『カッサンドラの日記』69  アメリカの大衆化が招き入れたユダヤという「爆弾」

橋本 由美

橋本 由美

『カッサンドラの日記』69

アメリカの大衆化が招き入れたユダヤという「爆弾」

橋本 由美

オランダ、イギリス、そしてアメリカと、次々と覇権国を「乗り物」として利用してきたユダヤ人。その中でもアメリカはユダヤ人にとって際立って「居心地が良い」ようだ。
もともとピューリタンと相性の良さが見られたが、アメリカと最も相性の良い理由は「中世の欠如」にあるかもしれない。歴史の深層から現代の病理に迫る。

以前、ヒレア・ベロックが著書『ユダヤ人』の中で20世紀初頭のイギリスにおける反ユダヤ感情について述べていることを紹介した。イギリスなどの非ユダヤ人の国々とユダヤ民族の違いを比較し、その分析を通して、当時の激しい反ユダヤ感情の解決策を模索したのが、この本の主題であった。(『日記』66

比較は、ヨーロッパとユダヤ民族の価値観(非宗教的な文化的価値観)が中心であるが、著者の属するヨーロッパからの視点である。これを、ヨーロッパの外側から眺めて、オランダからアメリカに至るそれぞれの「覇権国」との関係を見ると、ユダヤ人がvehicleとして「利用」してきたこの3か国には、「活動のしやすさ」「居心地のよさ」があったことがわかる。「覇権国」は、ユダヤ人側から見て何がよかったのか、「他の国から鞍替えするほうが、都合がよかった」理由は何だったのだろうか。

現在のイスラエルとアメリカの関係に注目したとき、vehicleとなったアメリカの脆弱性が、当時のオランダやイギリスに比べて際立っている。中世イベリア半島におけるユダヤ民族の境遇まで遡ると、力関係が逆転しているように見える。

セファルディムが住んでいたスペインや地中海地方とアシュケナジムのいたヨーロッパ北東部では、中心となる経済活動が違う。敢えて極端な言い方をするならば、貿易などの商業活動と、職人や製造業による生産活動との違いと言える。この違いが宗教的倫理観の違いにもなり、近代資本主義の成立においてどちらに着目するかが、ゾンバルトのユダヤ的な発想とウェーバーのプロテスタント的な発想の違いに発展していくのではないかと考えている。

Vehicleとしての国家 ネーデルランド

中世ヨーロッパの経済基盤は農業で、富が固定化された時代のユダヤ人の活動領域は限られていた。ほとんどのユダヤ人は貧しい「難民」であり、一握りの才覚のあるユダヤ人が金融で財を作り封建領主の戦費や教会の資金を用立てることで、彼らの社会に寄生していた。ルネサンスを経て次第に社会が動き始めたが、カトリックの価値観に支配された社会であることは変わらなかった。やがてカトリック教会に抵抗する者(プロテスタント)が生まれ、15世紀に黒死病の惨禍も加わって異端者への拷問や迫害などの秩序の崩壊を招き、17世紀には30年戦争という大きな転機を迎える。

農業社会では大きな経済発展が生じないが、ルネサンスでの異文化との接触と、農器具の発展や温暖化による生産性の向上で人口が増加し、人と農産物の余剰が都市化を促進した。「都市化」が、ユダヤ人にとっての「居心地のよさ」に関係する。現代ほどではないが、都市にはさまざまな地域から人がやって来る。都市の住民がそれぞれの出身地のルールや常識に固執すると衝突が起こる。都市生活を快適にするためには、お互いに出身地の「掟」を押し付けないという知恵が働き、誰にでも受け入れ可能な「共通ルール」で生活するようになる。これは、移民にとって住みやすい環境である。

ユダヤ人にとっても、農地に縛られた土地よりも、個人の才覚と職能で生活できる「都市」のほうが、ずっと住みやすかったと思われる。当時のネーデルランドには生産活動と商業の両方があった。フランドル地方の毛織物生産は一大産業であったし、大河の河口で内陸との交通があり、沿岸の港湾の利を生かした他国との商業貿易が盛んだった。ユダヤ人のすべてが金融に携わっていたわけではなく、多様な職業が共存する都市では技能に相応しい仕事もあった。移住者の多くはレイデンの毛織物工業の労働力となり、ネーデルランドの経済を急成長させた。ネーデルランドが共和制の議会で運営されており、カトリック諸国のような強固な身分制度にしばられていなかったことは、カトリック国に比べて住み心地をよくしていただろう。ユダヤ人が嫌われたのは、どこに住んでも「ユダヤの律法」を遵守して、決して他者のルールに合わせようとしなかったからである。

イベリア半島の異端弾圧からの脱出先が植民地のネーデルランドだった。この地がスペインの植民地であったことは「偶然」だったかもしれないが、ユダヤ人にとっては「幸運」だったことは間違いない。この地に新教徒が多かったこと、とくに強い倫理規範に従うカルヴァン派の存在は、律法の倫理観に縛られるユダヤ人と共通するものがあっただろう。この時代に異端審問という宗教弾圧が激しくなった背景には、教会を否定する新教徒の勢力があり、ユダヤ人だけの問題ではなかった。

ここでは知的活動も活発だった。17世紀の出版物の半数以上がオランダで作られている。1660年代には、アムステルダムやレイデン、ユトレヒト、ロッテルダムなどの地域に781社の印刷出版社が集まっていたという。印刷業者たちは、それぞれが共感する宗教の出版物を自由に印刷できたし、他国の様々な分野の書籍も作った。ドイツの解剖学書の蘭語版が日本に渡って『解体新書』になる。ポルトガルでの異端審問の弾圧から逃れて来たユダヤ教のラビ、メナセ・ベン・イスラエルも出版社を設立して、ヘブライ語やスペイン語やポルトガル語の書物を出版していた。彼は、スピノザの師でもあった。

Vehicleとしての国家 イングランド

クロムウェルに、1290年発令のユダヤ人追放令を撤回させたのは、メナセ・ベン・イスラエルだった。ユダヤ人のイングランド帰還の経緯については詳しくないのだが、クロムウェルが抱いていたスペイン植民地奪取の野望実現のための資金調達、千年王国を信奉するピューリタンによる共感、終末のためにユダヤ世界をイングランドにまで拡張させるという、メナセの「ユダヤによるイングランド植民地化」計画など、それぞれの思惑が絡み合っていた。とくにクロムウェルにとってユダヤ人の国際ネットワークと資金力を利用するという話は魅力的で、ユダヤ人のイングランド帰還を承認し、彼らの活動を保護した。

スペインやオランダが先駆けて開拓した海外植民地との貿易の利益を奪い取るというクロムウェルの野望は狙い通りに運んで、イングランドでは大規模投資や保険や株式などの金融活動が発展することになった。イングランドに限っていえば、資本主義を牽引したのはユダヤ金融の力が大きいように思われる。但し、のちに産業革命が始まると、カルヴァン派の勤勉さは重要な要素になる。ルターの宗教改革で共感が広まったのは文字を読める層だけでなく、農村共同体でも支持されていたという。まして、カルヴァン派の勤勉さは、支配層や中間層だけでなく、実際に「労働する層」に浸透することで、資本主義に貢献する。ネーデルランドやイングランドに広まっていたカルヴァン派の倫理がユダヤ律法の倫理と近かったことも、ユダヤ人にとって「幸運」だったのではないだろうか。

宗教革命はヨーロッパ北部で起こった。この地域には鉱物資源が豊富である。現在でも「ブルーバナナ」と言われるヨーロッパを牽引する工業地帯は北部にある。鉱山開発には大規模な資本投資が必要であるし、鉱物資源は加工しなくてはならない。小規模な手工業ならどこの地域にもあるが、鉱山の開発や資源の採掘、精製、加工、製品化といった大規模な生産活動となると巨額な資本と労働力が必要になる。

ここにユダヤ人投資家の宗教的倫理と労働者の倫理が交わる場があったといえるだろう。中世からポーランドやドイツの岩塩の発掘・生産事業を手掛けていたのはユダヤ人だった。生産活動に求められるのは勤勉な労働力である。イギリス産業革命における生産活動で労働力に勤勉さが求められたとしたら、それはヨーロッパ北部で始まった福音主義の倫理観がふさわしい。「勤勉さ」を重んじる宗教革命の発祥と広がりに、北部地域の鉱物資源開発に関わるユダヤの律法主義の影響を見るのは、飛躍し過ぎだろうか。

その一方で、ヨーロッパ南部では古くから商業や貿易が盛んだった。地中海での交易の歴史は古代に遡る。多くの港湾都市が栄え、そこでの貨幣の両替や送金のため手形、資金の調達のための貸し借り、投資などの需要を支える金融業は、ディアスポラとなったユダヤ人が担った。大西洋に進出するのはこの地域の経済活動の延長で、スペインやポルトガルの海洋進出を促した。

ヘンリー8世の宗教革命が、ジェントリーを取り込むことで土地に根差した資本家を育てたとしたら、ユダヤ人にとってこの改革は、「完璧さに欠ける結果」だったかもしれない。理想的なユダヤ的活動は、土地から完全に離脱させなければならないからだ。それでも海洋進出に熱心なイングランドに寄生したことで、植民地貿易やイングランド銀行の設立、保険事業などで、ユダヤ金融は飛躍的な発展をすることができた。Lloyd’sのコーヒーハウスの創業は1688年である。

イングランドでは、ロスチャイルド、サスーン、モンド、サミュエルなどの巨万の富を築く家系が台頭した。Vehicleとしてはオランダよりも成功したといえるが、「英国の健全な国家共同体」を崩すことはできなかった。古くから相続によって守られた貴族の富、その富が生み出す利益を国民に分配する制度には、ノブレス・オブリージュが求められる。しかし、この制度からユダヤ人は締め出されたままであった。

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Vehicleとしての国家 アメリカ

ヒレア・ベロックが、20世紀初めのヨーロッパにおけるユダヤ人差別の高まりの中で、反ユダヤ感情を解決するには「ユダヤ人の国家」を作る以外ないと考え、当時盛り上がっていたシオニズム運動を認めようと考えたのは、ユダヤ人に対する「道徳心」からである。ユダヤ人にとっての「国家」はエルサレムの地しかなく、そこにはパレスティナ人が住んでいることを懸念しながらも、ヨーロッパ人から見た解決策は、それ以外に考えつかなかったのだろう。「国土」を持たない民族に憐れみを覚えたのかもしれない。

しかし、べロックの思考はやはり「イギリス人」的であった。第二次大戦後に実現した、彼が支持した解決策、即ち「ユダヤ人にイスラエルという国家を与える」ことによっても、ユダヤ問題は解決しなかった。「地域国家」をもつことが、ユダヤ民族にとっての解決ではないからだ。イギリス人のような非ユダヤ民族は古い時代から祖先の土地に定住し、土地とともに歴史を刻んできた。その土地に、彼らの「神」が宿り、祖先の魂が眠る。往々にして、その土地の地形が彼らの神として祭られるのは、土地と結びついた民族だからだ。日本人が富士山を神聖なものとして祈りの対象にするように、多くの定住民族は、山や湖や河川や森に神や霊が宿ると感じるのである。

けれども、カナンの地は、もともとユダヤ人の祖先のものではなかった。ヤハウェによって約束された土地であり、略奪した土地である。ヤハウェは「カナンの神」ではない。ユダヤの神は「ありてあるもの」という判じ物のような存在で、地上のカナンという地域をユダヤ人に与えただけである。ユダヤの神は「言葉」であり、カナンの地でなくても、どこにでも預言者を通して「言葉」として現れるのである。

それでは、アメリカ人は「国土に根差した国民」なのだろうか。現在、アメリカ合衆国という国土は、国境を持ち、国民は国内に居住する。しかし、彼らの祖ピューリタンは、この地に生まれたのではない。彼らは「地上の神の国」を建設するという夢を抱いて、海を渡ってやってきたのである。そこは無人の土地ではなかった。ネイティブアメリカンが住んでいたのである。カナンとは比較にならないほどの広大な土地で、居住地よりも荒野のほうが広かったが、ネイティブアメリカンにとっては、この土地に根差した神がいて、先祖の魂が眠る土地だった。グランドキャニオンにもロッキー山脈にも、そこにいるのは彼らの神であり、間違いなく、ここはネイティブアメリカンの国土であった。

ピューリタンは、ここが「神の国」だと勝手に決めて住み着いたのであって、それはカナンを神の約束の地として一方的な権利を主張するユダヤ民族と同じである。ユダヤの神もピューリタンの神も土地に密着していないから、「ありがたいことに」どこにでも現れてくれる。この抽象性と遍在性 (ubiquitous) は、ユダヤ・キリスト教の神の特徴である。ユダヤ人の古代の祖先がバアル神を邪神として敵視したように、ピューリタンはネイティブアメリカンの神を悪魔化した。

アメリカ人の神は、アメリカという土地の神ではないのだ。しかも、カトリックと異なり、「土地の領主と結びついた教会の権威」すらない。ピューリタンは、ユダヤ人が律法を復唱するように、福音を大切にする。ヨーロッパからアメリカに移住したユダヤ人にとって、ピューリタンの類似性は、嘗てないほどの「居心地のよさ」になったのではないだろうか。

「中世が欠如した」アメリカと「中世のない」ユダヤ

ヒレア・ベロックの出版活動の同志にセシル・チェスタトンがいる。彼は、G.K.チェスタトンの弟で、政府の堕落や政治家の腐敗を追及したジャーナリストとして当時は広く知られた存在だった。彼は第一次大戦に従軍したが、負傷して入院したフランスの陸軍病院で腎炎を発症して1918年に29歳で亡くなった。亡くなる前の1年足らずの間に病床で書き上げたのが『アメリカ史の真実 (A history of the United States)』であり、彼の死の翌年に出版された。べロックの『ユダヤ人』(1922) とほぼ同時期である。

セシル・チェスタトンは「ルネサンスこそ、アメリカ文明の起源なのだ」という。イギリスの植民地時代のアメリカには「中世の記憶というものがまったくなかった」ことが重要だと強調する。イギリス植民地時代からあるものは「生き生きと膨らむ古代ギリシア・ローマの異教の記憶である。というのも、最古のイギリス植民地が誕生したのは、異教の記憶を求めて熱狂していた時代だったからである」と述べていて、建国の頃に建てられた主要な公共施設の建築様式、奴隷制度の復活、騎士道精神の欠如による残忍さなどに「中世の欠如」が見られると指摘している。ルネサンス期には、中世を「暗黒の時代」として否定した。セシル・チェスタトンによれば、中世の否定は近代人の高慢さであり、これがアメリカ人の特徴として現れているのだという。

ルネサンスが古代の発見であるなら、ユダヤ人は古代のままである。古代の律法を守り続けたユダヤ人にも中世はない。セシル・チェスタトンのいう「中世」とは、時代区分のことではなく、封建制による騎士道精神と、残虐さの戒めと改悛であり、この時代には奴隷制度もジェノサイドも否定された。しかし、ピューリタンがアメリカ大陸で行ったのは、ネイティブアメリカンの殲滅と労働力としての黒人奴隷の肯定である。カルヴァン派の自己規律の厳しさは、他者への態度には見られない。むしろ、自己に対する厳格さで内面に鬱積した「残虐さ」の発露が、異教徒という他者に向かったように見える。ニーチェの言うように、自殺と他殺は、同じ破壊願望の発現の違いなのだ。そして、現在のイスラエルによるガザのパレスティナ人に対する執拗な攻撃にも、同様の心理が窺える。

現世主義のアメリカ大衆社会

現代アメリカの知的崩壊と道徳的堕落は、神への忠誠の証としての自己規律を失ったときに剥き出しになったピューリタンの本質ではないだろうか。信仰心が支えていた自己規律が、ユダヤの金銭主義によって霧散し、学びの意欲や思考する力も、物質主義の欲望を抑える力も、他者に対する残酷さを気づかせる良心の呵責も失ってしまった。ユダヤ社会にあった「能力主義」による蓄財が肯定され、金銭欲だけで生きている。

「来世の救済」を求めた信仰心の消滅が、ユダヤと同じ「現世主義」に取って代わられて、現世の快楽を肯定し、富の数値化で表示される能力の証として、無限の数値を追い求める。数値化された富によってビリオネアを目指し、富を独占することによって生じる社会の格差の拡大にも無関心である。現世の救済は富であり、富を持ち込めない「来世」には関心がない。

政治にもそれが反映し、Super PACという無制限の政治献金を可能にしたために、国民のための政治など行われなくなった。富裕層がさらに富裕になり、富を独占するための法律である。内政も外交も「無思考」になって、目の前の損得しか目に入らず、世界中に害を振り撒き、自分たちの利益になることを押し付けている。自分より弱い国に戦争を仕掛けては、飽きるとすぐに放棄して、その国を崩壊させてしまう。そして、何度でも平気で同じ破壊行動を繰り返す無責任さを恥じることもない。

考えてみれば、もともとヨーロッパが独自に生み出したものなどあったのだろうか。宗教も中東起源であるし、科学もアル・フワリズミーの方程式がなければ、理論の抽象化はできなかった。一神教という抽象神を生み出したのも、近代を支える数学方程式や科学理論の本質論も、ヨーロッパが独自で生み出したものではなく、中東からもたらされたのではなかったか。ヨーロッパの欲望が生み出すものは、バロックやロココといった装飾過剰の奢侈に象徴される。ヨーロッパの大衆が流れ着いたアメリカでは「金ぴか趣味」になる。

宿主の欲望を叶えることで、寄生者のユダヤ人は自分たちの目的を遂行しようとしてきた。アメリカには異民族に対する防御壁になる土地に根差した身分制度がない。彼ら自身が移住者であり、歴史がないために「民族の土地」への執着はなく、移動を繰り返す。土地に保証される身分がないかわりに、能力による階級を作り出したが、これはユダヤ主義の肯定である。アメリカはユダヤ人にとって都合がいい宿主になった。知性が崩壊し道徳が壊滅した現在のアメリカ人をマニピュレートして「覇権国」に押し上げ、その「力」によって自分たちの目的を果たそうとする。

ユダヤロビーやイスラエルが、アメリカを簡単に操れるのは金銭欲と快楽にしか興味のない大衆社会だからともいえる。ユダヤ人がイギリス社会と隔絶されていたのは、ノブレス・オブリージュに支えられた階級社会という鉄壁の制度があったからで、アメリカの大衆社会では、その防波堤がない。そう考えると、日本の戦後が劣化したのも、階級社会を壊されたからと言えそうである。階級を維持するための武士道精神も同時に崩壊した。

「愛子天皇待望論」は、天皇制という触れるべからざる最後の砦である「神聖な制度」まで、「大衆の人気」で変更可能にしようということである。一度変更してしまうと「前例」になり、気に入らない後継者のたびに「天皇を国民が選ぶ」人気投票が繰り返されることになりかねない。天皇を「投票」で選ぶなどということになれば、どこにも「権威」は存在しなくなり、天皇制は崩壊する。日本人の権威は「天皇陛下」しかないのだから、日本は崩壊するだろう。戦後の宮家の撤廃は、GHQが仕掛けた時限爆弾だった。もしかしたら、それも「中世の欠落したユダヤ的なピューリタン」という大衆に内在する無意識のルサンチマンによるものだったのかもしれない。

『ユダヤ人』ヒレア・ベロック著 中山理訳 /祥伝社 2006

『アメリカ史の真実』セシル・チェスタトン著 中山理訳 /祥伝社 2011

『ユダヤ人と経済生活』ヴェルナー・ゾンバルト著 金森誠也訳 /講談社学術文庫 2015

『物語 オランダの歴史』桜田美津夫著 /中公新書 2017

『プロテスタンティズム』深井智明著 /中公新書 2017

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