ランドパワーとシーパワーという概念は近代のものである。大陸的だったり海洋的だったりする国家は昔から存在したが、ユーラシア大陸全体を俯瞰して国家の性格や戦略上の意味を考えるようになったのは、大航海時代や植民地支配という歴史を通過した後だった。
古代、ユーラシア大陸の周縁部であるヨーロッパは辺境の地で、メソポタミアや地中海という文明の中心地から遠く離れた場所だった。大陸のどん詰まりでその先にはなにもない沿岸部や半島や島嶼は、文明の中心から追いやられた弱い民族の行きつく果てだった。ローマ時代のブリテン島は、田舎のガリア地方よりもっと遠い、思いっきりの僻地だった。富と権力を生み出すのは中心部であって、僻地ではなかった。
16世紀から17世紀にかけての宗教を巡る混乱は、限られた地域経済の余剰の分配を巡る対立でもあって、混乱の中での意識の変化や社会の変化は大きなエネルギーを伴うものであった。イスラム商人やイタリア商人の扱う遠隔地からの商品は、ヨーロッパの外の豊かな富を意識させ、地域経済を突き破る誘惑に満ちていた。大陸のどん詰まりにあったヨーロッパの沿岸部の国々のエネルギーの発露が外洋に向かい、アメリカ大陸の銀を独占したスペインは金持ちになった。急に金持ちになって浪費に明け暮れてしまったスペインと違って、宗教戦争でスペインから独立を勝ち取ったオランダはもっと賢かった。大陸の隅っこにあったオランダは、海洋国家としての「大国」になりアジアに進出し、そして世界初の「ヘゲモニー国家」になった。
世界でヘゲモニー国家といわれるのは、今までに3つしかない。オランダ・イギリス・アメリカ合衆国の3か国である。国土は小さく、海抜以下の土地でチューリップを育て、羊毛の手工業を営み、ニシンを追う漁業の国が、何故、ヘゲモニーを確立できたのか。単純な言い方をすれば、それは、オランダが世界の経済システムを変えてしまったからだ。
オランダは、外洋でのニシン漁とバルト海貿易に必要な優れた造船技術を持っていた。外洋航海に耐える船を造る技術によって遠隔地貿易に乗り出したオランダは、商業国家として優位な地位を築き、アービトラージによる利益が莫大なことを証明した。アムステルダムに拠点を置いたユダヤ金融が得意とする負債による利鞘だけでなく、彼らは食糧や原材料や手工業製品などの産物を移動させることで得られる利鞘をほぼ独占した。戦争に明け暮れるヨーロッパでは、武器の製造技術の開発が進んでいた。日本から輸入する粘度の高い銅は大砲の製造に用いられ、頻繁に起きていた火薬の暴発による砲身の破裂を防いで、この大砲を装備した軍艦は他国を圧倒した。ヨーロッパ以外の土地が、生産物や原材料の提供地としてこのシステムに組み込まれ、世界の「富の偏在」が始まった。
新しい技術は従来の戦略を無効にする。ルネサンス期の科学や数学の発展は、すでにこの頃、工業化・機械化に必要な技術力を生み出していた。産業や技術は、経済的利益だけでなく、ヘゲモニーに不可欠な軍事力を強力なものにした。産業革命の先頭を切ったイギリスは製造業で力を蓄え、さらに移動によるアービトラージのシステムを「持続可能」になるように改良した。生産地を、単一栽培のプランテーションや原材料生産に「特化」したのである。モノカルチャーによって発展を阻害された生産国は、イギリスに従属した。原料生産地の生産力を自国に都合よく開発することでシステムの持続性を図ったイギリスはオランダからヘゲモニーを奪った。ヨーロッパと原料提供地の富の格差は拡大した。
シーパワーは、この近代システムから生じた。土地が生み出す生産力に乏しい辺境にあった国が、一次生産力を持つ大陸の国々から利益を吸い上げるようになって以降、世界中が彼らの作ったシステムに組み入れられてしまった。要になったのは軍事力で、製造業は武器の生産に欠かせない条件だった。やがて、産業革命の波及による他国の追い上げや、利益の衝突による戦争で、イギリス一国ではこのシステムが持ち堪えられなくなったころに、ヘゲモニーの条件を分析したのが、マッキンダーやスパイクマンやマハンだった。
「リムランド」というのは、ユーラシア大陸を取り囲む海洋に面した沿岸地域の総称だが、その地に居住している人々が考えた概念ではない。アジアのリムランドはもともと豊かな地域で、そこにはそれぞれの文化や国家があった。彼らは、近隣の大国に依存したり互いに交易をしたりしながら、バランスを取って生きていた。その頃のこの地域には、ユーラシアを俯瞰するような地理的概念はない。東アジアから南西アジアにかけての高い文化と豊かな生産は、この地域が政治的に安定していて争いが少なかったことにもよるだろう。16世紀に外洋に出たヨーロッパ人は、アジアの沿岸地域で形成されていた複数の成熟した商業圏に割り込んで寄生したのであって、自ら商業圏を開拓したのではない。当時のアジアには、ヨーロッパよりも優れた製品が溢れていた。ヨーロッパの国々は、これらの地域を当時の最新兵器によって実に容易に支配下に置くことができた。
この地域を武力によって支配するようになり、彼らに必要な生産物を効率的に得るためにモノカルチャーを強いたことで、この地域の発展は阻害されてしまった。ヨーロッパによって破壊され、彼らの支配によって発展を妨げられて、結果的に後進地域となったアジアの国々は、能力のない劣等民族のためだと見下された。ヨーロッパは、自分たちの「力」の文化が優れていると信じ、軍事力による富の独占によって自信を持った。ここには、17世紀以来の科学主義や理性主義、一神教的な進歩史観が働いている。十字軍的精神は形を変えてどの時代にも表れ、他の文化文明に干渉し破壊するのに疑問をもつことはなかった。
内陸の大国が製造業と経済力で力をつけて国土が膨張すると、外洋に勢力を伸ばそうとして、沿岸地域でシーパワーとの摩擦や衝突が起こるようになる。ランドパワーとシーパワーの紛争は、すべてユーラシアの沿岸地域一帯で起きていた。そのために、この地域は地政学的に重要な地域と見做されるようになり、ハートランドに対して「リムランド(rimland)」と名付けられた。リムランドの国々は単独では大国と戦えない。両勢力の対立に常に巻き込まれてしまう運命にある。
大東亜戦争もリムランドで始まった。「太平洋戦争」という呼び方には、植民地の宗主国であった国々との対立地域であった「大東亜」というリムランドの意味が消されている。19世紀末から20世紀にかけてのドイツやロシアと西欧、21世紀の中国と日米の対立もリムランドで起こっている。
第二次大戦後に覇権国家となったアメリカはピューリタンの国である。地域ごとに宗教によって住み分けることで落ち着いてきたヨーロッパとは異なり、「宗教戦争ごと」新大陸に移り住んだ彼らは未だに宗教戦争の続きをやっているのではないかと疑ってしまうことがある。鉄鋼業や鉄道敷設で産業が発達し、ロンドンからユダヤ金融も引っ越してきて、近代化の勢いが増しても、彼らの使命感は失われなかったようだ。
自国を飛び出して海洋に進出していく人々は、自由を好む。リベラリズムが「個人と権利」に拘るのは、彼らが世界を動き回るせいではないかと思っている。それは、移動する彼らがどこの国でも「自由で安全」でありたいからで、本来それを守ってくれる自分の国を離れたところでも、同じ権利を要求する。地球上の人間は、どこに住んでいようとも人間としての同じ権利を持っているはずで、それは「不可侵の権利(自然権)」なのだという考え方だ。
自国を離れ「国に保証された権利」が届かないところに来た人々は、個人という無防備な状態が如何に危険かということを痛感している(ハンナ・アーレント)。他所の土地へ行ったとき、その土地の住民を守っている制度は、よそ者である自分を守ってくれない。彼らは自分の権利が通用しない国を、神によって与えられた「自然権」を侵す神への冒涜であるから、糺さなければならないと主張する。その土地の住民の共同体の制度よりも、よそ者の個人の権利が優先されるべきだというのは、なんとも図々しい話なのだが、自分たちの「自由」と「権利」しか考えない彼らは、それに気づかない。寧ろ、十字軍的精神を発揮して、彼らを導かねばならないと考える。こうして、個人主義が世界の共同体を破壊していく。
権利を保証するのは「権威」である。生存権を含めて、個人の権利を守る仕組みが「国家」なのだ。個人の権利を守るのは国家の権威であり、国を超えた権威によるものではない。自由に世界を動き回る人々にとって、どこでも通用する普遍的な権利を持っているという考えは魅力的だ。普遍的な権利は、国家を超えた普遍の存在、すなわち「神」が個人と契約して与えたものだと主張する。自分たち個人の権利を認めさせるために、相手に拒否する権利や思想を否定する自由を与えない不寛容さに気づかない。けれども、彼らの神を、相手の国では誰も知らない。国家を超えた「権威」などというものはない。個人の普遍的な権利を主張するアメリカのグローバリゼーションという十字軍は、次第に地元の勢力に押し返されるようになっている。
ヘゲモニーは、製造業を基盤として興り、やがて自由な商業貿易を支配するようになり、世界の金融を集めてその中心地になる。衰退するときも、まず製造業が衰退し、次に自由貿易から保護貿易になり、しばらくは金融で優位に立っているが、最後には金融も逃げていく。アメリカの製造業の空洞化と関税による自由貿易からの撤退は、ヘゲモニーの衰退のセオリー通りだ。金融グローバリゼーションというのは、アメリカのヘゲモニーの末期的段階だったのかもしれない。トランプ(政権)はそのことに気づいていて、かなり乱暴なやり方で挽回しようとしているが、中国との競争には時間が足りないという焦りもあるのだろう。
ウクライナと中東で戦争が起きて東アジアも不穏な状況なのは、抑えの利く力が不在になったことの表れである。不安定な時代になるとリムランドで紛争が起きる。ヘゲモニーをもつ海洋国家の力が衰退し、大陸国家が海洋進出しようとすれば、どうしてもこの地域が紛争地帯になる。中国はこのチャンスを生かしてヘゲモニーを狙っている。けれども、軍事力と経済力だけではヘゲモニー国家になれない。ある国家が作り出すシステムは、その国の文化を反映する。中国の強権的・権威的な強引さ、虫一匹も逃さない監視システム、国民に対する人権無視、すべてが不透明な体質は、他の国々にとって魅力的ではない。経済的に依存しながらも、中国に支配されたくない国は多い。
嘗て原料供給地だったグローバル・サウスと言われる国々は、いまでは近代化されて中間層が増えつつあり、昔のように先進国に資源を提供することだけに利用されるのを拒否している。西側先進国にも中国にも、べったりくっつこうとはしないでなんとなく距離を保っている。いまや地球全体が開発し尽くされて、ヘゲモニーのための新たな資源供給源はほとんどなくなった。中国が、他国の領海や公海であってもお構いなしに海底資源を荒らしまくり、北極海や南極や月にまで関心を持つのは、資源を確保し独占したいからだろう。
今後どんな世界になるのか、皆目わからない。アメリカが持ち堪えるのか、中国のヘゲモニーが成立するのか、憶測が飛び交う。ロシアと中国の互いに猜疑的な協力体制が崩壊して、ユーラシアが分裂するかもしれない。ヘゲモニー不在で複数の大国が併存しても、ナショナリズムの勃興で大国不在の小国の国民国家だけになっても、どの場合も「不安定な多極システム」という最も戦争が起こりやすい世界状況になる。どれも想像したくない未来である。そして、もしかしたら、いままで存在を否定されていた「国家を超える権威」が、AIによって生まれてしまうかもしれない。GAFAMやピーター・ティールが描く夢が、現実になることはあるのだろうか。それは、最も想像したくない未来である。
『史的システムとしての資本主義』ウォーラーステイン著 川北稔訳 /岩波文庫 2022
『世界システム論講義』川北稔著 /ちくま学芸文庫 2016
『テクノヘゲモニー』薬師寺泰蔵著 /中公新書 1989
橋本由美
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