり、過激な発言や小説からISに狙われる等のお騒がせ男、冒頭のフロベールとニーチェの比較が洒落ている。前者は「文机の前でこそ考える・書くことができる」、後者は「歩くことがそれ」と書いた。フランスの外出禁止を経験した氏は「ニーチェに分がある」とあり「葛藤が和らぐ」と理由づけるのは、私にも経験がある。そして、コロナ以降は「世の中が変わるという者も多いが、何も変わらない。少し悪くなるだけだ」と突き放すのは、吾が師を思い出す。そして、「人付き合いなど時代遅れになり、奇妙な抽象化された不安が覆う」といった発言には「ヨーロッパが終わる」ことを前提としており、ダグラス・マレーあたりの議論とも絡むところ。

 このウエルベック発言につけ思い出すのは、フランスの思想家エミール・シオランです。Twitterのシオラン名言集botは大人気、大谷崇氏の「生まれてきたことが苦しいあなたに 最強のペシミスト・シオランの思想」 (星海社新書) はベストセラーなのは、彼が「人嫌いと虚無主義の礼讚者」であり、読み易い文体は日本の若者に受け入れられています。彼が最も危ういのは反近代主義の延長から、反ヒューマニズム・反出生主義を打ち出した辺りでしょう(今の議論とも重なります)。後日、シオランは詳しく書くつもりでいますが「ニーチェがアッパー的なアンチ世俗・相対主義だとすれば、シオランはダウナーのそれである」とだけ覚えていて下さい。

 さて、大体の人が「虚無に満ちた時代の超個人主義は既にコロナ前から流れが出来ており、それにお墨付き与えるのが今回のコロナだ」としつつ、それぞれが立場と共に持っていきたい方向を決めるのが昨今のようです。噺を日本のマスク文化に戻しますと、裸の顔が目の前にない日常はやはり異様であり、これでは橘的新自由主義的男女関係も不可能であり、またウエルベックのような孤独な散歩者の夢想(ルソー)ごっこも変人の嗜みでしかないのでしょう。

 顔らしい顔が見たい。私が自粛の傍ら、今一番、皆さんに読み返して欲しいのは原哲夫「花の慶次」です。パチンコの題材のマンガだからといって忌避しないでほしい。織豊時代の大きな物語が終焉する中で、中世の武士の美徳を異端的な行動で表現する武将・前田慶次の活劇マンガです。かのマンガには「顔面の封建主義」のような、真善美と顔面の善し悪しが共振している。よい理屈と言葉と行動がある人間にはとてもいい顔で書かれていて、人の顔がなんであるかを思い起こさせてくれます。そして、男の義理や恥を描くのが上手い。

 マスク化する抽象的人間と社会。そこには日々、人が数値化された情報が舞込む、国や地方ごとの感染者数やそれに関連する経済の問題がある。それらは馬の手綱であり、手段ではないか。心の弱った者に対して不安を助長させるか、虚無を肯定する手段であってはならず、むしろ一つ一つの不安を取り除く言葉を口にして、人嫌いを加速する虚無的な言辞は刺激物として摂取することに留めておくべきでしょう。

 ただ、私には日本人がマスクを外して、イキイキとした顔を取戻すことができるのか、その強い意志があるとは思えません。そして、この記事を書いていたら小池百合子が都知事選に圧勝しているようです(あの人も一種の仮面の人でしょう)。「3cm手前のパターゴルフが入った」程度、何も思うことはありません。噺がバラバラになりました。皆様、マスクに人間性を奪われるべからず。

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コメント

  1. あいう より:

    少なくとも日本においては、人がバタバタ死ぬのを間近で見て現実的な危機を感じるのではなく、統計データをみて抽象的な危機を感じる、という有史以来初めての経験をしてると思いますよ。
    フーコーが言った、『人口』に対する統治性そのものですね。

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