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【平坂純一】巡礼と人間 — 同行二人とたこ焼きについて

平坂純一

平坂純一 (雑文家)

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画像:ブルーレモネード@写真AC

 平坂です。このごろは秋めいてきて、過ごしやすいですね。前に藤井編集長が熊野詣について書かれていました。我らが表現者、西欧”だけ”ではないのだと、胸のすく感がありました。実践的なお祈りを文にされるのは、本誌の歴代編集長の中でも前例がないのではないでしょうか。私にも古寺や聖地への「巡礼」には思うところありまして、今回は信仰を論じてみたい。<br>
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 西欧比較文化の一環で少し調べたことがあるのですが、ヨーロッパにもある種の巡礼があるんですね。ピレネー山麓のルルド、グルノーブルのラサレット、スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラあるいはサンミッシェル、いずれも中世以前のカトリックに起因します。旅行冊子「地球の歩き方」でも紙幅が取られていますね。現代人が心の渇きを満たす巡礼とは一体、何なのでしょう。<br>
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 まずは言葉を考えます。日本において「巡礼」の語は、奈良後期から平安時代初頭に生まれます。天台宗の高僧・円仁が唐に行った際の手記「入唐求法巡礼行記」から流通した語のようです。また、多くの聖所を巡るのが日本流です。四国八十八カ所は「巡礼」ですが、伊勢神宮だけに行くことを「巡礼」と呼びませんね。一神教世界との違いなのでしょう。<br>
 また、巡礼に対する西洋語(pilgrimage,plelerinage,pilgerscaft)は、いずれもラテン語のペレグリヌス(peregrinus)を語源として、「通過者」「異邦人」を意味します。そう、アメリカに渡った清教徒ピルグリム・ファーザーズは「巡礼の祖」の意味。これはかなり示唆的です。<br>
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 洋の東西を問わず、「巡礼」とは日常生活を離れて「通過者」「異邦人」となることを欲するのです。遠方の聖地へと向かい、聖なるものと近接する。その時の信仰の媒介物は、格調高い建造物、自然の幽玄さ、聖人の遺骨や遺物、いずれも聖性を帯びたものに触れる点では一致します。地中海沿岸からヨーロッパ各地に聖人の遺骨(聖遺物または不朽体)または十字架、ノアの箱舟の跡などの遺物を祀ったとされる教会・聖堂は多数あり、そのような地への巡礼が西洋では行われてきました。<br>
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 西欧との近似性はまだあります。聖地への礼拝だけでなく、巡礼旅の過程も重要視されている点です。すなわち「衣装が決まっている」こと。簡素さや、清潔さを重んずる。カトリックにおいても、日本の同行二人、空海の格好をして聖人の存在を思うように、聖ヤコブ風の白い布をまとっただけの、俗にいえばコスプレを行うこと。出で立ちだけでも先人に近づこうとする、もしくは俗世の汚さを払拭しようとするのでしょう。<br>
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 しかし、俗世から離れることは、同時に人間の営みの俗さを更に背負う事でもあります。自らの懺悔を兼ねる場合もあれば、世捨て人風の生き方の延長で流れ着く場合もある。あるいは、江戸時代に土佐藩がスパイを疑って、巡礼者に行動の規制をかけた事などもあるし、世俗での生活から離れることは、単純に聖に触れようと云う目的以外にも大いに野蛮さや不実さを持つ事がありえます。<br>
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 では彼らは巡礼になにを求めるのか。まず巡礼は身体的には苦行です。苦を負えば往生できる、こういうと仏教的でカトリック的では無いように思える。この点、宗教学者ヴィクター・ターナーが「外面化された神秘主義である」と指摘してもいます。自分の神秘主義的な精神を、俗世と隔絶された場所まで辿る過程で、ある種の表現を為しているといいます。この説には首肯します。何故なら、単に巡礼に行く事自体が目的化するのならば、信仰と離れた行為に成り果てるだろう。徒歩でなくバスで巡ったり、集団で巡礼したりするのも宜しくありません。内面と向き合ってこそ、でありましょう。<br>
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 …このメルマガ、何が言いたいかと云うと、「コロナ疲れ」と「そろそろ実家に帰りたい」でして(笑)。私の母方は真言宗の寺で、祖父がバリバリの理系だった所為で昭和30年代に廃寺になってはいますが、古びた空海の坐像や阿弥陀如来の立像があって「おばあちゃんの家にはどこも仏像があるものだ」と勘違いする程、仏が近くにありました。また、福岡県南部には「巡礼」を街中で行う習慣がありました。彼岸の時期になると、かなりの人々が筑後地区の寺から寺へ行脚し、お参りするという。私の祖父母の家でも空海坐像を駐車場に安置させて、信徒を迎え入れていました。何故かお参りなのに酒を振る舞ったり、おやつの土産を進呈したり、首都圏の人間が逆立ちしても理解できないゲマインシャフト的空間がありました。あの雰囲気が恋しい、とこの頃は思うばかりです。<br>
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 この幼少期の関係で、私は真言宗に帰依することにしています。食い道楽ゆえに尼を拒んだ祖母も信仰自体には熱心でして、私が幼少時には篠栗四国八十八カ所によく連れてくれました。江戸末期に篤志家が私財投げて、博多の近郊の山々を開いて、真言密教の寺が林立する四国のそれの簡易版です。(愛知や大阪にもあります。こういう超越性ある場こそ「テーマパーク」と呼ぶべきだし、だとすれば舞浜のアレは新興宗教であろう)。霊山巡りは木々に囲まれた小さな寺や、洞窟の中に大日如来が座しています。巨大な不動明王と涅槃像には毎度、圧倒されたものです。美しい滝が不動明王の立像を絶え間なく濡らす光景は、どんたく祭りより見る価値があります。<br>
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 この篠栗の地は、かつて弘法大師が修行した山寺があり、それなりに正統性がある霊山なわけです。ただ、子供の頃の私には、そんなことより下山してから祖母と駅前で食べるたこ焼き2パック一気食いが楽しみで、ハイキングくらいに思っていたかもしれません。「パワースポット」だとか、アニメや映画(がモチーフにした)「聖地」巡礼など、ほとんど赤の他人の決めた客観的な意味づけによる土地に憧憬持つなど嫌な大衆でしょう。自分に立ち返るためにGO TOすべきです。政府の支出で旅館に泊まろう!やら、都民の皆さんにも地方へ旅行を!などに乗っかるconsumer丸出しも程々にして頂きたい。<br>
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 さて、その話ですが、今月の政府のGO TO追加支出に対しては、そろそろ言っちゃいけない言葉を書いてしまいそうです。私のような東京の貧民は現金も時間も持て余しておらず、首都圏のプチブルだけを相手にしたとしか思えず、分断がより顕在化して参りました。戦前の右翼がいたら…など物騒なことも考えたくなりますが、極論に流れかけたときの「否、待て!」の西部邁先生が飲み屋でやる掛け声が聴こえたので止めます。<br>
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 西部先生は信仰こそされませんでした。しかし、保守が「信頼を探す旅」(西部邁)であり、「食卓こそが身近な教会」(メーストル)であるとするなら、私には福岡に帰り、家族や仲間と食事を摂って、空海と同行二人の巡礼へ出るのが、私にはお祈りの作法です。「アフターコロナにおける里帰り」に限っても、日本人の一般的な問題に思えます。コロナ感染拡大に気を遣って「Come back home」しなかった吾々ですが、そろそろくたびれています。最初に話を戻せば、篠栗の巡礼によって「日本および東京人から別離して、一時、異邦人にさせていただきたい」と私なんぞは切望しています。同時に、皆様も俗世を相対化できる場を再確認して、どうか生き延びて頂きたい。<br>

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コメント

  1. 大和魂 より:

    端的には宗教の有無とは関係なく全ての人類に対する人間模様の中には、いろんな意味での巡礼が存在しているものと想うところです。それはわたくしなんかも宗教とは無縁ですが、特別に苦悩した場合には原点回帰をしたりして環境を変えたりします。そしてそれには幾つか決まって試みながら心を落ち着かせるようにしております。ちなみにですが篠栗から八木山峠の自然の風景は、よく存じ上げております。つまりそのような流れからわたくしも表現者に辿り着き創設者である亡くなられた西部先生との出会いが生まれました。それでその中でも西部先生の厳しい裏の顔や、一転したその後の心づかいも雑誌や動画等でお見受けしましたし、また幅の広い人脈には舌を巻くばかりで、それを通じて実直な藤井編集長との出会いに遭遇して刺激を受けながら力を頂き心より感謝いたしております。ありがとうございます。

  2. 国土強靭化という五文字が大好き男 より:

    新約聖書のローマ人への手紙に『ユダヤ人の違反によって救いが異邦人に及んだ』とあります。平坂さんの「東京人から異邦人になりたい」という願望の純度を高める意味において、旧約聖書を読む事は有益かもしれません。

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