慰安婦問題、日本海レーダー照射問題などで揺れる日韓関係ですが、さらに昨年十月、韓国大法院が新日鉄住金(現・日本製鉄)に出した「徴用工判決」によって、その関係悪化に歯止めがかからなくなっていることはご承知のとおりです。その後、日本は韓国を貿易管理上の優遇措置の対象である「ホワイト国」除外を決定。対して韓国は、日本との軍事情報包括保護協定(GSOMIA)破棄を通達。日韓関係は戦後最悪の「冷戦状況」を迎えています。
両国間の対立については、これまでも様々な論評が行われてきました。たとえば、1965年の「日韓請求権協定」で「完全かつ最終的に解決」されたと言われる戦後補償の問題とは別に、過去の併合条約を「無効」(日韓基本条約)とする時期に関しては玉虫色の決着であり、それが両国間の対立の火種になっているのだとか(併合時において既に併合条約は無効だったと言う韓国に対して、日本は条約が無効になったのは戦後だと解釈している)、そもそも1919年の抗日運動である「三・一運動」を国家建設のアイデンティティとしている韓国において、「反日」というのは国是なのだとか(確かに、韓国の憲法前文には「三・一運動」についての言及がある)、さらに、中国の台頭、北朝鮮の核保有、アメリカのアジアからの後退などの国際情勢の変化によって、これまで「安保と経済」という蓋で抑えられてきた韓国の〈反日ナショナリズム〉が復活してきているのが原因なのだとか…。
なるほど、それぞれの説には一理も、二理もあります。が、なかでも、私が見逃してはならないと考えているのは、韓国における近代化への「適応異常」という問題です。たとえば、それは韓国における「国民作り」の難しさの問題だと言い換えることもできますが、日本統治の記憶にしろ、「棚からぼた餅」で勝ち取った独立にしろ(つまり、韓国は戦勝国ではない)、米軍の援助で権力を掌握したアメリカ帰りの李承晩初代大統領の記憶にしろ(李承晩は、朝鮮戦争の際、ソウル死守を叫びながら、漢江鉄橋を爆破して南に逃げてソウル市民を見殺しにしました)、韓国は、国民が心の拠りどころとし得る正統的な「歴史物語」を紡ぎ難いという歴史的条件を負っているのです。その「歴史」に対する「不安」が、韓国政治を、政権交代の度に前政権を全否定するというヒステリーに引きずり込み、また「過去清算」という名の強迫観念に駆ってしまっているのではないかということです。
この韓国の「適応異常」の問題について、決して「嫌韓」ではない福田恆存は――というより、福田恆存は、「孤独の人、朴正煕」という文章を書くほどに、韓国に対する理解者でした――、「韓国の民主主義」という文章のなかで、次のように指摘していました。
「再び失礼な事を言ふ様だが、好意的な友人の忠告として聴ひて貰ひたい。韓国は有史以来、李朝末期まで、中国を、時には日本を宗主とした朝貢国であつた。しかも、李朝の後は三十六年日本の統治下にあつた。それ故、韓国人にとつて近代化の道は西洋化一本に限らず、日本化を通じても或る程度まで可能であつた。それが一九四五年八月十五日を境に、いきなり独りで近代化の道を歩まなければならなくなったのである。その結果、日本を通じて近代化に適応し得てゐた人達と、西洋を通じて近代化に適応し得てゐた人達と、いづれを通じても適応異常を起こしてゐた人達とが相寄り相集つて、各人各様の流儀で互いに適応異常を起こし合ひ、これをそのままに放置して置いたなら、韓国自体が西洋にも近代にも、また日本にもアジアにも適応異常を起してしまふに相違ない。」「韓国の民主主義」1976年2月、3月
「見えすぎる眼」の凄みとはこういうものなのだろうかとも思いますが、この福田恆存の指摘は、現在における韓国政治の混乱の原因をほぼ正確に言い当てています。
たとえば、ここで言う「西洋を通じて近代化に適応し得てゐた人達」の代表が、初代大統領李承晩であり、第二代大統領の伊潽善でしょう(李承晩はプリンストン大学で哲学を学んでおり、伊潽善は英国エディンバラ大学で考古学を学んでいます)。また、「日本を通じて近代化に適応し得てゐた人達」の代表が、それまでのアメリカと両班(ヤンバン―韓国の貴族階級)との支配政治から韓国を救い出し、「漢江の奇跡」を成し遂げた朴正煕大統領でしょう(貧農の出である朴正煕は、日本統治時代大邱師範学校を出て、暫く教職にあり、その後に満州軍学校と日本の陸軍士官学校をほぼトップで出ています)。そして、「いづれを通じても適応異常を起こしてゐた人達」というのが、おそらく「親日」にも「親米」にもなれず、それゆえに「反日」と「反米」に囚われ、そこから、抗日運動と朝鮮戦争によって祖国建設を成し遂げたかに見える「北朝鮮」に親近感を抱いてしまう人たち、つまり、反権力のメディア・知識人であり、現在の文在寅政権に連なる人々だと言っていいでしょう。
ただし、ここで注意しておきたいのは、そのなかで唯一、朴正煕だけは、自国の「適応異常」を自覚的に克服しようとした政治家だったということです(福田の朴正煕評価のポイントも、そこにあります)。その意味では、ときに「軍事独裁政権」と揶揄される朴正煕政権ですが、その主眼は、「親日」にあったわけではなく(日韓基本条約は朴政権下で結ばれていますが)、とはいえ、もちろん「親米」にあったわけでもなく(韓国のベトナム戦争参戦は朴政権化の出来事ですが)、むしろ、両国からの見返り(資金援助)によって韓国に初めて「経済」という名の果実をもたらし(それまでの韓国は、フィリピン、タイよりも国民所得が低い最貧国の一つでした)、それによって、「親日」「親米」「反体制」によって分裂する国民を一つにまとめ、韓国を「近代国民国家」にすることにこそあったと言えます。
しかし、残念ながら、その「国民国家」の枠組みを整え切る前に、朴正煕は暗殺されてしまう。それが韓国の悲劇だと言えば悲劇ですが、その直後の光州事件(朴正煕暗殺後の戒厳令下、全斗煥らを中心とした新軍部勢力が光州で民主化デモを弾圧した1980年の事件)を切掛けとして、またしても、あの韓国特有の「適応異常」が現れてきてしまうのです。つまり、朴正煕によって蓋をされていた「パンドラの箱」が再び開けられてしまったことにより、韓国を分断する「親米保守」と「親日残滓」と「親北勢力」(反米=反日=反権力)との泥沼の戦い(混乱)が始まってしまったのだということです。そして、その後に現れてくるのが、互いが互いの出自(歴史観)を「正統化」しようとする果てしなき「歴史戦」であり、また、その国際的な反映としての日韓炎上であると言うことができるでしょう。
しかし、だとすれば、「日本を通じて近代化に適応し得てゐた人達」がほぼ亡くなり(日本の大衆文化を通じた「日本の影」は未だに濃いとはいえ)、政治的には「親米保守」と「親北勢力」しか存在しなくなってしまった現在、韓国人の「親日残滓」への攻撃が止まらなくなってしまっているという現状は、むしろ分かりやすい状況だと言うべきではないか。
たとえば、今年3月に執り行われた「三・一独立運動百周年記念式典」で、国内の「親日残滓」の「清算を進める」と宣言した文在寅大統領は、それに加えて「反日独立運動」の犠牲者について過大な数字(学術的に根拠のない数字)を並べ立てた上で、「韓国軍のルーツ」について、なんと大韓民国臨時政府から後に北朝鮮軍に寝返った軍人の名(韓国からすれば裏切り者である金元鳳)を挙げたと言いますが、それは、今年度の小学校の教科書から、朴正煕政権の「成果」である「漢江の奇跡」という言葉を消したのと同じ傾向だと見做すことができるでしょう。つまり、それらの姿勢こそ、戦後74年を経ても、なお韓国が、自国の歴史について「正統」な歴史認識を持ち得ていないということの証拠なのです。
しかし、「漢江の奇跡」をどんなに否定しようが、現在の韓国が、その「親日残滓」(日韓基本条約を結んだ朴正煕政権)の「成果」の上に立っているという事実は否定できない。そして、否定できない事実を否定しようとする心理のなかには、どうしても心理的な「無理」(疚しい良心)が生じざるを得ない。私に言わせれば、その「疚しさ」こそが、韓国をその「成熟」―自信のあるナショナリズム―から遠ざけているものの正体なのです。いくら何でも、半世紀以上前の歴史的事実(日本統治)に対する「恨(ハン)」だけで、「国民を作る」ことはできません。個人の場合も、国の場合も同じですが、自らへの自信は、自らの歴史―試行錯誤の記憶と、それによる成功体験―から汲んでくるしかないのです。
しかし、それなら最後に、「親米」と「反米」によってしか自らの立場を作ってこなかった戦後日本人において、やはり韓国問題は「他人事」ではないと言っておくべきでしょう。
むろん、「天皇」や「戦前」の記憶の支えがあるうちは、その分裂症状は表に現れてきにくい。が、その支えが怪しくなってきたとき、まさに戦後日本人は、アメリカを通じて近代化に適応し得た人間(親米保守)と、ソ連―共産主義を通じて近代化に適応しようとした人間(反米左派)と、いずれを通じても「適応異常」を起こした人間たち(極左と極右)とに分裂しながら、その纏まりを失いかねないのだということです。いや、「保守派」と呼ばれる人たちからして既に、自信なき「嫌韓」特集を飽きず繰り返している現状を考えれば、日本人の分裂症状は、すでに現れはじめていると言えるのかもしれませんが。
かつて、福田恆存は、大阪住吉区の三菱銀行北畠支店で起こった解釈を絶した殺人事件について、「人が人である事の難しさ」(1979年)というエッセイを書いていましたが、それにちなんで言えば、今回の日韓炎上の経緯を見るにつけ、私は次のような言葉を思わざるを得ませんでした。すなわち「国が国であることの難しさ」と。
※福田恆存の「孤独に人・朴正煕」(1980年初出、『国家とは何か』文春学藝ライブラリー所収)は、この日韓炎上の今こそ読み返されるべきべきエッセイだと思いますが、その他、今回のメルマガを書く上で参照させて頂いた本として以下のようなものがあります。感謝と共に記させていただきます。(1)池東旭『韓国大統領列伝』、(2)木村幹『韓国現代史―大統領たちの栄光と砂鉄』、(3)木宮正史『韓国―民主化と経済発展のダイナミズム』、(4)文京洙『韓国現代史』、(5)四方田犬彦『ソウルの風景―記憶と変貌』、(6)福田恆存『知る事と行ふ事と』、『人間不在の防衛論議』、『問ひ質したき事ども』、(7)『文芸春秋』2019年9月号、10月号。
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コメント
韓国(人)の自信のなさ裏返せば野郎自大は、地政学上自律した国家を持ち得ず属国としての歴史しか持ち得なかったことにあるのではないでしょうか。
これを引き受けない限り、「恨」「疚しさ」は続く。
翻って、日本は縄文以来の数千年に亘る自律した歴史(天皇制)があります。
そして、保守には真正とご都合主義者(親米)の二種類あり、左翼(リベラル)はただの敗戦利得者だと思います。保守の暴走防止が役割で、それ以外の居場所はない。支持率がそれを顕わしています。共産党は文化財です。
我が国に限っては平和主義を声高に主張する、与党にのある卑劣極まりない嘘つき政党を、これ以上のさばらせる訳にはいかない。それと、ゴミ屑程度の一利すらない愚劣の安倍政権も然り。それら全ての元凶は国際社会を破滅に蝕む歪んだ国際金融機関。それにしても我が国の安倍政権も公安も法曹も腐敗まみれでしかない家畜以下は、言語道断。いつまでも調子に乗るなよ高学歴の似非偽善者共よ!
韓国の歴史的経緯を踏まえたうえで、人間の内面的な部分に深く踏み込んでおられますね。思わず首肯しましたよ。
自分は今回の日韓炎上に議論として関わることを避けてきましたが、それは現代の日本が国としても国を構成する人間としても同じ性質を自分のうちに抱えていながら(むしろ抱えていることから目を背け、現実の問題から逃げるために)、安易に相手を全否定する幼稚さにかかわりたくなかったからです。
相手に問題があるからといって、それを責める以外に何もしなかったのでは自分の状況は何一つとして良くはならない。むしろ努力が必要なすべてで何もしないことの体のいい口実にするために相手を責めていたのでは、相手を責めることと自分の状況を良くすることとの間にはますます関係が無くなっていく。
私が日韓関係や韓国、そして何より現代日本の政治状況についてぼんやりと思っていたことを浜崎さんがすっぱりと言葉にしてくれていて、胸の中のもやもやが取れた感じがします(ご紹介されていた参考文献も、できる限り時間を見つけて全部読んでみようと思います)……
結局「責難こそが成事である」と思い込む癖がついているからこそ、今の日本で主流派経済学者によってデフレ克服の処方箋としてなされる議論が、必ずトロッコ問題になるんですよね。(本当は全員助けられるのに愚かさのためにそれが理解できないから)誰を切り捨てるか選べ、って言って。
で、本当は全部助ければいいのに日本にはそれをする能力もあったのに、向き合って助けるのが面倒だから「かわいそうランキング」なんか作って日本はせっせと「コスト削減」「労力削減」してきたわけですよね。
見捨てる国民を選んできて(その見捨てた国民は他の誰かを助けたかもしれないし助ける人間に育てられたはずなのに!)、現実に向き合いたくないし面倒くさいから次世代を育てることから逃げてきて、今さら人がいないって言って移民を入れているわけですよラディカル・フェミニストと組んだ日本の財界は。
人間のメカニズムも社会のメカニズムも理解していなかったから先の見通しが立てられないのにただ自分のわがままを通したいがために求めた権力で国をめちゃくちゃに改造しまくって破壊して、それでいまさら四苦八苦して保身のための言い逃れを必死で考えている。私からしたら馬鹿だとしか思えません。
ですがかれらの生み出した今の日本が示すように、歴史やシステムを否定するあまりうまく社会とのかかわり方を築いていけないと、そのための文化や生活様式の支えがないと、(シリコンバレーに飲み込まれた元ヒッピーがそうだったように)結局は巨大システムや歴史の波に飲み込まれてしまう。
否定や破壊は生産や建設ではない。生産や建設には否定や破壊とは別の修練が要る(その修練の機会がなく求めもしなければなし崩し的に巨大システムや歴史の波に飲み込まれていく)。その当たり前のことが思い出されない限り、問題はなにひとつとして解決されないままだと思いますね。