こんにちは、浜崎洋介です。
既に告知されているように、『表現者クライテリオン』最新号は、「安倍晋三―この空虚なる器」という特集を組んでいます。詳しくは雑誌を手に取っていただければと思いますが、その趣旨については、すでに藤井先生(https://the-criterion.jp/mail-magazine/m20191007/ あるいは、https://38news.jp/politics/14732)や、柴山さん(https://the-criterion.jp/mail-magazine/m20191016/)が書いている通りです。
私自身、座談会にくわえて、「安倍晋三と『自発的隷従者』の群れ―戦後日本人とニヒリズム」という文章を書いていますが、紙幅の都合上、「安倍一強」が現れてくるまでの日本の政治史について論じる余裕はありませんでした。が、安倍総理の「個人的資質」が問題なのと同じくらいに、その「空虚な器」を可能にしてしまっている現代日本の「政治的構造」が問題であることに間違いありません。折角なので、今回は、そんな主題、つまり「空虚な器」を支える「政治構造」が出てくるまでの「平成政治史」について書いておくことにしましょう(ちなみに、その「政治的構造」の概要については、「週刊クライテリオン―藤井聡のあるがままラジオ」 https://www.youtube.com/watch?v=AI7A6t3kjOcの方でも簡単に触れていますので、お時間があれば、そちらの方も聞いていただければと思います。)。
まず、「安倍一強」を支えている条件は、次の三つのキーワードで整理することができます。一つは、冷戦の終焉に伴った「55年体制の崩壊」、もう一つは、小選挙区制を促した「政治改革」、最後に、財政赤字への危機感から加速していく「行政改革」です。
では、第一のキーワードである「55年体制」から見て行きましょう。それは、米ソ冷戦体制と、中選挙区制度によって守られた保革馴れ合い―よく言えば折り合い―の戦後的政治体制のことを指しています。一つの選挙区の定数が3~5である中選挙区制時代、例えば自民党は、同じ党でありながら有力派閥が競って複数の候補者を立て、同士討ちも厭わずに選挙戦を戦いました。その結果、憲法改正を阻止できる3分の1の議席を左派政党に譲りながらも、政権運営可能な過半数の議席数は必ず保守政党が維持するという体制が出来上がります。つまり、冷戦(アメリカによる自由主義圏の庇護)の恩恵もあって、大きな国家問題(外交・安全保障)は米国に預けながら、身近な内政問題(経済政策)にだけ集中しておけばいいという、安易とも、運がいいとも言える、戦後的な政治体制が出来上がるのです。
しかし、政権交代の可能性はなく、首相は与党の派閥力学から選ばれるのだとすれば、「国会」での論戦は「出来レース」と化して、政治の営みは、〈国民=国家〉による意思決定ではなく、政・官・業による密室での利害調整でしかないといったことになりかねない。ここから、政治を「利益誘導」や「派閥工作」や「族議員の暗躍」に還元してしまうことの危機感が高まり、政治におけるリーダーシップや、意思決定の経緯を明確化しようという「55年体制」批判の議論が立ち上がってくることになります(ただし、一言に利害調整とは言っても、それはそれで「ボトムアップ型の政治運営」を支える大切な仕事なのですが)。
さらに、時を同じくして「55年体制」を支えてきた条件――冷戦構造と、順調な経済成長――が、「平成」の訪れと共に消え去ってしまうことになります。冷戦の終わりは、まず外交・安全保障面での「自立」をめぐる議論を促し(その最も分かりやすい現れが、湾岸戦争に際して自衛隊を派遣ができなかったことに対する日本人の焦りでしょう)、さらにバブル崩壊は、政・官・業の「鉄の三角形」にヒビを入れ、また、リクルート事件や、相次ぐ官僚の不祥事は、政治家と官僚に対するバッシングを呼び起こすことになるのです。
そして、その中から現れてきたものこそ、民意を集約し(二大政党制論)、意思決定を迅速化し、その責任所在を明確にすべきだという、第二のキーワードである「政治改革」であり、統治機構を革新すべきだという第三のキーワードの「行政改革」だったのです。
さて、第二のキーワードである「政治改革」ですが、その議論は、リクルート事件の翌年(1989年/竹下内閣)に始まり、その後に自民党の内紛と分裂を経て、細川連立内閣(1993年)の誕生と共に導入された「小選挙区制」(1994年)として実現されていくことになります(実際の小選挙区制の選挙は1996年)。が、結果として見れば、これが、「中選挙区制」によって担保されていた政治的多元性(政治的議論)を次第に失わせていくことになる。
「小選挙区制」では候補者が一人に絞られるため、選挙時の公認権と政党助成金の配分権を握った一部の党幹部の権力が大きくなりますが、それに伴って、派閥の影響力は次第に弱まっていき、また、権力の源泉が、地元後援会に支えられた候補者個人の「政治力」から、党首の「イメージ」(選挙で勝てる顔!)に移ってしまうため、多元的「民意」よりも、大衆的「人気」が重んじられる傾向に拍車がかかってしまうことになる。ここから、党執行部に従わない政治家を、利益誘導型の「抵抗勢力」として名指し、自らを、その「古い敵」に立ち向かう「清新な改革者」として自己演出するという手法――小泉劇場から、橋本徹の大阪都構想、小池百合子の乱まで――が定着していったことは、ご承知の通りでしょう。
そして、そんなポピュリズム政治を支える条件を整えたのが、第三のキーワードである「行政改革」でした。それは最初、財政赤字拡大に対して危機感を覚えた橋本龍太郎内閣(1996~1998年)が、「行政のスリム化」と「内閣官房の強化」を打ち出したことから始まりますが、それが結果として、後の民主党政権を生み出していく政治的コンセンサスを用意していくことになるのです(ムダの排除を旗印にした「事業仕分け」や、政治主導の象徴とでも言うべき「国家戦略局構想」など)。そして実際、この橋本政権下で設えられた「経済財政諮問会議」をフル活用して、族議員と官僚を抑え、「政治主導」を最初に印象づけた政治家こそ、前代未聞の「郵政解散」(2005年)に打って出た、小泉純一郎首相と、竹中平蔵・経済財政諮問会議座長の「構造改革コンビ」だったことは記憶に新しいところでしょう。
そして更に、この「ボトムアップ型の政治体制」から、「トップダウン型の政治体制」への移行――「政治権力」を族議員と官僚から奪い取って、それを内閣官房に一元化する――という「平成政治」の総決算として現れてきた内閣こそ、ほかならぬ第二次安倍政権だったのです。安倍政権は、「経済財政諮問会議」のみならず、「産業競争力会議」や「規制改革推進会議」などの「政策会議」を次々に立ち上げて、「政治主導」のイメージをアピールしながら、なお「内閣人事局」を内閣官房(菅義偉官房長官)に設置することで(2014年)、人事権による官僚統制をも完成させることになる。その結果として、安倍政権は、官僚たちの「忖度」を取りつけることに成功し、さらに、その「忖度の空気」にのまれた財務省は森友学園問題に関連して公文書改竄事件を引き起こし、また、その「忖度の空気」に抵抗しようとした文科省は、加計学園に関連した一連のスキャンダルを引き起こしていくことになる。
果たして、このような「トップダウン型政治」見て、左陣営は安倍政権を「ファシズム的独裁政権だ!」と批判し、右陣営は「リーダーシップの発揮だ!」と称賛することになるわけですが、これまで述べてきた通り、この「トップダウン型政治」は、一朝一夕で作り上げられたものではないのです(実際、民主党政権もトップダウン型政治でした)。しかし、だとすれば、「独裁」だの「リーダーシップ」だのと騒ぎ立てる前に、まず必要なのは、その「トップダウン」によって為されている政策内容の冷静な吟味であり、また、その「トップダウン」が、日本人の生き方に合っているのかどうかを考える態度ではないでしょうか。
ところで、その上で、ようやくリアリティを帯びてくる議論こそ、「安倍『器』論」なのです。つまり、「トップダウンで、次から次に支離滅裂な政策が打ち出されている」現状を見て、しかし、これだけ政策が支離滅裂であるためには(統一性のない政策の並列・矛盾の放置)、首相に何かしらの明確な「意志」や「知性」があってはならず、「空っぽ」でなければならないはずだと。また「空っぽ」であるがゆえにこそ、そこには周囲の様々に矛盾した思惑(単なるグローバリストから保守論壇まで)が入り込む余地ができてしまい、それゆえにまた、政権に対する期待値も下がりにくく、長期政権が可能になってしまうのだ……と。
詳しくは、雑誌を手に取って頂ければと思いますが、最後に、これと似た分析を引いて、締め括っておきます。丸山眞男の「超国家主義の論理と心理」(1946年)からの一節です。
「ナチスの指導者は今次の戦争について、その起因はともあれ、開戦への決断に関する明白な意識を持っているにちがいない。然るに我が国の場合はこれだけの大戦争を起しながら、我こそ戦争を起したという意識がこれまでの所、どこにも見当たらないのである。何となく何物かに押されつつ、ずるずると国を挙げて戦争の渦中に突入したというこの驚くべき事態は何を意味するか。我が国の不幸は寡頭勢力〔現代の民間議員?〕によって国政が左右されていただけでなく、寡頭勢力がまさにその事の意識なり自覚なりを持たなかったということに倍加されるのである。各々の寡頭勢力が、被規定的意識しか持たぬ個人より成り立っていると同時に、その勢力自体が、究極的権力となりえずして究極的実体〔現在の内閣官房〕への依存の下に、しかも各々それへの接近を主張しつつ併存するという事態――さるドイツ人のいわゆる併立の国(Das Land der Nebeneinander)――がそうした主体的責任意識の成立を困難ならしめたことは否定できない。」〔 〕内引用者
※私は丸山眞男の政治的態度に対しては批判的ですが、その歴史研究の全てを否定する気はありません。ここでは「歴史の反復性」を思い出しておくために、敢えて引いておきます。
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