―戦後81年目の「慰霊の日」を迎えて―
藤原 昌樹
戦後81年を迎えたいま、私たちはあの凄惨な「沖縄戦」から何を教訓とすべきなのか──。
戦史研究の専門書を引きながら、大戦略を欠いた当時の戦争指導の失敗を直視するとともに、沖縄県民の抱く「捨て石」という悲痛な実感と、国民全体が誇りを持てる「歴史観」とをいかにして統合していくべきかを考察する。
2026年6月23日、沖縄は戦後81年目の「慰霊の日」を迎えました。20万人を超える沖縄戦の犠牲者の死を悼む慰霊祭が県内各地で営まれ、激戦地となった糸満市摩文仁の平和祈念公園では、沖縄県と県議会が主催する「沖縄全戦没者追悼式」が開催されました。
今年95人が追加されて24万2,659人の戦没者の名が刻まれた「平和の礎」には、早朝から手を合わせる人たちの姿が絶えず、子供からお年寄りまで幅広い世代の人たちが花や線香を手向けていました。
私自身、昨年は妻と連れ立って「平和の礎」に赴いて「追悼式」に参列したのですが、今年はそれがかなわず、「追悼式」の中継を視ながら正午に黙祷を捧げることに致しました。
これまでにも拙稿において何度か言及していますが、本来であれば厳粛な雰囲気の下で執り行われるべきである「追悼式」が、戦後70年目にあたる2015年頃から政治利用の場と化してしまっています。
首相の「挨拶」に対して罵声や野次が飛び交い、県知事の平和宣言には拍手や指笛とともに歓声が沸くなど「慰霊のための祈りの場」にあるまじき立ち居振る舞いをする輩が出没することが「追悼式」における恒例行事のようになってしまっており、残念ながら、今年もまた「戦没者を慰霊する儀式の場」に到底相応しくない、私たち沖縄県民にとって「恥ずべき光景」が繰り広げられることになってしまいました。
テレビ中継では、玉城知事による「平和宣言」への拍手や歓声を確認することはできませんでしたが、高市総理の「挨拶」の際には、総理の言葉を遮るように「戦争反対!」「9条を守れ!」「24万人に謝ってこい!」「沖縄差別をやめろ!」などといった怒号が飛び、騒然とする会場の様子が伝わってきました。
本来であれば、「追悼式」の主催者である沖縄県の知事として、式典の場で傍若無人な振る舞いをする活動家達に対して厳しい態度を示すべきであるにもかかわらず、これまで玉城知事は、「追悼式」における罵声や野次を容認するとも受け取れる発言を繰り返してきました。今年もまた、翌日の県議会本会議で「(追悼式は)非常に厳粛に執り行われた。会場から大きな声が出るなど静かな状況でないタイミングもあったが、概ね滞りなく進められた」との認識を示し、非常識な活動家達を擁護するかのような姿勢を貫いています。
「追悼式」後の会見で、記者団から演説中に抗議の声が相次いだことについて問われ、高市総理は「私自身は喋っておりますので、その声自体がはっきりと何を仰っているのか聞こえた訳ではない」と説明した上で「もしも『戦争をやめろ』『憲法を守れ』であれば、内閣総理大臣も国会議員も憲法遵守義務を負っております…今、日本は戦争をやっておりません」と述べて、「平和国家としての歩みを戦後ずっと続けてきたというのが日本国の誇り」であり、「平和を守るために、国民の皆様の命を守るために、防衛力はしっかりと自主的に強化をしたい」と重ねて強調しました。
「追悼式」においては、その場に居合わせる全ての者に「追悼の場」に相応しい立ち居振る舞いが求められるのであり、自らの政治的主張を披歴したり、自らと異なる主張を持つ他者を罵倒したりすることは、戦没者を冒涜する行為です。場をわきまえずに自らの主義・主張を声高に叫ぶことは決して許されることではありません。
沖縄県外の国民のみならず、私自身を含む多くの沖縄県民も「わじっている(怒っている)」のであり、「追悼式」の場で自らの主義・主張を披歴するために戦没者を冒涜するような振る舞いをする輩たちと、彼らを擁護するかのような姿勢を示す玉城知事に対して、SNS上でも非難の声が拡がっています。
沖縄県民の1人として、毎年のように「追悼式」で騒動が起こり、「恥ずべき光景」が繰り返されてしまっていることを、沖縄の地に眠る戦没者に対して申し訳なく思います。
毎年、「慰霊の日」前後に沖縄戦に関する書籍や資料を読むことにしているのですが、今年は齋藤達志著『完全版-沖縄戦-大戦略なき作戦指導の経緯と結末』(以下、『完全版‐沖縄戦』)を手に取ることにしました。
戦史研究の専門家による500ページを超える大著『完全版‐沖縄戦』は、「沖縄戦の意義は何か」を主題としています。
「そもそも日本には戦争を終わらせる政略はあったのか」「その政略を実現するための戦略はあったのか」「沖縄作戦はその戦略を成り立たせるために十分なものだったのか」「この作戦を成り立たせるための現地陸海軍の戦術は適切だったのか」などの問いと、政略・戦略・戦術それぞれにおける因果関係を明らかにしてはじめて「沖縄戦の意義」が浮き彫りになると考え、その問いの答えに到達するために、国土防衛戦である沖縄戦を下記の5つの視点で描くことを試みています。
そして、主題である「沖縄戦の意義」について、膨大な資料を検証することを通して、下記のように結論づけています。
今回の戦史をみる限り沖縄戦は、近代軍としての日本軍の強さとともにそれ以上の弱さ(未熟さ)を白日の下に明らかにした。確かに第32軍の各陣地での近接戦闘、特攻に見られるようにそれぞれの局面では米軍を凌駕したかもしれない。しかし、国軍として沖縄を防衛する、米軍に一撃を加えるということが出来ない軍隊であることが明らかとなったのである。ましてや本土防衛を国軍に託しても沖縄と同様に全く見込みがないことが周知の事実となったのである。このため沖縄戦の敗退は、日本の戦争指導を希望的な受け身の終戦構想の議論のみの状態から一気に終戦への具体的行動に踏み切る踏み台、転換点となったのである。ここに沖縄戦の意義があるものと考える。
(中略)
また沖縄戦は県民60万を巻き込んだ国土防衛戦であった。作戦第一主義に終始した結果、大戦略なく、戦争指導なく、作戦のみの国土防衛戦はどのような結果が待っているのかを、そしてこのような中で何が一番大切なのかを教えてくれた。それは国民の命である。国家としてこの命をいかに守るのか、決して現地に丸投げするのではなく、第一の前提条件として真剣に取り組むべき問題であることを沖縄戦は我々に示唆しているのである。
このように「沖縄戦の意義」を提示した上で、「もし南部に撤退することなく、そのまま首里で最期を迎えたならば、後世のとらえ方もまた異なったものとなったのではなかろうか」と問いかけています。
本書では、第32軍の「作戦第一主義」を批判するのではなく、その「作戦」を不徹底たらしめる要因となった、政府や最高統帥部など戦争指導者達の大戦略の欠如と無責任さに、失敗の本質を見るものです。そして、沖縄戦の意義を「本土決戦を回避せしめたこと」と「失敗として教訓にできること」の2点に求めています。
沖縄戦を語る際に、壕の中で日本兵が住民に対して卑怯で酷い振る舞いをしたという事例が取り上げられることが少なくないということに端的に表れていますが、恐らく、第32軍も沖縄県民も多くの大きな過ちを犯し、不道徳な行ないをしたことでしょう。
しかし、「地獄」とも称される激しい地上戦が繰り広げられた沖縄戦の極限状態における彼らの選択や振る舞いについて、その「当事者性」を考慮することなく、現在の我々が安全圏から安易に裁くことは「先人達を断罪する傲慢な行為」であると言わざるを得ません。
私たちが行うべきは、そのような悲劇を招いた原因を冷静に見極め、失敗を失敗として認めて教訓とするか、あるいは「仕方がなかった」と宿命として受け入れるか、そのいずれかでしかないのではないでしょうか。
昨年の西田昌司参議院議員のひめゆり展示「歴史書き換え」発言について論じた拙稿において、西田議員の発言に対する沖縄県議会の抗議決議を取り上げて、「私自身は、この(抗議決議に記された)『沖縄戦を巡る歴史認識』の記述はイデオロギーを極力排除しようと努めている文章であると認識しており、少なくとも沖縄県民の多くが共有する、沖縄県民の側から見た『沖縄戦の真実』であることは間違いありません」と論じました。
これに対して、少なくない数の友人・知人から「沖縄の人たちには『日本軍が沖縄を守るために戦った』という認識はないのか」「沖縄の人々も(日本軍とともに)国のため、家族や子孫のために戦ったのではないのか」「本土防衛のための『捨て石』にされたとの表現は言い過ぎではないのか」などといった疑問の声や批判を頂戴しました。
私自身、当時の日本軍が「沖縄を守るため」に戦ったのであり、そして、沖縄県民の多くが日本国民として日本軍とともに戦ったと認識しています。
しかしながら、『完全版‐沖縄戦』が詳細な分析を通して明らかにしてくれたように、当時の日本軍(日本国家)に、国土防衛戦に不可欠な戦略が欠如していたが故に、沖縄戦のみならず、重要な戦局において多くの失敗を積み重ねることになってしまい、意図的に「沖縄を本土防衛のための『捨て石』にした」(抗議決議)ということではないにせよ、戦後、沖縄県民が「本土防衛のための『捨て石』にされた」と認識してしまうほど多大な犠牲を強いる結果になってしまったということもまた、否定すべくもない事実です。
沖縄県民が「捨て石」という表現を用いて語るほど悲惨な「沖縄戦の真実」と国民が誇りを持てる「歴史観」とは、一見すると相容れないように思われますが、沖縄県民が抱いている「沖縄戦の真実」を包摂する形で国民が誇りを持てる「歴史観」を構築することは、決して不可能なことではありません。
むしろ、当時の県民たちの実感、指導者たちの浅ましさや愚かさを認めずに作り上げる歴史観は砂上の楼閣の如く脆く崩れ去るのは必定です。
『完全版‐沖縄戦』では、「今後の沖縄戦研究」について「沖縄戦の研究は、研究の手法が、軍など戦争を指導する側からの『軍隊の論理』と一般住民の視線、証言の積み上げからの『民衆の論理』の両極端に分かれているのが現状であろう。これでは研究の努力が分散してしまうため、今後は区別なく、この両者を融合してさらに止揚することが必要と考える」と述べています。
また、近現代史研究者の辻田真佐憲氏は、昨年ベストセラーとなった『「あの戦争」は何だったのか』で、次のように論じています。
ここであえて歴史をさかのぼるべきだと考えるのは、当時の日本が抱えていた「内在的な論理」を理解することに意味があると考えるからである。ただ「愚かだった」「狂気だった」と断じるだけでは、そこから有益な教訓を引き出すことは難しい。
歴史を振り返る意義は、過去を美化することでも、糾弾することでもない。重要なのは、なぜ当時の日本がそのような選択をしたのかを深く理解し、わがこととして捉え直し、現在につなげることにある。そのためにも、われわれはあの戦争を解釈しつづけ、適切な物語を模索しつづけなければならない。
われわれがなすべきことは、物語の否定ではない。物語の絶え間ない選択なのである。
沖縄戦の終結から80年以上が経過し、いま私たちに求められているのは、まさしく沖縄戦をめぐる物語の絶え間ない選択を通して、沖縄県民を含む日本国民全体で共有することができる独立国に相応しい「歴史観」を構築することです。不都合な真実から目を背けることなく、またなるべく理性的に考えようとし、しかし理性で全てを割り切ろうとするのでもない姿勢が求められます。それこそが真の意味で(戦没者を含む)日本国民の「誇り」を回復することに繋がり、戦没者の霊を慰めることになるのではないでしょうか。
(了)
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