【白川俊介】望ましい政治社会のヴィジョンを構想するために②ーポピュリズム批判の内実

白川俊介

白川俊介 (関西学院大学准教授)

今回は『表現者クライテリオン』バックナンバーの2019年7月号から、こちらを公開します。

白川俊介先生の連載(第一回目):ナショナリズム再考
連載タイトル:望ましい政治社会のヴィジョンを構想するために

本記事は第二編!
第一編から読む

以下内容です。

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昨今の「ポピュリズム」批判についてのいくつかの違和感

 近年、メディアを賑わすことの多い言葉の一つが「ポピュリズム」ではないかと思われる。

ただそれは、わが国の政治状況に必ずしも根差しているわけではない。昨今、「ポピュリズム」という言葉がメディアに踊りだしたのは、二〇一六年から二〇一七年の、英国が欧州連合からの離脱を国民投票の結果として選択し、また米国においてトランプ大統領が誕生した時期あたりからである。

たとえば、「トランプ大統領の誕生はデモクラシーがポピュリズムに毒されてしまった結果である」というような形で、「ポピュリズム」という言葉が人口に膾炙しはじめたのである。

 このような主張が意味するところは概ね、「デモクラシー」が正常に機能していれば、英国民が欧州連合からの離脱を選択することも、米国民がトランプ氏を大統領に選出することもなかったであろうに、「デモクラシー」が「ポピュリズム」に堕してしまったおかげで、おかしなことになってしまった、といったことである。

私はこうしたニュアンスにおける「ポピュリズム」批判について、いくつかの違和感を覚えてきた。

 そもそも「ポピュリズム」とはpopulus+ismなのであって、「人々の考え方に根差す思想」とか、「民を尊重する思想」などという含意がある。

しばしば、これと「デモクラシー」との関係が問題になるわけだが、「デモクラシー」とはdemos+kratosなのであって、「人々による支配」などという意味である。

だとすると、「デモクラシー」「ポピュリズム」は、人々の意思や考え方を基底に据えるという意味ではほぼ同義であるといってよいのであって、そうだとすれば、「デモクラシー」を擁護しつつ「ポピュリズム」を否定する、というのは少々おかしな話であろう。

 無論、「デモクラシー」と「ポピュリズム」は常に結びつくわけではない。

人々の意思は「デモクラシー」によってしか尊重・体現されないのかといわれれば、原理的には必ずしもそうではないからである。人々の考え方を基底に据える君主政や貴族政というのも原理的にはありうる。

こういう観点からすれば、「デモクラシー」とは、言い換えれば「民衆政」という政治システムなのであって、統治の理念であるとかイデオロギーであるとは考えるべきではなかろう。

 ただし、政治システムとしての「デモクラシー」は、意思決定の方法として多数決を採用する。

したがって、しばしば、とにもかくにも多数派の支持や喝采を得ることが自己目的化してしまう場合がある。ゆえに「デモクラシー」は、大衆迎合的な側面を有することになるのである。

かかる「デモクラシー」の側面は大いに問題ではあるが、それは古代ギリシャの時代から「デモクラシー」というシステムに常に内在してきた問題なのであり、だからこそ古代の碩学は、少なくとも諸手を挙げて「デモクラシー」を称賛するようなことはなかったのである。

 ここで一つ留意すべきは、昨今の欧米における「ポピュリズム」と呼ばれる現象が単なる「大衆迎合主義」で片づけられるか、ということである。

確かに、たとえばわが国における「劇場型政治」の代表格である小泉純一郎元首相は、メディアを味方につけ、「世論」を形成・誘導し、「風」に乗って権力を奪取したという意味で、「ポピュリスト」という言葉が最も当てはまるように思われる。

だが、たとえばトランプ氏はどうだろうか。無論、トランプ氏に大衆迎合的な要素が全くないなどというつもりはないけれども、少なくとも当時、米国のほぼ全ての主要メディアはトランプ氏を支持していなかった。

二〇〇〇年代初頭と現代ではソーシャル・メディアの影響力が異なるとはいえ、世論形成に強い影響力を持ちうる主要メディアからあれだけ叩かれたトランプ氏が大統領に当選したという事実に鑑みれば、それは単なる大衆迎合だとは言い切れないように私には思われるのである。

「ポピュリズム」批判の内実

 このように少し概観しただけでも、近年の「ポピュリズム」批判はあまり的を射ていないように思われる。

「デモクラシー」の有する大衆迎合という側面は、西部邁氏や佐伯啓思氏の言葉を使えば「ポピュラリズム」だと考えるべきなのであって、少なくとも「ポピュリズム」が有する「人々の考え方に根差す思想」とか「民を尊重する思想」という部分は否定しえないであろうし、昨今の「ポピュリズム」批判の文脈においてそれが意図されているとも思えない。

 であるならば、昨今の「ポピュリズム」批判の眼目は、実のところ「ポピュリズム」自体の批判ではなく、それを媒介にして何か別のものを批判することにあるのではないだろうか。

C・ミュデとR・カルトワッセルによれば、「ポピュリズム」は「中心の薄弱なイデオロギー」であり、何か別のイデオロギーと結びついて現れる(『ポピュリズム』)。

そして、ブレグジットとトランプ現象の両者に共通してるのは、「主権を取り戻す」とか、「アメリカ・ファースト」というような、ナショナリズムに対する訴えかけである。

また、とりわけ近年のヨーロッパにおいて、「ポピュリズム」が席巻していると言われる場合には、それは往々にして右派的な(しばしば「極右」と形容される)政党の躍進を指すことが多い。

つまり、昨今の「ポピュリズム」批判の内実は、ポピュリズムそのものというよりも、いわば「ナショナル・ポピュリズム」はけしからんということに帰着するのではなかろうか

言い換えれば、問題は「ポピュリズム」ではない、ナショナリズムなのだ、ということである。だが、はたしてそれが問題であるのか、ということを私は問いかけたいのである。

(『表現者クライテリオン』2019年7月号より)

 

 

 

他連載は『表現者クライテリオン』2019年7月号にて。

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