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簿記教育の必修化についての提言

関口秀文(茨城県・58歳・地方公務員)

 

「失われた30年」日本経済の低迷を表したこの言葉は今や誰もが知るところとなった。原因の追究と脱却に向けての方法論は「経済」「政治」「社会」「企業」等あらゆる視座から検討されている。私は高校教員という職業柄「教育」の立場で考察をしてみたいと思う。

 PISAを始めとした世界各国の学力ランクを測るデータにおいて、日本の6~18歳の知的水準レベルは2000年頃から現在に至るまで、常に上位に位置していることが知られている。すなわち日本人の劣等性が経済の低迷を生んだとは考えにくい。世界でも上位レベルの知能を有する日本の、その中でも「エリート」と呼ばれる階層が30年間政治や経済のかじ取りをしてきたことは疑いもない事実であろう。しかし、現在は経済成長率においてOECD加盟国で最下位に甘んじ、平均給与も他国が順調に伸長している中、23年間ほぼ横ばいで推移している状態である。日本経済はバブル崩壊前までは順調に成長していた。教育的視座からみた場合、この栄華は学校教育において主要5教科に秀でた「エリート」が作り上げたものと言える。しかし、バブル崩壊以降のデフレ期では求められるリーダーの資質に変化があり、旧態依然の価値に基づく「エリート」のかじ取りでは世界に通用できなくなった結果の衰退と考えられなくはないだろうか。すなわち経済の変化により、今の「エリート」が、いや今の「日本人」が教育によって備えなければならないものが何なのか考えなければならない時である。では、具体的にどのような知識が必要なのか、私は自信をもって「簿記」であると考えている。私が、「簿記」を日本人すべての基礎学力として定着させたい、すなわち必修化させたいと思うに至った2つの事案から考察をしてみたいと思う。

 第1の事案は「カルロス・ゴーン氏による日産自動車再建」である。2019年12月に刑事被告人のまま海外逃亡をしたことで印象の悪い人物ではあるが、彼の業績は目を見張るものがあり、日産自動車の再建は日本の「エリート」の不足している部分を端的に表した出来事である。日産自動車はバブル期までの売上重視、放漫経営から1998年までに約2兆円の有利子負債を抱え、倒産の危機に瀕した。打開策としてフランス・ルノー社と提携し、再建を任される形で1999年6月、COOとしてゴーン氏が就任した。就任後の活躍は目覚ましく、2000年には連結当期純利益の黒字化に成功し、2002年には4950億円の過去最高益という離れ業をやってのけた。奇跡的なV字回復をなし得た手法は徹底した合理化であり、彼につけられたニックネームは「コストカッター」であったことは記憶に新しい。不採算事業をトップ自らやってのけたところに、日本人経営者との差が出たと言っても過言ではない。企業の危機を救う大ヒット商品による売上増加がなかったにも関わらず黒字化に成功したことの意味とはなにか、すなわちゴーン氏が持ち、日本人経営者に欠如した資質とは何かという問題である。それは会計学の知識を持ち合わせたか否かであることは明らかである。「コストカッター」は闇雲にすべての経費を削ったわけではなく、売上のために必要なコストをかけるのは当然のことである。問題なのは削られたコストは本来、ゴーン氏以前の前経営陣が取り組まなければならない問題であったはずである。しかし、彼らは財務諸表を自ら読み解き分析するスキルを持ち合わせていなかったため問題点に気づくことなく、旧態依然とした売上至上主義に解決を求めてしまった。「エリート」であるはずの彼らがなぜ見誤ったのか、それは会計学の知識がなかったことに相違ないと断言できる。すなわちゴーン氏を始めとした外国人経営者と日本人経営者の違いは、知的水準の優劣ではなく知識の領域の違いと言える。マネジメントの巨匠として有名なドラッガーの言葉にも「複式簿記はたった一つの普遍的なマネジメント科学であり、全てのビジネスや組織が毎日欠かさずに使う唯一の体系的な分析ツールである。」と言っている。現在の日本教育は会計学のもととなる「簿記」を、若い時期に学ぶ機会が極めて限定的(商業高校等ごく一部)な学問としている。しかも、知的水準が高い「エリート」ほど学習する機会は激減(大学の商学部くらいか)する現状はもはや悲劇と言ってよく、欧米の企業等の後塵を拝することは自明の理と言ってよい。日本の大手や中小を問わず多くの企業が、外国資本の影響を多大に受けている状態からも明らかである。

 第2の事案が今年(2022年)11月~12月にかけて議論が沸騰している増税問題である。MMT派、リフレ派の論客がこぞって「増税は百害あって一利なし、財源は国債発行で賄うべき。」と熱弁されている。しかし、政府・行政の中枢、そして国民の多数は「国の債務は1200兆円という未曽有の額である以上、増税やむなし。」と信じ切っている。しかし、「簿記」に携わる身にすれば「政府発行の国債が日銀買いオペによって相殺される。」という、至って当然な事が何故、有識者と呼ばれる人たちも含めて理解されないのか不思議でならない。高校レベルで履修する連結財務諸表さえ理解していれば容易に納得できることである。(大学レベルで学習する高度なものではない)前掲したが日本人の知的水準は決して低くない。にもかかわらずこのような簡単な理論が理解されない唯一の理由は「簿記」の知識が全く無いからに相違ない。

 世界に通用するリーダーを育成するためには、多数の者が会計学の知識を習得することが必要であり、高校教育にできることは「簿記」の必修化を早期実現することである。誰もがその知識を持ち、その中からより深く学んだ「真のエリート」が日本経済の復興、成長を担ってくれるものと信じている。