本日は頂いた質問にお答えします。(質問は最後に掲載してあります。)
ケイト・ラワース『ドーナッツ経済学が世界を救う』(河出書房新社)は、確かに良い本だと思います。生態系破壊、金融危機、格差や貧困、経済成長の是非などをめぐる問題に、いまの経済学が適切な答えを与えていないという著者の批判は、その通りでしょう。
生態学やネットワーク科学の知見を取り込んだり、経済学説史についての面白い視点が散りばめられていたりと、なかなか読ませます。ただし、個別の問題への解決策は、これまでに提案されてきたさまざまなアイデアを羅列しているだけ、という印象は拭えません。
例えば金融について。信用膨張と金融危機を繰り返している現状への解決策として、著者は部分準備制度を廃止し、「一〇〇%準備」にするという初期シカゴ学派の提案を好意的に紹介しています。一方で、国有銀行を使って環境分野に低利で融資する案や、不況対策で各家計に直接キャッシュを配分する案、地域通貨の導入を積極的に促す案も、紹介している。
どれも検討に値するものですが、背景にある思想はバラバラです。貨幣や信用の問題を、十分に掘り下げて出てきたものとは言いがたく、最近の目新しい議論を、総花的に紹介するにとどまっているだけという印象を持ちました。これは、他の分野についての著者の提案についても当てはまります。
本書が盛んに強調しているのは、経済学の一般均衡論的なアプローチがもつ欠陥です。システムのフィードバックには「バランス型」と「自己強化型」があるが、均衡理論は前者しか扱っていない。そのため、環境問題や格差・不平等問題に対して、有効な手立てが打ち出せずにいる、というわけです。
「バランス型」とは、例えば次のような例です。ある資源価格が上がると、消費者は別の代替資源を探す。その結果、資源価格の上昇はどこかで止まる。価格メカニズムの自動調整機能が想定しているのは、そのようなフィードバックです。
しかし現実の経済現象には、「自己強化型」のフィードバックも多数、観察される。株式市場で見られる極端な値上がりや、大企業の市場シェアが一方的に拡大していく現象、富裕層の金融資産が雪だるま式に増えていく現象などです。
バブルと金融危機、不平等の拡大は、こうした「自己強化型」のフィードバックによって説明されるべきですが、均衡論の枠組みでは扱いにくく、予測も困難です。気候変動や海洋汚染、生物多様性の喪失などの環境破壊も、一度始まると止めどなく進んでいく点で、「自己強化型」フィードバックの観点に立った説明が必要だ、と著者は言っています。
「バランス型」フィードバックが働かない世界では、環境破壊も格差・不平等問題も、自動的に解決されることはありえない。そこで著者が持ち出すのが「ドーナッツ」の比喩です。
環境破壊(ドーナッツの外円)が行きすぎず、格差・貧困(ドーナッツの内円)が悪化し過ぎない状態を、人為的に作り出す。そのような経済を設計・デザインするところに、次世代の経済学の課題を見る。本書の主張を簡単に要約すれば、そのようなものになるでしょう。
この考え方に異論があるわけではありません。「ものごとが自動調整されるという考えを改めて、ものごとは管理しなくては調節できないことに気づく必要がある」(181頁)というのは、その通りだと思います。では、どのように管理すべきなのか。
著者は、生態学の知見を参考に、複雑システムの下では「庭師」の発想が必要だといい、小規模な政策実験を繰り返し、うまくいかないものを中止して、うまくいったものの規模を拡大する手法が必要としています。それはいいのですが、では「100%準備」案が小規模な政策実験なのかと問われれば、誰もが首をかしげるでしょう。これはかなり大胆な金融システムの作り替えを意味するからです。
生態学やシステム科学の知見に学ぶべきものがある、という考えには私も賛同します(以前、それに類する文章を書いたこともあります)。ただ、複雑システムをどのように管理すべきかについては、生態学やシステム科学の分野でも確実な答えが出ていないわけです。したがって、その知見を現実の資本主義分析に取り込むには、まだいくつもの壁がある。本書を読んで、そのような感想を持ちました。
そもそも複雑システムを「管理」するとは、何を意味するのか。生態系であれ資本主義であれ、望ましい状態に移行させるべきだというときの「望ましさ」は、何を基準に考えるべきなのか。考えるべきは、まず、この問題なのだと思います。ご質問の意図も、おそらくここにあるのでしょう。
この問題についての私の考えは、いずれ別のかたちで発表します。いまは本の感想を記すことで、ご質問への回答とさせてください。
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