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【川端祐一郎】人の能力を見極めることの難しさ――就職活動をめぐって

川端 祐一郎

川端 祐一郎 (京都大学大学院准教授)

毎年就職活動の時期になると話題になるのですが、先日、「学歴フィルター」というものがニュースでも取り上げられていました。

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私が最初に就職した頃も既にそうでしたが、最近の就職活動ではまず「リクナビ」や「マイナビ」といった就活サイトに会員登録を行います。するとそのサイトを通じて企業から説明会などの案内が送られてきて、それに対する参加申し込みも行えるようになっています。
たくさんの説明会に参加して企業情報に触れ、場合によってはその会社の採用担当者と知り合いになって色々なアドバイスをもらった上で、入社試験や面接に臨むわけですね。

で、上記のニュースは、偏差値の低い大学に所属していると(所属情報は就活サイトに登録することになっています)、あらかじめ説明会への申込みから排除されてしまうという問題に関するものです。企業側で、偏差値の高い大学の学生に対しては「まだ空席があります」と表示し、偏差値の低い大学の学生に対しては「もう満席です」と表示させているというわけです。

就活サイトのシステムやその運用ルールが、細かい点でどうなっているのか存じ上げないので、本当に上記の告発のような内容の「排除」が行われているのか、私には分かりません。ただ、民間企業で働いていた頃に(自分が勤めていた会社というよりも一般論として)見聞きしてきた話からすると、大きな企業だと自社に関心を持つ学生が数千人・数万人という規模になるので、ある程度の絞り込みは避けられないようです。

私が就活をしていた頃だと、説明会案内のメッセージ(メールのようなもの)が届く大学と届かない大学がある、といったことが話題になっていました。後で知った話ですが、就活サイトのシステムを通じて学生にメッセージを送付するのにも、1件何円といったおカネがかかるので、企業の人事部も無制限にメッセージを送るわけには行かないようです。そういう事情もあり、何らかの基準で案内対象を選別せざるを得ないということです。

企業側からみて、事前の絞り込みを行うことにある程度の合理性があるのは確かでしょう。傾向としては偏差値の高い大学に知的能力の高い学生が多く、その知的能力はビジネスに必要なものでもあります。昔に比べて現代では、いわゆる「知的」な能力の重要度が上がっている可能性もあるでしょう。
だから、(特に大企業が)高学歴な学生を優遇するといういわゆる「統計的差別」が何らかの形で残ることは、避けられないと思います。
しかし一方で、上記のような「あらかじめ排除する」というやり方を露骨に採られると、どこか気持ち悪さ(違和感や罪悪感)を覚えてしまうのもまた事実です。「フィルタリングなんて、するに決まってるだろ」と言われると、確かにおおよそそうなのだけど、その断定口調に腹が立つということも否定できません。

なぜ気持ち悪いのかというと、一つは、偏差値の低い大学にだって優秀な人材がいるということを、実は「みんな知っている」からです。大学入試は生まれ持った才能だけで決まるものでもなく、ある程度の時間をかけた努力を必要とするので、17〜18歳という時期に勉強に時間を割く意欲が生まれなければなかなか偏差値の高い大学には入れません。しかし、人生のリズムとして勉強する意欲がいつごろ湧いてくるかは人によって様々で、例えば働き始めてから努力するようになって大きな成功を収めるといった事例は、世の中に溢れています。

統計的差別が露骨に行われることや、それを無邪気に肯定することに気持ち悪さを覚えてしまうもう一つの理由は、そもそも「能力」というのが多次元的なもので、仕事に役立つ性格やスキルというものを単純には評価できないということを、これまた「みんな知っている」からです。
私自身のサラリーマン経験の中でも、偏差値秀才的な意味での「知的能力」だけで乗り切れる仕事というのは、比較的少なかったように思います。人付き合いのうまさや、発想の柔軟さや、性格の素直さや、上司に歯向かってでも筋を通すという気概や、(ブラック労働を推奨する気かと怒られそうですが)深夜までかかっても仕上げてやるという根性や責任感など、仕事の出来を決める人間の性質は色々です。

繰り返しますが、「統計的差別」に合理性があることは、特に大企業においては否定できません。採用候補となる学生が大量に存在するのですから、そういう多元的な能力の有無をみる前にまず単純な指標で足切りをしておくという発想になるのは、不自然なことではありません。しかし、そのことに対する違和感や疑いも同時に強く持ち続けないと、人を見る視野が狭くなって失敗が増えるというのも一種の「常識」です。
だから、上記のようなニュースをみて感情的に反発するのは世間知らずだと言えますが、「学歴フィルタリングなんて当たり前じゃん」と冷笑的に肯定するような人たちにも注意が必要です。一番重要なのは、人材の採用にはなかなか正解がないのだということを強く自覚することでしょう。そこまで考えれば学歴フィルタリングごときは、大したニュースでも論題でもないと言えます。

「能力」というものについては他にもいくつか気になっている論点があるのですが、長くなってきたので今回はここで終わりにします。次回は、「能力主義」とか「自己責任」とか言われるものについて書きたいと思います。

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